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.社会  投稿日:2016/12/1

五輪に年齢制限の何故? 年齢と権利義務の世界事情 その4


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

今月24日の話だが、全国のサッカー・ファンが驚き喜ぶニュースが飛び込んできた。アルゼンチンに遠征するU19(19歳以下)の日本代表に、15歳の久保健英が「飛び級」で招集されたのだ。彼はもともと、世界的に有名なスペインのFCバルセロナの下部組織カンテラに所属していたが、同クラブが、18歳以下の選手保有について問題ありとされたため、帰国したもの。その後、中学生でありながらFC東京に選手登録され、U16日本代表では主力となっている。

女子サッカーも、リオデジャネイロ五輪出場を逃してしまい、人気に陰りが出るかと思いきや、U19の「ヤングなでしこ」がブラジルを撃破。2020年東京五輪のサッカー日本代表は、すごいことになりそうだ。

もちろん、この先まだなにがあるか分からないが、 本シリーズでは、様々な年齢制限にスポットを当てているので、五輪サッカーがなぜ23歳以下という出場規定を設けているのか、あらためて考えてみるとしよう。と言っても、実は五輪憲章には、年齢制限など一字たりとも書かれていない。各種目の団体が、独自の判断で年齢制限を設けているのである。

サッカーの場合、歴史的な流れがあって、1960年代から70年代にかけて、五輪のメダルをソ連・東欧諸国が独占するという事態が、まず起きた。当時はソ連をはじめ社会主義国家ばかりであり、サッカークラブも「公営企業」で、選手は「公務員」であった。これだと、五輪憲章に明記されていたアマチュア規定に抵触しない。一方、西側諸国の五輪代表は、規定によりプロ選手を排除していた。この結果、ワールドカップに出てくるような「アマチュア」と、本物のアマチュアが試合をするという、どだい無茶な大会となってしまったのだ。

これが理由の全てではないが、1970年代以降、プロ選手の五輪出場を認めるべきだとの声は高まる一方で、1974年に五輪憲章からアマチュア規定は削除される。ただ、4年ごとの大会だという事情もあって、本格的にプロ選手が活躍しはじめるのは、1984年ロサンゼルス大会からであった。

サッカーもこの動きと無関係ではいられなかったが、ここで五輪を運営するIOC(国際オリンピック委員会)と、サッカーの競技団体であるFIFA(世界サッカー連盟)の対立が表面化する。FIFAにしてみれば、最高峰のサッカーの世界大会は、ワールドカップ以外に存在してはならなかった。

この結果、まず1994年バルセロナ五輪から、プロ選手の出場を認めるようにはなったものの、23歳以下という年齢制限を設けた。その後、いわゆるオーバーエイジ枠が設けられ、3人まで23歳以上の選手の出場を認めている。

他にも、ボクシングは危険を伴うからか、17歳以上34歳以下という制限を設けている。大会・種目を問わず上限があるのは珍しい。

スケート連盟では、スピード・フィギュアともに15歳以上としており、しかも、大会前年の6月30日段階で満15歳以上であること、という細則まである。浅田真央選手が、かつてこの規定に62日間だけ足りなかったために、五輪出場の機会を逃してしまった。その際、あの琴欧洲関が、「14歳が選手としてのピークかも知れないのに、おかしな規定だ」とコメントした。実は彼も、レスリングのブルガリア代表候補でありながら、年齢制限で涙を呑んだ経験があるのだという。

たしかに、14歳で金メダルを獲得した岩崎恭子選手のような例もあるわけで、琴欧洲関のコメントにも一理あると、個人的には思う。

ただ、サッカーに話を戻すと、歴戦のプロ選手ばかりではない方が、色々な国に優勝のチャンスがある分だけ面白い、ということもまた事実なので、微妙なところだとしか言いようがない。

他に、年齢制限にまつわる面白い話はないかと、色々調べてみたところ、昨今話題のキラキラネームにからんで、子供がもし、「こんな名前、嫌だ」と言い張った場合、家庭裁判所においては15歳から自分の意志での改名が認められると知り、ちょっと驚いた。未成年にそんな権利はないだろう、とばかり思っていたのだ。しかし、よく考えてみれば、名前のことでからかわれたりするのは、どちらかと言えば幼少期のことであろうから、これはこれで根拠のある規定なのかも知れない。

刑罰を含め、様々な権利義務が年齢によって区切られているわけだが、とどのつまりは、「どこかで線引きをしなければならないから、適当に区切っている」と言われても仕方ないのが実情で、今後とも、社会の要請にそぐわない年齢制限は、どんどん無くなって行くであろうし、それでよいのだ。五輪憲章からアマチュア規定が外されようが、年齢制限が持ち込まれようが、そのことで我々がなにか不利益を被るわけではないのだから。

その1その2その3も合わせてお読み下さい。)


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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