[為末大]「成功には苦しさが伴う事がある」と「成功する為には苦しまなければならない」は違う
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
昔、普段は陸上をやっていて「とにかく勝つのが大事だ」と言っているコーチがいた。そして選手達が卒業する時には「スポーツはそれを通じて何かを学ぶのが大事だ」と言っていた。それはある意味で真実ではあるのだけれど、あまりに計画的にすると少しずれる。
二つトレーニングがある。
一つは楽だけれど競技力向上に効くもの。もう一つは苦しいけれど効かないもの。当然勝利を目指せば前者を選ぶ方がいいのだけれど、日本のスポーツは時々後者を選んでしまったりする。それは本当の目的は勝利ではないから。
「効く練習」はきついものが多いけれど、きつければ効く訳ではない。ところが時々「練習はきつくないと意味が無い」と言う人に出会う。目的は強くなる事ではなく「苦しむ事」。勝つ事ではなく「忍耐強くなる事」。
「成功には苦しさが伴う事がある」と「成功する為には苦しまなければならない」は違う。そして「苦しいかどうか」と「効果があるかどうか」は多少関係はあっても、同じではない。必ず苦しさを練習に求める人はある意味で効率を考える事から逃げている。
合理的な思考が出来ない人は、楽に効果を上げてはいけないし、そんな事はありえないという考えが根底にあるように思う。効率的な練習は最も少ない労力で最も大きな効果を上げるという事を目的にしていて、だから労力しか見えない人は効率化ができない。
勝つ為に始めて、もし勝てなかったら、「いや成長したから」に目的を変える。それは腹の底でそう感じられればいいのだけれど、あまりに早くその考えを混ぜると勝利には非効率な努力を浪費するはめになる。
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