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.国際  投稿日:2016/6/22

凶弾に倒れた政治家と日本のエコノミスト 英国はEUから離脱するか その6


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

16日、イングランド中部の工業都市リーズの郊外で、一人の女性議員が殺害された。ジョー・コックスさん。享年41。最大野党・労働党の下院議員で、EU残留派の論客として熱心に活動していた。2児の母でもあったとのこと。

犯人は、極右団体と関係があったと見られ、拳銃(改造銃であったらしい)を発射する際、「ブリテン・ファースト(英国第一)!」と叫んだ、との目撃証言が大きく報じられた。そういう名前の極右団体が存在するが、いち早く、「事件には絶対に関与していない」との声明を発表した。

背後関係については未だ捜査中ではあるが、憎むべき凶行であることはあらためて述べるまでもないことで、被害者の冥福と、ご遺族には衷心からのお悔やみを申し上げる。

したがって、本稿はいささか不謹慎の誹りを免れ得ないと思いつつ書いているのだが、ジャーナリストとしての率直な感想は、これで潮目が決まったな、というものであった。残留派への同情票が一気に増えると考えられ、つまりは残留への流れが固まった。

 かの国でかつて10年間を過ごし、幾人もの政治家や学者にインタビューした経験を持つ私は、確信を持って言えるのだが、英国の有権者は意外とセンチメンタルなのである。

もちろん、「火事は最初の5分間、選挙は最後の5分間」という格言は、英国でも通用する、と私は考えているので、まだ不確定な要素は残されている。考えたくもないことだが、先般米国で起きたような、イスラムの移民によるテロ事件が起きたりすれば、そこでまた潮目が変わるかも知れぬ。

 思い出されるのは、昨年9月4日、一枚の写真が英国の世論を大きく動かした一件だ。ボートでギリシャを目指したものの、不幸にも転覆して水死し、海岸に打ち上げられた、シリア難民の4歳の男の子の写真が、新聞に掲載されたのだ。英国の世論は沸き返り、キャメロン首相も、「一人の父親として、胸が痛むとしか言いようがない」とコメント。それまでの、移民受け容れに対する消極姿勢を改めると発表した。

ところが、現地時間11月13日、パリで起きた同時多発テロ事件により、一気に潮目が変わってしまったのである。それはそれとして、前回、離脱派の議論にはおかしなものが多い、と述べたが、日本のエコノミストの中にも、奇妙なことを言う人がいたので驚いた。

 『週刊朝日』6月10日号に掲載されていた、藤巻健史氏の連載記事で、少し引用が長くなるが、原稿料泥棒などと言わないでいただきたい。

残留派は「離脱でEU市場への自由なアクセスが難しくなり、輸出競争力が落ちて英国経済に大打撃だ」という。本当にそうか?離脱すれば、英国は「南欧諸国」のツケを払わなくて済む。さらには離脱で英ポンドが急落するならば、輸出競争力はかえって強まるのではないか?輸出の多寡は、値段すなわち為替が最大の決定要因だからだ。

 なにを考えているのだろうか。まずこの人は、ギリシャ危機に際してのEUの救済策の具体的内容を知らないのではないか。あくまで、緊縮財政を「担保」とした融資に過ぎず、過去の政権による浪費のツケは、ギリシャの真面目な納税者や年金生活者が払うのである。

そのことを問題視するのではなく、離脱すればギリシャ問題から解放されると思い込むとは、なんとおめでたい、としか言いようがない。

後段はさらにひどい。英ポンドが急落すれば輸出競争力が増す?たしかに輸出価格は下がるかも知れぬが、関税の問題はどうなるのか。

格好の実例がある。今スペインやイタリアのホテルに泊まると、部屋のTVは大抵サムスンかLGだ。これは値段の問題、つまり日本円と韓国ウォンの為替だけの問題か?

正解は、もちろん、そうではない。韓国はEUとの間にFTA(自由貿易協定)を締結している。この結果、日本製の薄型TVには最大14%の関税が課せられるのに対し、韓国製は無税なのだ。逆の問題もある。英ポンドが急落するならば、所得の低い英国人が、中国製などの安価な輸入品を買いにくくなり、消費がますます冷え込む。

こうした現実があるからこそ、EU離脱派の勢いが増すと共に、早々とリスク回避目的でポンドやユーロが売られ、円が買われた。もちろん藤巻氏は、離脱派を支持するとまでは言っていない。単に、残留派の議論を「俗論」と斬って捨てることで、エコノミストとしての存在感を示したかったのだろう。

そうであるとすれば、日本人である私が、英国の有権者はセンチメンタルだなどと書いたこと自体、傲慢であったかも知れない。かくもレベルの低い議論を展開する人が、一流エコノミストと呼ばれ、参議院議員(おおさか維新の会)にもなり、日本を代表する週刊紙に経済コラムを連載できるのだから。

 


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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