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.経済  投稿日:2017/3/25

日本解凍法案大綱 11章 社長解任


牛島信(弁護士)

健助と柴乃の結婚の披露宴は向島運輸という会社が取りしきった。昭和50年代の初めのことなのだ。未だそんな時代だった。中小企業の跡取りが結婚するとなれば、会社の行事にならずにはいなかったのだ。

しかし、向島運輸は不動産管理会社に変身してしまっていて、顧客、なかでもほんの少しでもご機嫌を損じてしまっては商売が立ち行かなくなるといった大切なお客さまというものの存在しない会社になっていた。そうした向島運輸にしては、式は異例とも思わせるほど盛大なものだった。健助夫妻が都心の一流ホテルという場所で地元へのお披露目を果たす、といった感があった。衆議院議員や都会議員、区長や区会議員、それに地域の商工会議所の会頭や商工会の会長、医師会長、税理士会長といった人々が出席していた。誰もが三津田作次郎のために出席していたのだ。

だが、祝辞を注意深く聞いていた者は、彼らが三津田作次郎と縁があればこそ披露宴に出席したどころか、作次郎に向かって「良い嫁が来てくれてよかった」と異口同音に繰り返すことに気づいたにちがいない。確かに奇妙な雰囲気がそこにはあった。

新郎の梶田健助は、そうしたことになにひとつ気づかず、学生時代の友人たちに囲まれて学生のころそのままの歓びの気分を横溢させていた。

もう、あの日から数十年が経っている。

株の買い取りを健助に断られてしまった沙織は、健助の妻である柴乃に頼んでみることにした。健助が不在のときを狙って、沙織は梶田夫妻の渋谷区広尾2丁目にある豪壮な一戸建てを訪ねたのだ。突然の訪問だった。

玄関口で、訪問の目的が会社の株を買い取って欲しいということだと沙織が切り出すと、紫乃の顔からお愛想の微笑みが消えた。沙織が「あなたなら会社の経理がわかっているから」と言い始めると、あからさまな切り口上で紫乃からの答が返ってきた。

「私は会社のことはなにも存じません。あなたなら経理がわかるでしょうって奥様はおっしゃいますが、それは昔むかしのことです。いまではあの会社の帳簿はすべて中川先生が見ていらっしゃいます。私みたいな素人の出る幕なんかありません」

沙織に対して柴乃は迷惑そうな表情を少しも隠さなかった。

業を煮やした沙織は、

「ええ、よーくわかりました。とんだご迷惑様でしたね」

強い口調で言い返し、くるりと背中を向けた。それが沙織にできた精一杯の仕返しだった。

厚くて重い木製の二枚扉の玄関を出て門へ向かって歩き始めると、沙織の後ろで大きな音がしてドアが閉まった。

幼馴染の川野純代が株を思いもかけず売ることができたと自慢話をしたのは、小学校の同級生仲間のいつもの月一回と決まったマージャンの席だった。88歳の老女が5人、順繰りに4人のメンバーになってマージャンに興じるのだ。賭け金は勝っても負けても100円を超えることはなかったが、少女時代に戻っての遠慮のないやりとりが果てしなく何時間も続くのだ。

純代の話を聞いて、沙織は胸が騒いだ。その場でハンドバッグからスマホをつかみ出すと、聞いたばかりの「社団法人同族会社ガバナンス協会」という名前の団体のホームページにアクセスした。そしてマージャンの合間に急いで電話をした。理事長だという高野敬夫という男と話すことができた。

高野は三津田沙織の名前と会社の名前と住所を聞きとると、とてもていねいな口調で「すぐに大木弁護士に相談してみましょう」と言ってくれた。少し低音気味のバリトンで、耳に残る声だった。

1,2分ほどで電話が返って来た。面談の日取りの手配が完了したと言う。

沙織は夢を見ているような気がした。

高野から「大木弁護士に会う際には、手元にある3年分の株主総会の資料を持って来るようにしてくださいね。貸借対照表とか損益計算書とか表題が書いてありますからわかると思います」と念押しをされ、どうやら自分がいまの窮状から助かるのかもしれないという気持ちがぼんやりとながらも湧き上がってきた。

高野の連絡を受けた大木弁護士の下では、西田弁護士がサブチームの面々とともに直ちに活動を始めた。

株主の構成は以下のとおりだった。

三津田沙織本人が12%の株を持っているほか、沙織の息子と娘がそれぞれ4%を持っている。

しかし、沙織とその家族の株は少数株で、主な株主は社長の梶田健助だった。

梶田健助が自分が社長をしている会社の名義で51%の株を持っている。51%以上のオーナー株主が甥なのだ。簡単に相続税法上の評価でいう「同族株主」というカテゴリーに入れられてしまう。だから、沙織の相続人には大日本除虫菊の悲劇が起こるかもしれないのだ。

他にも縁戚か運輸事業をやっていたころの小さな取引先が小さな株主だった。それが合計で37%になった。

向島運輸という会社は、名前に運輸という字があっても実態は不動産をもってそれを賃貸しているだけの会社に切り替わって長い時が経っている。会社というのはそういうものなのだ。事業の目的が時代に見捨てられれば、会社を解散して残った財産を株主に分けることもできる。だが、経営者がいるかぎり、そこで暮らしている自分や従業員の生活を守ろうと、事業の中身を入れ替えてでも生き延びようとする。三津田作次郎はそれをやったのだ。

