人は得る事より、損失を回避したがる〜“勝負強い選手”は勝負で負けようが勝とうが「自分には価値がある」という自己確信がある。
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆本当の勝負強さ◆
僕は中学時代に能力が相当に図抜けていて、ほぼ、他の中学生には負ける事がなかった。リレー競技のアンカーではどんな差でも必ず逆転したし、ここぞ勝負という時にはいつも結果を出していた。だから僕は特別に勝負強い人間なんだと信じていた。
しかし、僕は早熟だったから20歳を過ぎたあたりで他の選手と実力が拮抗してくると、急に勝負の感覚が変わった気がした。特にトップランナーになってからは、国内においては勝ちたいというより、負けてはいけないという感覚が強くなった。
思えば若い時は、勝負が怖くなかった。負けても大した事がなく、勝てばすごいと褒められる。勝負では失うものより得るものが多いと感じられた。ところが勝利を期待される側にまわると今度は勝負で失うものがどんどんと大きくなった。
「人は得る事より、損失を回避したがる」という行動経済学の実験があるけれど、同じ勝利でも手に入って当たり前と思っている人と、手に入ったら儲けものと思っている人では感覚が全然違う。手に入るはずのものが手に入らないというのは感覚としては損失に近く、そして損失は怖い。
本当の勝負が始まるのは期待されてから。期待の量が大きければ大きいほど負けた時の失望も大きい。何かを代表した時には、代表している社会が大きければ大きいほど、期待も大きい。”勝ちたい”がいつの間にか”勝たなければならない”に変わる。
皮肉な事に、勝負強い選手は、勝負で負けようが勝とうが自分には価値があるという自己確信がある。勝ち負けが自分の全てだと思う人は、勝負で失うものが大きすぎて肩に力が入り、動きがぎこちなくなり、結果、力が出なかったように思う。
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