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.社会  投稿日:2014/6/1

[為末大]<顔には自らの内側で起きている事が最も現れる>顔によって内面が作り出されることもある


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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初めて自分の顔を大人数に見られたのは15歳の時だった。たしか学校中の生徒に見られ、羞恥の感覚を覚えた。何かをしゃべったのだけれど顔がこわばり、何を言っているか自分でわからなくなった。あのとき自分は一体どんな顔をしていたのか。

対人恐怖症の症例を見ていると、かなりの部分か顔に関係している。対人恐怖症の人は、他人の目、つまりは「他者からの評価」に強い関心を寄せていて、馬鹿にされたり、笑われるという事に恐怖を覚えている。そして実際には、「自分の顔は普通ではない」という強い確信を自分で持っている。

顔は自分のものではあるけれど、同時に他人が相手の内面を覗き込む際の大きな窓口でもあると思う 。自らの内側で起きている事が最も現れるのが顔であり、そういう点では私達は顔によって自らの内側を他人に教えてもいる。

競技をやっていて、僕自身の恐怖の多くが他者評価に起因するとふと気づいた。それから試合前に話しがけがたい顔を作るようになった。無表情な能面のような顔を作れば外界と遮断できるような感覚があり、そうすると後は内面の自分を練るだけになった。

見られるという行為、顔をあわせるという行為の緊張具合は相手との関係性による。SNSは僕は基本肯定的だけど、一つ問題を指摘するとしたら顔を作れない人が増える事。人生で人と顔を合わせた回数の少ない人の表情というものがある。

原始宗教や日本の祭りの多くに、仮粧や仮面をかぶるという行為があるのも何か示唆的だと感じる。内面は顔にでると言うけれど、顔によって内面が作られるという事もあるように思う。

 

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