向島運輸のように土地をたくさん持っている会社は税務署から「土地保有特定会社」と呼ばれていて、梶田健助が会社名義で持っている株式には純資産を基準に相続税がかかってくる。それも時価による純資産だから、いい場所に土地を持っている会社の評価は厖大なものになりがちだ。向島運輸はまさにそれに当たっていた。

ところが配当は一株あたり年に50円とハンで押したように何年も変わっていなかった。

西田弁護士のチームで検討した結果、三津田沙織が12%の株を持っていることから臨時株主総会を開くことが検討課題となった。株主総会を開いて先ず増配を要求してはどうかということになったのだ。

株式会社では3%以上の株を持っていれば、いつでも株主総会の開催を請求できる。会社は断ることができない。請求して8週間以内に開かなければ、株主が自分で裁判所に開催の許可を申請することができるからだ。許可は直ぐに出る。株主の権利なのだ。裁判所はそれを保護するためにある。裁判官はそうすることが自分の義務だと信じている人たちだった。

会計帳簿の閲覧権も株主の大きな武器だった。これも3%以上の株主なら誰でもが持っている権利だった。

「この会社はもっと株主に報いることができますよ。配当でも自己株買いでも。

まったく同族ってことにあぐらをかいている、ひどい社長です。

株主としての権利行使をして、経営者に反省を迫りましょう。社外取締役を入れろ、っていうのもいいかもしれないです。

株を売るかどうかは、それからです」

桃井弁護士が憤慨したように内部の会議で報告した。

桃井弁護士が、昼間に三津田沙織へ電話をかけたときには返事がなかった。

ところが、深夜の12時になって電話が返ってきたのだ。事務所にいて資料の山と格闘していた桃井弁護士が電話に出ると、電話をかけた三津田沙織の方がびっくりした様子で、

「あら、まあ、先生、未だいらしたんですか。こんな真夜中に」

と、遅い時刻の電話を詫びるまえに驚きの声をあげた。

「ええ、今日中に片付けてしまいたい仕事がありまして」

桃井は思ったとおりを口にした。大木の事務所では、急ぎの事件があれば夜の12時に依頼者が電話しても担当の弁護士に連絡がつくのは当たり前だった。しかし、そうやって真夜中まで働く人がいることに慣れていない沙織には、なんとも鮮烈なやり取りだった。

「あそこの事務所の弁護士さんたちは、本当に依頼した人間のために一生懸命になってくれる」

沙織は深夜もかえりみずに川野純代に電話せずにおれなかった。どうせ純代も起きているに決まっていた。

「ね、だから言ったろう」

純代の答えは、いったいなにを自慢しているのかわからなかったが、沙織の話を我がことのように喜んでいた。

桃井弁護士の用件は、会計帳簿についてだった。

株主総会の議題に、社長の梶田健助の取締役解任があった。三津田沙織が株主として提案したのだ。もちろん、桃井弁護士が沙織に代わってやったことだった。社長が取締役を解任されれば自動的に社長でなくなる。会社は法律に決まっていることだから取り上げざるを得ない。梶田健助が社長を兼ねている会社が51%の株を持っているのだ。可決される可能性は事実上ゼロだ。しかし、解任の議案説明をする機会をもつことができる。否決されたとしても、今度は解任の訴えを提起することもできるのだ。会社法というものは、懇切丁寧にできているといってよい。

その良い例がこの854条だった。

<役員の職務の執行に関し不正の行為または法令もしくは定款に違反する重大な事実があったにもかかわらず、取締役を解任する議案が株主総会で否決されたとき>には、30日以内に株主は裁判所に解任を訴えでることができるようになっているのだ。

実のところ、臨時株主総会の開催はこの解任の訴えを提起するための手続きの一環に過ぎないともいえた。

たまたま向島運輸の場合には、5月には開催される定時株主総会が迫っていたので、桃井弁護士が、臨時株主総会の開催要求ではなく、定時株主総会に議題提案権を使うことを事務所内部の作戦会議で提案してそのとおりになった。定時株主総会の8週間前までに取締役の解任を議題とするよう会社に請求しておけば、会社はその議題を取り上げる義務が生ずるのだ。もし無視すれば、臨時株主総会の開催を裁判所に頼んでむりやりにでも株主総会を開くことができるから、会社は法律どおりにする理由があった。定時総会への議題提案なら3%も要らない。1%の株でよい。いずれにしても沙織には十分に資格があった。

向島運輸へ出かけて会計帳簿を閲覧してきたのは桃井弁護士だった。桃井弁護士は、梶田代表取締役社長に不正の行為があったと立証できるはっきりとした証拠を掴んできた。その確認のために、どうしても三津田沙織と話す必要があったのだ。それで桃井弁護士は昼間に小躍りしながら電話をかけたのだった。

桃井弁護士の弾んだ声が、深夜の静かな事務所に木霊した。

「では、この中野光江という女性が先日話されていた女性なのですね」

「はい」

それだけのやり取りだった。

固定電話の受話器を置くと、桃井弁護士は右手を上げてガッツ・ポーズをしたまま西田弁護士の部屋に駆け込んでいった。

 (12章に続く。最初から読みたい方はこちら


この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

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