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.社会  投稿日:2018/5/1

土俵の女人禁制問題と明治150周年


千野境子(ジャーナリスト)

【まとめ】

日本相撲協会が土俵の女人禁制問題を巡り、外部の意見を聞き検討すると発表。

江戸時代には女相撲が見世物に存在した。

・「女人禁制」は何百年の伝統ではなく、明治維新と近代国家建設に繋がる伝統だった。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真の説明と出典のみ記載されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=39745で記事をお読みください。】 

 

日本相撲協会が土俵の女人禁制問題を巡ってやっと重い腰を上げた。このほど臨時理事会を開き、「外部の方々の意見を伺って検討したい」(元横綱北勝海の八角理事長)と発表したのだ。

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▲写真 八角理事長 出典 Ogiyoshisan

有識者に話を聞き、「土俵と女性」についてのアンケート調査なども行うという。要は結論までにもう少し時間が欲しいのだろう。土俵の女人禁制は、かつて女性初の内閣官房長官・森山真弓氏や同じく大阪府知事・太田房江氏が協会に打診し断られた例を見るように古くて新しい問題だが、今回ばかりはもう先送りも知らぬふりも出来ない。

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▲写真 元大阪府知事太田房江氏 出典 参議院

相撲ファンの1人でもある筆者は女人禁制を男女差別と糾弾する気はないし、そうした仕来りが今日、絶対許されないとも思わない。ただ「伝統」を金科玉条の如く女人禁制の拠り所にしていることには賛成出来ない。

伝統とは何だろうか。明鏡国語辞典には「ある集団・社会・民族の中で有形・無形の遺産として受け継がれてきた思想・技術・風習・しきたりなどの事柄。またそれらを受け継ぐこと。」とあり、広辞苑も日本国語大辞典もほぼ同じ。私も大筋その通りと思うが、伝統は何時から、どのように、どうしてと各論かつ細部に入ると事情は様々で、話は単純ではない。

土俵の女人禁制問題はまさにこの伝統、それも「何百年もの伝統」とか「古来の伝統」そして「神事」を理由に女性を退けてきた。だがそもそもこれが正確とは言い難い。土俵に女性は上がれないどころか江戸時代には女相撲が見世物に存在し、男性視覚障がい者の相撲とともに流行した(『日本歴史大事典』)。またそれらは寺社境内で盛んに行われていた。

ところが明治維新により日本は御一新、相撲を巡る環境も激変する。欧米と不平等条約を余儀なくされた日本は近代国家の建設が至上命題となり、当時の近代化とはイコール西洋化だったから、鹿鳴館が建てられ洋風が流行した。そしてその価値観から言えば、半裸にまわし一つの相撲には逆風が吹き(女相撲は論外)、「存亡の機」に立たされたと言っても過言ではない。しかしピンチはチャンス、相撲は見事にサバイバルするのだ。

歴史的に関係が深かった神事との関りが強化されたのをはじめ、相撲界は工夫や努力を重ね興行的要素を残しつつ相撲の地位向上を図ったのである。欧風化の行き過ぎへの反発や相撲人気も幸いした。筆者の独断だが、人気や共感が後押ししなければ明治の大変革の中で相撲の淘汰もあり得たと思う。

かくて明治17年、天覧相撲が行われ、同42年には国技館が出来、相撲は晴れて国技となった。つまり「女人禁制」は何百年の伝統や古来の伝統でなく、明治維新と近代国家建設に繋がる伝統と言ってよいのである。

日本の相撲は本来、むしろ女性と縁が深い。相撲が史書に初登場するのは「日本書紀」で采女による女相撲という(論文『相撲における「女人禁制の伝統」について』吉崎祥司、稲野一彦)。私は昔、女相撲のニュースに触れた覚えがあったが、同論文によれば山形県で昭和31年まで行われていた。その意味では女相撲だって日本の伝統と呼べなくもない。厳密には「廃れた伝統」だが。

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▲写真 女相撲の絵馬 出典 論文『相撲における「女人禁制の伝統」について』

そう、伝統には連綿と受け継がれて行くものもあれば、廃れてしまうものもある。時代の潮流が大きく影響するが、潮流に乗ればよいというものではないし、潮流を意に介さず伝統に安住するだけではもっと危うい。日々新たなり。それでこそ現代に生きる伝統だ。

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▲写真 女相撲の様子 出典 論文『相撲における「女人禁制の伝統」について』

今回の論議の発端となった土俵で倒れた市長に女性が駆け付け、懸命に心臓マッサージを施している時に「女性の方は土俵から降りて下さい」と繰り返し放送したのは、伝統への安住の悪しき見本である。人命軽視云々以前に、突発事態に思慮することなく、土俵=女人禁制と条件反射した。私にはこのような思考停止と独善こそが問題であり、真に憂うべきことのように思える。

折しも今年は明治150年。そして5月場所である。女人禁制問題への対応は、明治維新再考の機会にも出来るのではないだろうか。

トップ画像:石山女相撲総女力士プロマイド 出典 「女大関 若緑」の著者 遠藤泰夫氏HPより


この記事を書いた人
千野境子ジャーナリスト

横浜市出身。早稲田大学卒業。産経新聞でマニラ特派員、ニューヨーク、シンガポール各支局長の他、外信部長と論説委員長を務めた。一連の東南アジア報道でボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『インドネシア9・30クーデターの謎を解く』(草思社)『独裁はなぜなくならないか』(国土社)など多数。

千野境子

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