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.国際  投稿日:2016/10/3

象徴天皇は私たちがつくった その1 米軍将校が書いた日本国憲法


古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

「天皇を『国の象徴』とか『国民統合の象徴』とする表現は実は私たちがふっと考えて、作り出したものなのです」――
 
この衝撃的な言葉を聞いたときの自分自身の動揺はいまも忘れられない。日本国憲法を書いた日本占領の連合国軍総司令部(GHQ)の民政局次長で米陸軍大佐だったチャールズ・ケーディス氏が直接、私に語った言葉だった。
 
天皇陛下が生前退位の意向を示唆するビデオメッセージがこの2016年8月8日にテレビで流されて、いまの日本では天皇のあり方、天皇制のあるべき姿をめぐる議論が熱っぽく語られるようになった。日本という国家、日本人という民族の精神的な支柱となってきた天皇はこれからどのような立場を保たれていくのか。
 
いまの論議で皇室の2千数百年もの歴史にまでさかのぼっての国民的な考察がなされることも不自然ではない。日本が近代国家として出発した明治時代からの天皇制のあり様を検証することも、いまの平成時代の天皇制論議には有益だろう。世界でも冠たる日本の皇室の悠久の流れは日本の歴史そのものともいえる貴重な重みを持つことも言を俟たない。
 
しかしその一方、いまある天皇制が第二次世界大戦での敗北後の日本で戦勝国アメリカの意を体した占領米軍によって形づくられたという歴史も否定できない。その冷厳な事実もこの際、想起しなければならないと思う。
 
いま現在、私たちの目前にある天皇陛下を頂点とする皇室のあり方は、その占領米軍が作った日本国憲法によって形成されたのである。しかもそれまでの長い歳月の天皇のあり方を根幹から変える改造の手が戦勝国によって加えられたのだ。
 
日本国の一員として天皇陛下への最大限の敬愛の意を表しながらあえて述べるならば、やはりいまの天皇制は日本を占領したアメリカによって改変された結果の産物であることを認識するべきだろう。
 
これからの天皇制の形を考えるときに、いまの天皇制の出自といえる部分のそのアメリカによる改変作業の実態を改めて認知することも欠かせないだろう。皇室に関して日本古来の伝統だとばかりにみえた特徴が実は占領米軍による加工の結果だったという側面もあるのである。
 
天皇のあり方は日本国憲法第一章で規定されている。その日本国憲法草案はアメリカ軍将校たちによって書かれた。だからこそ現代の天皇制を未来に向かって考えるとき、その拠ってきたる出発点の憲法起草の実情を検証することも大切だろう。
 
こうした考えを踏まえて、当時のアメリカ側の憲法起草者たちが日本の天皇制についてどんな指針に基づき、なにを根拠に、なにを考えて、その憲法第一章を書いたのか、その一端をある種の歴史の証人として報告しておきたい。
 
私がここで「歴史の証人」などというおおげさな言葉を使うのは、日本国憲法草案作成の実務責任者だったチャールズ・ケーディス氏に直接に会って、一問一答の形でその作成の実情を尋ねた体験があるからである。しかもたっぷり時間をかけてのインタビューだった。ケーディス氏はもう故人であり、同氏にせよ、他の憲法作成参加者にせよ、アメリカ側の当事者に直接、話を聞いた日本人はいまやきわめて少ないことも付記しておこう。
 
まず最初に日本占領時代に日本国憲法が米軍司令部により作成された歴史の経緯を簡単に述べよう。
 
当時の日本の占領統治の当事者は「連合国軍」と公式には呼ばれても実際には米軍だった。GHQも米軍の最高司令官、つまりダグラス・マッカーサー将軍の指揮下にあった。
 
GHQは1946年(昭和二十一年)2月、急遽、日本の憲法案を作成した。「急遽」というのはマッカーサー司令官は当初、戦後の日本の新憲法を日本側に自主的に書かせることを指示していたが、その草案ができあがったのをみて、不満足と断じ、急にそれではアメリカ側が作るという決断を下したからだった。
 
草案の実際の作成作業はGHQの民政局に下命された。民政局の局長はコートニー・ホイットニー米陸軍准将だった。そのすぐ下の次長がケーディス氏だったのである。同氏を責任者とする憲法起草班がすぐ組織された。法務体験者を中心とする20数人の米軍将校たちが主体だった。日本人は一人もいなかった。
 
憲法起草班は1946年2月3日からの10日間で一気に草案を書きあげた。作業の場所は東京中心部、皇居に近い第一生命ビルだった。
 
いまの天皇や天皇制の特徴づけもこのアメリカ製の憲法草案でできあがったというのが歴史の冷厳な事実なのである。
 
その2に続く。全5回。毎日午後11時にアップ予定。この論文は月刊雑誌WILL2016年11月号からの転載です。)

この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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