.経済  投稿日:2017/3/19

「日本解凍法案大綱」10章 株主総会 社長の首を挿げ替える その2

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牛島信(弁護士)

沙織は目の前が真っ暗になって、世田谷区の上町に住んでいた姉に相談した。沙織としてみれば、3億4000万円なら土地の一部を売ればなんとかなるのではないかと思って、そう税理士に相談してみたのだ。ところが税理士は、いやそれでは売った土地にまた税金がかかりますと恐ろしいことを言った。沙織にはなにがなんだかわからなかった。

姉の夫は梶田修一という名で、地方の国立大学を出てから渋谷区役所に勤めていた。

相続税で税理士に会って以来、すっかり動転してしまった沙織は、梶田夫妻を訪ね、梶田修一に会社の社長を引き受けてくれるように頼んだのだ。しかし梶田修一はテーブルの向こうで茶をすするばかりで、黙ったままなんの返事もしてくれなかった。帰り際、鉄のドアの手前の玄関先で二人きりになったとき、姉の初代が「さっちゃん、もう一回私から亭主に話してみるから。あの人ももう年金が入る歳になってるんだし、次男坊の健助が会社のお世話になってるんだし。大丈夫。あの人だって、健助が会社を切り回せるようになるまでは誰かがやるっきゃないってわかってるから」

そう言ってくれた。

もともと沙織ら夫婦には子どもがいなかったことから、沙織と姉の初代の間では、沙織の夫が亡くなる前から、初代と修一の次男である梶田健助が向島運輸の将来を引き継いでくれたらいいという思いがあったのだ。だから、司法試験を目指しているという健助が大学を出てずるずると向島運輸に入社するのも、誰もが当たり前のように受け入れたのだ。

結局、梶田修一が区役所を定年前に辞めて向島運輸の社長をやってくれることになった。

妻のねばり勝ちだった。

夫は、晩酌を済ませて疲れた体を布団のなかで伸ばすたびに、隣の布団にから「ねえ、あなた、だめえ?ねええ」と毎晩、妻の言葉に攻め立てられたのだ。陥落するまでに1週間とかからなかった。

「そうだな。ま、俺も役所の年金も入ってくる年になっているからな。食いっぱぐれることはないか」と夫が言葉を漏らすと、妻は、

「そうよ、それがいい。今度は定年もない、気楽な仕事だし。そのうち健助がなにもかもやってくれるし」

と言って、夫の手を握った。

こうして、沙織から頼むようにして社長になってもらったのだった。

向島運輸という会社にはそれほどの資産があるということだった。梶田修一は社長になったあと、バブルの時代、「ウチの資産は50億は超えているからね。銀行がうるさくってたまらん」と口癖のように言っていた。そう愚痴ってみせてから最後には「とにかく財産を減らさないのが俺の仕事だ」と付け加えるあたりは、区役所に勤めていたときと少しも変わらない調子だった。

梶田修一が社長になってくれて、向島運輸のことからすっかり解放されてしまった沙織は、周囲からメリー・ウィドウだという評判がたつような元気な暮らしぶりだった。贅沢はしないことに決めていた。もうお金の苦労は相続税だけでこりごりだったのだ。それに、悲しんだところで夫が帰ってくるわけでもないと割り切ってもいた。身分相応に生きている間は生きていよう、と心がけ、日々亡くなった夫のお蔭で今の暮らしがあると感謝していた。

梶田修一は平成7年、1995年に75歳で亡くなった。

修一が亡くなったときには梶田修一と初代の次男である梶田健助が向島運輸に入っていて、もう20年近くが経っていた。当然のように健助が社長を継ぎ、沙織は相変わらず会社のことなどすっかり忘れて暮らしていた。毎年100万円の金が会社から入ってくる。それが配当なのか取締役報酬なのかも沙織は気にしたことがなかった。税金のことなど考えたくもなかったし、実際、考えたこともなかった。

三津田沙織という女性は、56歳のとき夫が亡くなって以来、生活の心配をすることがないままに年老いてしまったのだった。

梶田健助は父親が亡くなったときには40歳だった。健助が向島運輸に入ってしばらくして創業者の三津田作次郎が亡くなって、父親の修一が地方公務員から不動産会社の社長に転身したのだ。そのときには、健助は、義理の叔父である三津田作次郎から一種奨学金でももらうような格好で、向島運輸の形ばかりの従業員になって司法試験の勉強を続けていたところだった。

2つ違いの兄は大学で化学を学んで大きな会社に入り、技術屋として研究所で亀の甲を相手に浮世離れした人生を送っていた。健助は、一応私立の法学部に入って司法試験を目指すと称して、遊んでばかりいた。友人たちが就職に走り回っているのを、自分は司法試験を受けるのだから違うのだと冷ややかに眺めているうちに、どうやら司法試験に合格などとんでもない夢だと気づかされてしまったのだ。

「じゃあ、会社に入って司法試験の勉強を続けるか」

義理の叔父である三津田作次郎にそう言われて、健助には一も二もなかった。

司法試験の勉強をしているといえば、両親も叔母夫妻もそれだけで上機嫌だった。だから、それを口実に家を空け、会社から当然のように銀行に振り込まれる給料をすべて競馬につぎこんでいた。受験予備校に行くと言って家を出ると競馬場に出かけた。

