[為末大]「炎上」とは何か?〜「ぼや」でしかない自分の記事の「炎上」について考える。
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆炎上の安売り◆
僕の記事が炎上しているらしい。そう聞いて、TwitterやFacebookをひらいてみたのだけれど、それほど批判も来ていない。というよりも賛同も無く、つまり反応がない。けれども炎上を報道した情報を見つけると、そこには炎上と書いてある。
僕は炎上の定義は“ある一定数以上の批判、もしくは意見が圧あまり活発にその事が語られている状態”だと認識している。そういう意味では、多少は反応があっても、炎上は至っていない。言ってみれば“ぼや”の状態だろうか。
僕が言う事は自分でも思うけれど「説教臭く」、だから嫌いな人は一定以上はいると思う。あと意見が極端な時があるから、そういう点で批判があるのはいつもの事だししょうがない。けれども大して大きくないものを大きいと言うのは抵抗がある。小悪党が大悪人の振りをするのは恥ずかしい。
炎上というのは、猪瀬元知事の規模までいかなくても世間がそれなりに騒いだものを言うのであって、たかが僕のあんな小さな話を炎上というのはなにかおかしいと思う。何でそう思うかというと、炎上すると本が売れる。僕もだけれど、それ以外にもたぶんどこかが儲かっている。
テレビの方がよく“煽る”という言葉を使う。ようは小さな“ぼや”をなるべく大きくする手法。そこに節度があれば「演出」と呼ばれて、行き過ぎると「ねつ造」と呼ばれる。世間はセンセーショナルなものを好み、どうしても“煽る”癖があるんだとその人は言っていた。
昔、金メダリストがずらっと並んだ前で“世界的アスリートです”と紹介された時の恥ずかしさに似ている。善も悪も僕はあまり興味が無いのだけれど、事の大小だけは気になるので、小炎上ぐらいにしてほしい。
◆正論◆
「正論」、という言葉を時々言われるのだけれど、「正論」が何かをよくわかっていなかったので調べてみると“道理にかなった正しい議論・主張”というものが出てきた。「道理に叶う」という事は「理論的に正しい」という事だけでもないように思える。
ちなみに「道理」を調べてみると“物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり”と出てくる。つまり「人の道として正しい」という事になる。「正論だけれど〜」という事は、つまり言い換えると「人の道としては正しいけれど〜」という事だろうか。
昔、コメディアンの故・植木等さんがお坊さんだったお父さんに「歌を歌っていいか」のお願いに上がった時、“わかっちゃいるけどやめられない”という歌詞を見て、これが仏教でいう「苦しみの本質だ」とおっしゃったらしい。スーダラ節がそれで誕生した。
社会学者・加藤諦三さんによれば“自分の一番認めたくないものを認める事が幸福への道”であるという。スーダラ節とあわせて読むと味わい深いものがある。自分を最も不幸にしているのは自分。わかっちゃいるけどやめられない。
正論に話を戻すと、「戦時中の正論はなんであったか」という事に興味がわく。すごくざっくりと言えば“戦争反対”が正論だったか、それとも“戦争賛成”が正論だったか。正論とは世の道理なんだろうか、それとも時代の常識なんだろうか。
若い頃、後輩達に正しさを語っていた事は、今になるとただの僕の好き嫌いだったんだと思い出される。潜在的な好き嫌いを、意識の上で理論を組み立てる私の性。
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