中国、南沙領有否定されず 仲裁裁判所判決
文谷数重(軍事専門誌ライター)
12日、オランダの仲裁裁判所で南シナ海問題に関する判断が示された。これはフィリピンの申し立てに基づいた調停の結果である。報道では中国側主張のいくつかが否定されたといったものだ。その内容について、裁判所のプレスリリースによると、要旨は次のとおりとなっている。
中国主張の九段線は法的根拠がないこと。暗礁やその上に建設された人工島は領海や排他的経済水域(EEZ)を発生させられないこと。中国がフィリピンの海洋活動を不当に妨害したこと。環境破壊を引き起こしたこと。そして中国は問題を深刻化させたことだ。
だが、裁定により中国は敗北し、南シナ海での海洋進出は否定されたのだろうか?
それは誤った理解である。中国は南沙の領有を否定されたわけではなく、フィリピンも中国との領土争いに勝利したわけではないためだ。
■南沙領有は否定されていない
まず注目すべきは、裁定は南沙等の領有そのものについて言及しなかったことだ。
否定されたのは九段線の主張や人工島の地位についてである。前者は地図上にU字の線を引き「内側はすべて中国の海だ」としていたものである。後者は暗礁で埋立工事をし、その結果生まれた人工島を根拠にする領海やEEZの主張である。南沙がどこに属するか、あるいはそれが中国に属するかを否定するものではない。
つまり、中国は南シナ海での海洋支配ができなくなったわけではない。個々の岩礁について通常の領有主張は有効であるため、従来どおり岩礁は自国に属すると主張できる。また、人工島についても撤去を求められたわけでもなく、それを利用して実力による海洋支配を続けることができる。
また、裁定は中国不利ばかりではない。唯一、EEZを主張できる規模をもつ太平島を利用し、それを基点にすることで南沙付近の支配を総取りできる可能性もあるためだ。ちなみに太平島は台湾が支配しているが、台湾自身が否定しないように同じ中国であり、しかも中台は南シナ海支配では暗黙の共同歩調にある。
ちなみに「スプラトリー(南沙)にはEEZの根拠となる島はない」といった裁定もさほどの意味はない。「太平島は、人間が居住できない岩礁の集合体であるスプラトリーに含まれない」とでも言い抜ければよいためだ。
もちろん、中国は九段線や人工島の地位についての主張は引っ込められない。中国の行動原理からしても、面子にかけても自己の主張の非は認められないためだ。
だが、それを使わなくとも中国は南沙の領有やEEZの主張はできる。中国は意外と国際社会の評判を気にする。今後、九段線や人工島は国際社会向けではあまり言及することはなくなり、通常の領有主張にシフトして海洋主張をすすめるだろう。
中国は今までどおり、南シナ海での海洋支配を進められるのである。
■フィリピン領有が認められたわけではない
そして、裁定ではフィリピンの領土主張が認められたわけでもない。このことにも注意すべきである。
仲裁は領有問題に関する判断は拒絶しており、裁定の対象とはなっていない。このため、南シナ海でのフィリピン領土主張については何の効力もない。そして、裁定はフィリピンが占拠し実効支配する岩礁にも効力を及ぼず。つまり、フィリピン支配の暗礁は領海を発生させず、自然状態で人の住めない露出岩やサンゴ礁もEEZを発生させない。さらに裁定では南沙に人の住める「島」はないともしている。
つまり、フィリピンは支配する岩礁でEEZを主張できず、領海主張についても後退せざるを得なくなった。戦後に南沙で「発見した」と主張する領域(カラヤーン諸島)はほとんどが暗礁であり、さらにスペインからアメリカにフィリピンを譲り渡した際、領域外とされたスカボロー礁等についても露出岩あつかいされるためだ。
この点、フィリピンにとっての敗北ということもできる。中国との領土争いで血が頭に上り、有利に立とうとして裁定を申し立てた。だが、その結果、自身の海洋支配の根拠も失ったためだ。ある意味、無思慮であった。
■日米への影響はない
今回の裁定の実態はこのようなものだ。報道では中国海洋支配を砕くものとされているが、実際にはそれほどのものでもない。さらに提訴したフィリピンの利益も失わせるものとなっている。ある意味、訴訟に労力を吸い取られ、そのまま損となる「公事だおれ」そのものだ。
さらに日本の利益になるものでもない。日本、そして米国が南シナ海で重視するのは交通路の確保に限定される。国際法上の「航海の自由」と「上空通過の自由」が必須なだけである。どこの国が南沙等を領有するか、周辺の漁業や海底資源については、正直言って「どうでもいい」立場にある。
この点、中国不利の裁定は、日本にはとって大したものではない。日本は中国への対抗意識があり、その反映としてフィリピンに肩入れする感覚がある。そこで今回の裁定を「中国の敗北」と見て日本を有利にすると考える向きも多いが、それは過剰反応といったものである。
強いて日本にとっての利益を探すとすれば、南シナ海での争いが激化する傾向にあるということか。今後、中国は今以上に外交力を南シナ海に吸い取られる。これは間違いないことだ。そして、日本はそれを利用することで東シナ海での中国との不毛な対立を緩和させることもできる。
それは機会を見て尖閣やガス田で緊張緩和を申し入れることだ。さらに中国を信用させるため、対中有利を失わない程度に海保・海自・空自の運用レベルを下げればよい。
中国は泥沼化した南シナ海対応を優先する。その点、東シナ海での緊張緩和を受け入れる余地は大きい。尖閣12マイル以内に近づく海警船の数は減るだろうし、対日関係の安定をみこし、軍艦を接近させることも躊躇するだろう。
トップ画像:From Wikimedia Commons/Goran tek-en
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この記事を書いた人
文谷数重軍事専門誌ライター
1973年埼玉県生まれ 1997年3月早大卒、海自一般幹部候補生として入隊。施設幹部として総監部、施設庁、統幕、C4SC等で周辺対策、NBC防護等に従事。2012年3月早大大学院修了(修士)、同4月退職。 現役当時から同人活動として海事系の評論を行う隅田金属を主催。退職後、軍事専門誌でライターとして活動。特に記事は新中国で評価され、TV等でも取り上げられているが、筆者に直接発注がないのが残念。