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.国際  投稿日:2014/12/12

[岩田太郎]【日本人の手を離れ、換骨奪胎される絵文字】~排他性が生む真の多様性を許容せよ~


岩田太郎(在米ジャーナリスト)

「岩田太郎のアメリカどんつき通信」

執筆記事プロフィール

 

日本発のグローバル・スタンダード、絵文字が日本人の手を離れ、生まれ変わろうとしている。米国などで、「黒人など肌の黒い人々の顔がないのは、人種差別だ」との声が上がり、来年6月、絵文字に「多様性」が導入される。人の顔の肌色の選択肢が、大幅に増える。これを主導するのは、日本の携帯キャリア各社でバラバラだったローカル規格の絵文字を、世界標準にまとめた立役者の団体、ユニコード・コンソーシアムだ。

絵文字は米国人にとっても、なくてはならないものに成長した。こちらのインスタグラムやメッセージアプリでは、文字情報より絵文字のほうが多いこともある。米国にとどまらず、あらゆる人種の、あらゆる国籍や民族の人が使う文化的ツールに成長したから、日本人としては単純にうれしいし、誇らしい。

だが、元の絵文字の意味を取り違え、米国独自の解釈で使われているもの(例えば、「案内」が、「エッヘン、こんなもんさ!」など)もある。米国の高校に通う娘は内心、絵文字を誇りに思っているようだ。それでも、友人の白人の女の子たちが桜花の絵文字を多用しているのを見ると、「取られた」ような気持になるらしい。「あの子たち、桜の意味、分かってんの?」と不満を述べることがある。

絵文字の顔の人種的な多様化は、「排除された」と感じてきた黒人たちに対する、正しい行動だ。しかし、絵文字が元の意味を失い、換骨奪胎される危惧を抱くのは筆者だけだろうか。

柔道を考えてみよう。1964年の東京オリンピックで柔道が競技種目になった時、日本人は率直に喜んだ。だが、それは、柔道の換骨奪胎への始まりだった。柔道は、本来の修道という「道」の精神を外れ、点数や勝敗を競うだけの、「スポーツビジネス」へと堕ちてしまった。柔道着のカラー化はその象徴だし、ルール設定は外国勢に牛耳られ、ますます「道」から遠ざかっている。

塩気を失った塩は、もはや塩ではない。文化には、排他性や閉鎖性で成立する面がある。筆者の出身地、京都もそうだ。京都人が「よそもん」を「いけず(意地悪)」なやり方で排除するという話は、全国に知られている。誇張されているが、当たっている場合もある。

例えば、舞妓体験。祗園の街を、よそからやって来た若い女性が舞妓に扮して歩いているのを見て、反感を持つ(特に年配の)京都人は少なくない。「いやぁ、ニセ舞妓が歩いてはるわ」。観光収入になるので口が裂けても言わないが、心の中ではよく思っていない。

だが、京都は「よそもん」を簡単に受け入れないからこそ、京都なのだ。でなければ、いったい何が京都なのだろう。お寺さんか、神社の建物か、伝統工芸か。京都が京都たる所以は、京都人だ。京都人が寺社や文化を守ってきたのであり、その反対ではない。

非京都人が憧れを持つ京都は、歴史的な閉鎖性の賜物だ。だからこそ、「違い」や「多様性」がある。境界があるからこそ、京都だ。(もちろん、京都には外国や他所の人や文化をうまく取り入れる進取の伝統もある。)

よく「多様性」というが、現在の多様性は、閉鎖性から生まれる真の多様性を許容しない。TPPなどで標榜される「開かれた市場」も、排他性が育む真の多様性を破壊することが多い。

絵文字は「多様性」を強制する単一ユニコードではなく、日本的な、日本人の心情を現す、日本人の手に残る「日本版ローカル・ユニコード」をガラパゴス的に発展させるべきだ。同様に、各国が米国絵文字や中国絵文字やナイジェリア絵文字を生み出せばよい。必要なら他国のものを呼び出せる機能があれば、なおよい。ガラパゴス・ニッポン万歳!

 

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