24歳で、向島運輸にいた出戻りの会計係と深い仲になり、結婚した。三津田作次郎が亡くなってからは司法試験は放り出してますます競馬に熱を上げるようになっていた。

質素と倹約だけを生きがいに平穏無事に社長業を営んで暮らしてきた父親が亡くなってからは、40歳の健助はもはや誰はばかるところのない気ままな人生を送ることができる身分になっていた。父親のおかげで向島運輸の資産は100億を超えるまでに増えており、家賃だけで年に3億からの収入があったのだ。柴乃と子ども2人の家庭の出費の他には、三津田沙織と梶田初世の二人に生活資金を送ってしまうと、税金の他にはなにも出費がない会社なのだ。

そのうちに梶田健助は大っぴらに遊び暮らすようになっていった。沙織の耳にまで女性関係の噂がひんぴんと入ってくるほどだった。

沙織は配当を年に400万もらうほか、姉といっしょに取締役として名を連ねていることで、向島運輸から年に1500万円の報酬を貰っていた。手取りで月100万になること以外、沙織には関係のないことばかりだった。

姉が2006年に亡くなった。それを潮に、取締役ではなくなってしまい、したがって取締役としての報酬はなくなってしまった。

それでも、その年から年に400万だった配当が年に1400万円に上がったから差し引きはゼロということで、沙織の生活にはなんの変化もなかった。

ところが、2014年になってその配当が減らされてしまったのだ。

年1400万円の配当が700万円に減らされてしまった。なんの挨拶もなく、突然にそうなったと紙切れで伝えられた。否も応もなかった。株主総会もなにもなく、ただこう決まったと書類が送られてきたのだ。確かに銀行口座に入っている額が減額のあった事実を無不愛想に示していた。

沙織は不安の塊になってしまった。亡き夫が創った会社なのに、今では甥が独りでなにもかも決めていて、他の株主たちは何一つ文句を言わない。従業員といっても不動産の管理をしているだけの会社なのだ。10人ほどだった。甥の梶田健助はなにか困ったことがあると夫も使っていた顧問税理士の中川庄太に相談している風だった。

沙織は安泰なはずの、亡くなった夫が沙織のために残してくれた生活のたつきがいったいどうなっているのか、自分がなにも知らないでいることに恐れおののいた。なにも事情が分からないままに、つぎつぎと岩のように固かったはずのものが急に溶けだしてしまったような、際限のない恐怖だった。毎月の銀行口座への入金では足りないのだ。いったいどうしたらいいのか。

自分はなにを頼りに生きていたのか。夫の残してくれたものは何だったのか。

向島運輸という会社だった。正確には向島運輸という会社の株だった。

しかし、その会社は甥の個人会社になってしまったようで、700万の配当だっていつなくなってしまうのかわかりはしない。

思い切って甥の梶田健助を訪ねて、手持ちの株の買い取りを頼んでみた。

「え、株の買い取り?

そんな金、どこにもありませんよ」

とすげなかった。

しかたがなく、沙織は梶田健助の妻の梶田柴乃に頼んでみるしかなくなってしまった。

柴乃は、まだ大津柴乃といったころ、生前の夫が採用した会計係だったから、向島運輸の会社についての数字にも明るいだろうと思ったのだ。

沙織にしてみると、柴乃に頼み事をすることには大きな抵抗感があった。夫の生前、柴乃は夫と男女関係があるという噂が社内であったのだ。

柴乃は夫の健助よりも2つ年上だった。18で群馬の高校を出ると未だ運輸の仕事が盛んだった向島運輸に入った。2年ほどで結婚して退職したのが、直ぐに別れてしまって、また向島運輸に戻ってきた。離婚の原因も、社長の作次郎との関係が夫にばれたからだと社内では噂されていた。それどころか口さがない連中のなかには、結婚してからも作次郎と柴乃の関係は続いて、それが離婚の原因だったなどと見たように触れ回る者もあった。

健助が大学を出て、もうそのころには運輸業を廃止して不動産業の会社になっていた向島運輸に入社したことからして沙織には不思議な感じがしたものだった。よほどの理由がなければ、不動産の賃貸が主な事業に替わってしまった向島運輸などという小さな会社に大学を出てまで入ったりはしないのではないかと思ったのだ。自分の甥は司法試験という難しい国家試験を受けているからなのだ、夫がそれを自分のことのようによろこんでいるからなのだと、子どものころからの健助を知っていた沙織は考えるしかなかった。

未だ夫が生きていたころ、沙織は夫にたずねたことがあった。

「健助って子、あなたの会社を継ぐ器量がある子なの?」

夫は、

「うちみたいな不動産を貸してるだけの会社、女でも子どもでもやっていけるさ。あいつは司法試験を受けるって言っているからな。立派なものだ」

とぶっきらぼうに答えた。何か変、と感じたが、そのままにしていた。

その健助が会社に入ってから直ぐに年上の柴乃と付き合いを始め、夫も健助の父親の梶田健一も上機嫌で健助と紫乃の話をするのを聞きながら、沙織は改めて不思議な気がしてならなかった。夫と紫乃の噂は本当ではないのか。本当なら、いったい夫の心のなかにはなにが隠れているのか。沙織には想像もつかなかった。

11章 に続く。最初から読みたい方はこちら

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この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ1975年:東京大学法学部卒業1977~1979年:検事(東京地方検察庁他)1979~1985年:弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事。)1985年~:牛島法律事務所開設2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更(現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士51名(内3名が外国弁護士)<専門分野>企業合併・買収、一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。

牛島総合法律事務所「少数株主対策チーム」 URL: http://unlistedstock.jp/

 

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牛島信

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