<政治家や経営者を見る目>「良心的な肩書き」がその人物の「良心」を保証するわけではない〜政治にも経済にも肩書きに惑わされない真贋を見極める目を持とう
水野友貴(千葉県我孫子市議会議員 )
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このところ、ねつ造や、盗作やゴーストライターといった、人の善意や良心を踏みにじったり、社会の信頼性に疑念を持たせるような問題や事件が散見している。
NPO法人「大雪りばぁねっと。」の横領事件、佐村河内守氏による「作曲/障害偽装問題」、大学教授による論文盗用、偽皇族による「有栖川宮詐欺事件」の事件など、数えたらきりがない。これらに共通していることは、NPO活動や芸術活動といった「人の心の隙間に訴えかけるような手法」を活用しているということだろう。
私たちは、社会貢献活動や文化活動、芸術活動あるいは、社会的ステイタスの高そうに見える存在や活動に対しては、どうしても「性善説」的に見てしまう傾向があることは否めない。そういった私たちのメンタリティに、偽ボランティア団体や、偽芸術家、偽貴族たちの詐欺行為がつけ込んでくる。
それは、政治家・経営者・起業家というステイタスの高い肩書きや看板を持ち、社会的な倫理や道徳などが強く求められるような職業であっても例外ではない。私は職業柄、そういった人たちの「裏側」や「私生活」を知る機会が多い。様々な噂や告発などを受け取ることも日常茶飯事だ。
そのような生活をしていると、一部の政治家・経営者・起業家、特に、現在、社会的に注目を集め、社会的な活動を展開している人たちの中にも、その「裏側」と「表面的な顔」とが著しく乖離している人が存在していることに驚かされる。
例えば、政治家で言えば、時流に合わせてどんどんと政党を変えていくような人は、その典型だ。しかし、マスコミなどを利用した巧みな自己宣伝をうまくやり、落選を免れるばかりか、むしろ益々出世してしまうような人もいる。有権者を欺いていることに気づかれないほどのテクニックを持っているのだ。
それは経営者や起業家であっても同様だ。近年、社会貢献につながるようなビジネスや、地域や若者の支援につながるようなビジネスを謳っている企業や組織は少なくない。もちろん、そういったことが社会のニーズとして求められていることもあるだろう。純粋に素晴らしい活動に取り組み、重要な役割を果たしている会社や組織は数多く存在していることも知っている。本当に頭の下がるような人物もたくさん知っている。
その一方で、虚飾にまみれた組織や会社、人物たちがいることもまた事実である。このような場合、私たちはマスコミ報道などから、その企業や人に対して、「社会貢献を標榜しているビジネスだから、経営者は立派な人だ」と思ってしまう。
しかし、当然のことながら、社会貢献活動をビジネスモデルに組み込んでいるからといって、その経営者の人格が清廉潔白であるとは限らないし、採算度外視のボランティアであるわけでもない。むしろ、消費者ばかりか、関係者までも欺いているにも関わらず、社会的にはその業界におけるホープ、リーダーと呼ばれているような人がいることを知り、背筋が凍る思いをしたことさえある。
この日本において欠如しているのは、こういった企業や人の「チェック」である。それを彼らは知っているし、そのチェックを同じ種類の人間にやらせ、あたかもしっかりと機能しているように見せかけている。言わずもがな、議会というのは役所のチェック機関の役割を果たす。だから私は大切な市民の為に「議員」という職でチェックを隅から隅までしているのだ。
もちろん、マスコミもこれに加担している部分もある。ではどうしたら良いのか。メディアで目にする人や記事に対し、自分の目をしっかりと見開き、事実を追求し、過去を忘れないこと、そして自分でチェックすることしかない。
いつ自分が被害者になるかわからない。肩書きや看板に惑わされず、表面的話術に誤魔化されず、明日は我が身と危機感をもって、我々政治家を含め、真贋を見分ける目を養うことだ。
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