トランプ大統領を誕生させた選挙人制度 世界の選挙事情 その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
トランプ大統領誕生まで、あと1ヶ月ほど。今もって全米各地で抗議の声が聞かれるが、たしかに就任前からこれほど嫌われた大統領というのも、あまり例がないだろう。選挙人制度という、米国大統領選挙独特のシステムがなければ当選できなかった、という事実があるだけに、なおさら反感を買っていることは間違いない。
どういうことかと言うと、今次の選挙において、総得票数ではヒラリー・クリントン候補の方が、トランプ候補よりも200万票ほど多く獲得したのである。しかしながら、米国の大統領選挙では、各州ごとに選挙人が選出されており、各州で一番多く票を集めた候補者が、その州の選挙人の票を総取りできる、というシステムだ。
強いて説明をするならば、「米国大統領は一人一票の公選制で選ばれるというタテマエだが、実のところは単純小選挙区制の考え方を採り入れた間接選挙になっている」とでもなるが、これでも日本人にはなかなか分かりづらい。世界にあまり例を見ないシステムだからだ。
この制度は、アメリカ合衆国憲法の発効(1787年9月18日)と同時にはじまったものだが、なぜこのような制度が考え出されたのか。理由のひとつは、唐突なようだが、大統領選挙の投票日が火曜日と定められていることと関係がある。敬虔なクリスチャンが多い(なにしろ清教徒が築いた国だ)あの国では、日曜日は安息日であり教会のミサに行く日だという考え方が今も根強く、投票日には適さない。
なおかつだだっ広いので、かつては馬か馬車で一日移動しないと投票所に行けない例も多かった。そこで月曜日に移動して火曜日に投票、という習慣が出来上がったというわけだ。とどのつまり、広大すぎるほどの国土において、かつては交通や通信の技術も未発達であったことから、そもそも直接民主主義が根付きがたい事情があった。
もうひとつの理由は、奴隷制度である。建国当時の南部諸州においては、総人口のおよそ80%を奴隷が占めていたと言われるが、彼らに選挙権を与えようと考える白人は、まずいなかった。と言って、白人だけで選挙をしたならば、相対的に白人人口の少ない南部諸州の発言力が制限されてしまう。
そこで、奴隷一人を白人の五分の三人とカウントし、なおかつ各州において人望のある学識経験者などの投票に反映させるという、間接選挙的なシステムが考え出された、というわけだ。まことに民主的ではないか。……いや、このように皮肉のひとつも言いたくなるほど、本当のところ情報も人権も制限されていた時代の遺物なのである。
今次の選挙結果を受けて、主として苦杯をなめた民主党の側から、制度の見直しを求める声が聞かれるようになったことは、当然の成り行きではある。しかしながら現実には、この制度はまだ当分の間、変えられることはないであろう、と見る向きが圧倒的に多い。世上よく言われるのは、この制度のおかげで米国の二大政党制が確立してきたという歴史があるため、共和党・民主党いずれも、本気で変えるつもりはない、ということだ。
もうひとつ、憲法に明記された制度である以上、変えるためには憲法改正が不可欠の条件となるわけだが、合衆国憲法には、そもそも改正条項が存在せず、修正第X条……というように末尾に書き加えて行く「加憲」方式が採られている。しかも連邦国家であるため、各州の批准が条件となる。考えようでは、硬性憲法とされる日本国憲法よりも、全面改正のハードルは高いので、事実問題として、毎年数百件の修正条項が提起されるものの、これまで批准に至ったのは数えるほどしかない。
他国の憲法問題であるから、ここでこれ以上立ち入った議論は避けたいと思うが、歴史的な背景に問題はあるにせよ、現在はこの制度が生きていることは事実なのである。そもそも、選挙制度にいささか問題があるからと言って、トランプ候補が集めた票を無視してよいという道理はあるまい。もはや結果は明白なのであって、来年以降の日本は、否応なくトランプ政権と向き合って行かねばならないのだ。
次回は、英国の選挙制度について述べたい。
(その2、も合わせてお読み下さい。)
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。