歴史は語る 福島・医師不足のわけ
上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・福島県の医師不足は深刻。人口10万人あたりの医師数は189人しかいない。
・医師の数が西高東低に偏っているのは、医学部が西日本に多いことが理由。
・医師数の地域格差は、歴史的背景も要因のひとつ。長期的な対策が必要。
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■進まない福島への医師派遣と女医の挑戦
福島の医師不足は深刻だ。8月4日号で内科医不足のため、相馬地方の透析の継続が難しくなっていることを本サイトで紹介した。
大町病院の関係者は福島県庁や福島県立医大、さらに東京の大学医局に医師派遣を依頼したが、しかしながら、どこも年度途中から派遣できる医師はいなかった。
この状態をみて、自ら手を挙げた医師がいた。南相馬市立総合病院の3年目の医師、山本佳奈さんだ。9月から南相馬市立総合病院からの出向という形で、大町病院の内科医として勤務することとなった。
▲写真:山本佳奈医師、大町病院内科外来にて
©上昌広
山本医師は、滋賀医大在学中から私どもの研究室で学び、卒業後、南相馬市立総合病院で初期研修を終えた。
▲写真:南相馬市立総合病院
出典)南相馬市立総合病院HP
当初、産婦人科医を希望していたが、新専門医制度では南相馬で専門医を取得することが出来ず、産科医を諦め、南相馬に残った。向上心があり、自立心が強い女性だ。
彼女は「何とかして、地元の方の役に立ちたい」と言うが、初期研修を終えたばかりの山本医師が、いきなり多くの患者の主治医となり、外来を担当するのは、相当な負担だろう。インスリンの導入から漢方薬の処方まで、教科書を調べ、先輩医師に尋ねながら、日々の診療を続けている。大町病院に異動し、彼女はすっかり逞しくなった。彼女にとって、飛躍の機会になればと願っている。
彼女の存在と対照的なのは、厚労省や医学会を仕切る大学教授たちだ。「医師派遣のシステムを整備することが大切」などと調子のいいことを言うが、私の知る限り、彼らの言うシステムは、ほとんど機能していない。今回などは、その典型だ。
なぜ、こんなことになるのだろう。それは医師の絶対数が足りないからだ。絶対数が足りなければ、必ず何処かで不足する。供給が不足しているのに、厚労省や大学教授たちは、「医師は将来余る。偏在是正が重要」と主張し、自らが偏在是正の役割を果たすように制度設計したがる。新専門医制度など、その典型だ。供給統制だから、統制者には絶大な権限を握る。ただ、こんなことをしている限り、問題は解決しない。
供給不足が続けば、インフレが生じる。既に地方の病院が医師を派遣して貰おうと思えば、高額な給与を保証したり、派遣元の大学に年間3000万円程度を支払い、寄附講座を設立しなければならなくなっている。
医師不足をいいことに、暴利を貪る連中に対して、いつか国民の不満が爆発する。旧ソ連の崩壊のようなことが起こるかもしれない。福島が発火点になるかもしれない。
来年は明治維新150年。福島では福島民友が中心となって、戊辰戦争の後遺症を見直そうという動きが起こっている。筆者も9月25日の福島民友に「医師数の「西高東低」「戊辰戦争の後遺症」という文章を寄稿した。本稿では、この問題をご紹介したい。
■西高東低に偏る日本の医師数
繰り返しになるが、福島の医師不足は深刻だ。人口10万人あたりの医師数は189人。リビアやアラブ首長国連邦と同レベルだ。高齢化の違いを考慮すれば、福島はリビアやアラブ首長国連邦より、遙かに医師が不足している。
世間では「医師は東京に集中している」とお考えの方が多い。確かに東京の人口10万当たりの医師数は305人と多い。ただ、東京の医師数は、実は京都(308人)や徳島(303人)と変わらない。
我が国の医師数は圧倒的に西高東低なのだ。過疎に悩む鳥取県や高知県の人口10万人あたりの医師数は、それぞれ290人、293人だ。
