[為末大]「楽しめない人々」の「楽しめなさ」は伝染するので周囲から「楽しい人々」が減ってゆく
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
最近立て続けに「楽しいな」と思う事があって、「何が楽しいんだろうな」と考えていたら、「楽しい人達といるから楽しいんだろう」という至極当たり前の結論に至った。
ではなぜ「楽しい人は楽しいか」というと、「楽しそうにその人自身がしているから」というのが大きい。
「楽しさ」は外からもたらされるように見えて、実は自分の態度にも結構依存する。ゲームであれば楽しめる人が、「4人集まって好きに楽しんでください」と言われると戸惑ったりする。楽しさが設計された世界と、楽しさを自分から作りにいかないと楽しめない世界。
それはつまり自分の意志と自分の行動によって、ここの楽しさは変わり得るという感覚を持っているかどうかじゃないだろうか。「楽しい人々」は参加感がある。この場所が楽しくなるかどうかは、ある程度自分たちでコントロールできると考えているのではないか。
「楽しめない人々」は、「待ちの人々」が多い。「楽しめないのは、楽しませてくれないからだ」と考えていて、どこか楽しい場所を常に探している。退屈だ、どこかに面白い事は、人はいないかと、意識がいろいろ動く。実は自分の態度によって楽しめない事には意識がいかない。
「楽しい人々」は「楽しい人々」を好みがちでそういう固まりができやすい。「楽しめない人々」といると、楽しめなさは伝染するから次第に敬遠されるようになる。そうして「楽しめない人々」の周りには「楽しませる人々」が減っていき、より楽しくなくなっていく。
楽しさの半分は状況だけれど、半分は自分の態度。何でも態度次第で楽しめるわけではないけれど、楽しめない状況では全く楽しめないわけでもない。コントロールできるんだと知るだけで、結構楽しさは変わる。
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