警戒から解放される喜びとは
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
妙に警戒をしている人が世の中にはいる。警戒をしている人は、常に自分はだまされないか、また馬鹿にされていないかという意識で日々を送っている。
私の考えの出発点は“世の中がそうなのは、そのように見ているからだ”というものだ。感じることができなければ、色も光も物体もその人にとっては存在しない。そこに木があるのではなくそれを目という器官で認識するから木がある。すべての情報は受け止めきれない。人は意識的か、無意識的か、自らの偏りを通じて世の中を捉える。
警戒をしている人は、危険な目に合うことや、人から馬鹿にされることを嫌がる傾向にあると私は思う。何かを手に入れることよりも、何かを失わなかったということを重視する。警戒をしている人の荷物は多い。身軽さよりも、何かあった時にこれを持っていてよかったという安堵感の方を求めるからだ。
警戒をしている人は、警戒をしている対象を、他の人以上に捉えてしまっている。山道で熊が出るぞと散々脅されたことがあって、その時は向こうに見える石一つ一つが熊にみえたものだ。警戒をしなければ、危険な目にあうのでそれは大切なことかもしれないが、山登りの喜びを感じるには、ある程度警戒からの解放も必要ではないか。
警戒をしている人の最大の目的は“やり過ごすこと”になる。人生を何事もなくやり過ごす。評判を落とすことなく生活を営む。しかしながら、警戒をし続けてし続けて無事、何事もなく人生を終えられたとして、一体人生のどこに喜びがあったのを振り返ることになる。その時、どの光景が頭に浮かぶのだろうか。
ふとあるがままに世の中を見てみれば、大体のことがなるようになる。なるようにしかならない。そして人生は生まれて生きて死んだらおしまいで、他の人の人生にとって何かを残すことはできるのかもしれないが、私にとっての私の人生は死んだらそこでおしまいである。
私は人生は道中しかないと思っていて、つまり行為そのものが人生なのだと思う。警戒はせっかくの今ここの行為から意識を外に飛ばしてしまう。毒が入っていないかと警戒するのもいいが、勢いで口の中に放り込んでしまって饅頭を味わったほうがいいじゃないか。雨が降れば傘をさせばいいと松下翁もおっしゃっている。
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。