▲図1:都道府県別医師数(2014年厚労省医師・歯科医師・薬剤師調査より)
なぜ、こんなに差がつくのだろう。それは医学部が西日本に多いからだ。例えば、人口385万人の四国には4つ、人口1302万の九州には10の医学部がある。
福島県は人口191万人の大きな県なのに、医学部は一つしかない。首都圏(東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県)の人口は3613万人だが、医学部は21しかない(大学校である防衛医大を含む)。
さらに中国、四国、九州は全ての県に国立の医学部があるが、首都圏では埼玉県、神奈川県に国立の医学部はない。首都圏の21の医学部のうち、国立はわずかに3つだ。
福島県の医学部も県立だし、東北地方では岩手県にも国立の医学部がない。国立大学には、国民の税金が投入される。随分と不平等な話だ。なぜ、こんなことになるのだろうか。
■歴史的背景から影響を受ける医学部の分布
繰り返すが、私は戊辰戦争の後遺症だと考えている。医学部に限らず、我が国の名門大学の多くは、戦前に設立された。医学部の場合、戦前に17の医学部が存在した。7つの帝国大学、6つの官立医科大学、1つの公立医科大学(京都)、3つの私立大学だ。
注目すべきは、多くが江戸時代の藩の医学校から発展していることだ。東京大学は江戸幕府の医学所、九州大学は福岡藩の賛生館という具合だ。幕末、西洋列強の侵略を怖れた幕府や諸藩は藩校を整備し、蘭学を学ばせた。その中心が医学だった。
福島も状況は変わらない。会津藩には日新館、二本松藩は敬学館があり、医学教育を行っていた。戊辰戦争で日新館は消失。明治時代の廃藩置県で、残った医学校は県に移管された。明治17年の段階で、日本には東京大学医学部と28の公立医学校、3つの私立医学校があり、東北地方にも宮城県、岩手県、秋田県、福島県に医学校が存在した。ところが、宮城県を残し、他は廃校となった。福島医学校も明治20年に廃止されている。
西日本の状況は違う。長崎と福岡の医学校は存続され、後に大学へと改組された。熊本県医学校は明治20年に廃校となったが、その後、復活。官立熊本医科大学となる。九州だけで、戦前に3つの官立医学部が存在した。
この時期、医学部があったのは、関東地方は東京大学と千葉大学、東北地方は東北大学、甲信越地方は新潟大学だけだ。あまりに大きな東西格差と言わざるを得ない。
医学部新設には金がかかり、政治的な重要課題となる。戊辰戦争をリードしたのは薩長土肥の西国四藩だ。鳥羽伏見の戦い以降、多くの西国の藩は雪崩をうって官軍に与した。最後まで抵抗を続けた東北諸藩とは対照的だ。明治時代、薩長をはじめとした西日本勢は政治的に優位な立場にいたのだ。
余談だが、いまでもその傾向は変わらない。総理、副総理、東京都知事、神奈川県知事、埼玉県知事、みな西日本出身者だ。
話を戻そう。明治以降、日本の大学の多くは、医学部を中心に総合大学へと発展していく。国も、このような大学を支援してきた。現在も状況は変わらない。例えば、国から国立大学に支払われる運営費交付金の格差だ。我が国には86の国立大学があるが、2016年度のランキングで、上位陣は旧七帝大、旧六官立医大の後継大学が独占している。この13校の中で最もランキングが低いのは、熊本大学で18位だ。149億円の運営費交付金を受け取っている。これは69位の福島大学(35億円)の4倍以上だ。
教育投資における格差は明治以来、延々と続いてきた。そして、これからも続く。教育格差は人材格差を生み、地域格差を固定する。福島の医師不足は、日本の近代化が抱える宿痾を反映している。幸い、相馬地方の透析危機は山本佳奈医師の存在で、一時的に緩和された。ただこの問題は、弥縫策では解決しない。歴史的な経緯を踏まえ、長期的な対策が必要だ。
TOP画像:医療法人社団青空会大町病院
出典)Google Map
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。