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.国際  投稿日:2016/8/9

人権侵害事件の黒幕、入閣の怪 インドネシア・ジョコウィ大統領の胸中 その2


大塚智彦(Pan Asia News 記者)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

■憶測呼ぶ大統領の真意

政治力学的な理由

ジョコウィ政権は与党連合の上で政治的安定を保ち続けている。これまでの内閣にはハヌラ党から2人の閣僚が入閣していたが、さらに政権基盤を盤石にするために新たにゴルカル党と国民信託党から閣僚を選ぶ必要が生じた。このため外務、内務、国防などの3省を管轄する調整相というワンランク上の閣僚ポスト1つをハヌラ党に当てることで新閣僚2人のポストを確保することになり、ポストの格からハヌラ党の党首であるウィラント氏の入閣となったというのだ。つまりジョコウィ大統領は「元国軍司令官のウィラント氏ではなく、ハヌラ党党首のウィラント氏に入閣を求めた」という分析だ。

パンドラの箱封印説

ウィラント氏の前任者のルフト・パンジャイタン調整相は国軍出身者でありながら過去の人権侵害事件の真相解明に前向きで、東ティモールの独立派住民殺害やスハルト政権崩壊前後の民主運動家弾圧、大学生射殺などへの軍、治安組織の関与を捜査することへの理解と支持をみせていた。

さらに最近は、インドネシア近代史最大の謎であり、歴史の暗部ともいわれる930事件(注1)の真相解明にも意欲をみせていたといわれる。少なくとも50万人が殺害されたという930事件の真相解明は関与した国軍、スハルト政権につながる旧体制の政治家、直接殺害に加わった地方の有力者など「今更寝た子を起こすように過去を発掘し、暴露されることを忌避したい人々」がインドネシア社会の各階各層に依然として残っており、こうしたいわばインドネシア近代史の「パンドラの箱」を開けることより封印することを望む勢力がジョコウィ大統領に圧力をかけた、という見方だ。

 ③国軍への重し

2014年に国民の直接選挙で大統領に選出されたジョコウィ大統領は家具職人の家に生まれた地方自治体首長出身で、民主国家インドネシアを象徴する「庶民派大統領」というのが最大の魅力である。それだけにインドネシア政治の行方を左右するといわれる国軍とは密接な関係のないことから「金にも軍にもクリーンな大統領」として支持を集めた。

インドネシアの歴代大統領をみると初代スカルノ大統領は政権発足当時から軍の強力な支持を基盤に政権安定を目指し、次のスハルト大統領は軍人出身、3代目、4代目のハビビ大統領、ワヒド大統領は軍に強力な支持基盤がなかったこともありいずれも不安定な政権基盤で任期を全うすることができなかった。5代目のメガワティ大統領は女性ながらも初代スカルノ大統領の長女であり軍内の「スカルノ信奉者」の支持があった。6代目のユドヨノ大統領も軍人出身とインドネシアでは軍人出身あるいは軍の強力な支持がないと安定した政権維持が困難であることが歴史的に裏付けられている。

こうした背景から、庶民派大統領ではありながらジョコウィ大統領は政権発足当時から国軍出身者であるリャミザード・リャクード国防相(元陸軍参謀長)、ルフト・パンジャイタン政治法務治安担当調整相(元陸軍特殊部隊)らを閣僚に据える国軍シフトを取ってきた。今回の内閣改造でさらに国軍出身者としては「重鎮」のウィラント氏を入閣させることで、国軍への配慮と同時に政府の実力者として国軍への“重し”の役割を果たしてもらうことで政権の安定を図る狙いがあるというのがこの説の根拠だ。

■経済最優先で人権は後回し?深謀遠慮?

ジョコウィ大統領は今回の内閣改造で「経済政策重視の姿勢」を明確に示し、経済閣僚の抜擢、再配置に最大限の精力を注ぎこみ、どうもその他の人選にはあまり配慮しなかった可能性も指摘されている。つまり、①で指摘した政党間のバランス配慮による政権基盤の安定を最優先に考えた結果、米政府始め内外から思いもかけない批判を浴びることになってしまったというのだ。

しかし、表面的には飄々として庶民派大統領の役割を演じながらも、肝心のところでは頑固に自分の思いを貫く覚悟と度胸、と同時に人の意見にも虚心坦懐に耳を傾けるという硬軟両用を併せ持つジョコウィ大統領だけに②や③の背景も完全に否定できないというのがどうやら真相のようだ。

国際社会や関係国の懇請にも関わらず外国人麻薬犯死刑囚への刑の執行、インドネシア領海や排他的経済水域(EEZ)で違法操業する中国をはじめとする外国漁船の拿捕、乗員の拘留、没収船舶の爆破破壊。高速鉄道計画では安全面・技術面での格段の優位が日本にはあったにも関わらず、側近の意見を取り入れて中国に発注を決める、などなどその決断力、柔軟性は随所で発揮されている。そうした最近のジョコウィ大統領の言動を考えると今回のウィラント氏の入閣を単純に「人権後回しの政治優先」とも即断できず、大統領の胸中に人知れぬ「深謀遠慮」があり、それに基づく英断なのかもしれないと思える。

得体のしれない深く遠い考え、でも意外と単純明快な思いの可能性も否定できない、まさにインドネシア流のジョコウィ大統領によるウィラント氏抜擢と言えよう。

 

(注1)930事件

1965年9月30日に起きた軍事クーデター未遂事件で、国軍の一部がアフマド・ヤニ陸軍司令官など将軍6人を殺害、政権奪取を画策した事件。当時のスカルノ大統領の容共姿勢からインドネシア共産党関与が濃厚として事態の収拾に乗り出し、実権を掌握したスハルト陸軍少将による首謀者の軍人、共産党幹部、そして共産党支持者、シンパなどが多数虐殺された。その数は50万人とも300万人ともいわれ、真相解明はほとんどなされていない。

その1の続き。全2回)

トップ画像:民主化の過程で発生したスマンギ交差点事件では学生と治安部隊が流血の衝突を繰り返した(負傷した学生を運ぶ警官隊)©大塚智彦


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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