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.国際  投稿日:2016/3/24

漫画文化の功罪について(上) 漫画・アニメ立国論 その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

日本製のアニメが世界中に広まっている、ということを非常に強く印象づけられた最初の体験は、1984年に、初めてイタリアを訪ねた時のことだ。

生まれて初めてイタリアのTVのスイッチを入れたわけだが、なんと画面に映し出されたのは、鮎原こずえちゃんがバレーボールを抱えて、涙目でなにごとかを(なにぶん台詞はすべてイタリア語なので)仲間に訴えているシーンであった。

これまた若い読者には、一体何の話だ、と思われるであろうし、私もこの件に関しては、ヒロインの名前が正確に書けるというだけでトシがバレるので、いささか忸怩たるものがあるのだが、1960年代末に一世を風靡した、女子バレーボール漫画である。詳細は『アタックNo.1』(浦野千賀子・著 集英社)で検索されたい。

当時、少年漫画と少女漫画は、棲み分けと言えばよいか、読者の性別がはっきり分かれていたように思うが、この漫画だけは、男の子にも結構人気があった。アニメが放送された時、同級生の一人が、

「なんか、漫画のイメージと(声優さんの)声が合ってないよなあ」

などと、今考えても相当マニアックな感想を述べていたのを、今でも覚えている。当時まだ、オタクという言葉は日本語に定着していなかったが、そういった傾向を持つ子供は確実にいた。

話を戻して、鮎原こずえちゃんがイタリア語でまくし立てているシーンがあまりに印象的だったので、当時暮らしていたロンドンに戻ってから、知り合いのイタリア人にあれこれ聞いて回った。あるイタリア人の女の子(当時。笑)によれば、彼女は『キャンディ』を見て何度も泣いたという。これは『キャンディ・キャンディ』(水木杏子・作、いがらしゆみこ・画 講談社)で検索されたい。私は読んでいないのだが、イタリアでは大ヒットしたようだ。

また、彼女の弟は『ロッキー・ジョー』の大ファンだったとも聞いた。

その時の私は、ロッキー・ジョーと聞いてもすぐにピンとこなかったのだが、不良少年がボクシングのチャンピオンになる話だと聞いて、それこそ漫画のように頭上に電灯がともった。それならば、

『あしたのジョー』(高森朝男・原作 ちばてつや・画 講談社)

のことに違いない。この高森朝男というのは、あの梶原一騎のもうひとつのペンネームなのだが、梶原一騎名での代表作『巨人の星』(川崎のぼる・画 講談社)は、海外ではまるで知られていない。

野球が、とりわけヨーロッパでは無きに等しいスポーツだという理由もあろうが、客観的に見て、あの「読売巨人軍決死擁護」的な世界観には、海外の青少年はついて行けないだろう。実在のプロ野球選手が多数登場するが、海外での知名度などないし。この点ボクシングは、はるかにボーダーレスなので、受け容れやすい下地があるわけだ。

もうひとつ、と言うより、世界でもっとも人気のあるスポーツと言えば、間違いなくサッカーだが、『キャプテン翼』(高橋陽一・著 集英社)を忘れてもらっては困る。サッカーと言われて、これを忘れる人もあまりいないと思うが。

どれくらい世の中にインパクトを与えた作品かと言うと、端的に、今の日本代表に名を連ねているサッカー選手の大半は、子供時代にこの漫画を読んでサッカーを始めたというほどだ。昨今、海外でもそういう子供が増えてきているらしい。ちなみにスペイン語版は、Campeon(カンペオン=チャンピオン)というタイトルになっているようだ。

ただ、海外ではまだまだ、漫画やアニメは子供の物だという観念が根強い。日本の大学生が、ニーチェやマルクスを漫画で勉強していると聞いたなら、驚き呆れられることが請け合いだ。こんなことを私が請け合っても、あまり意味がない気もするのだが、なぜか、という問題は一考に値するだろう。次回は、その話を。

(25日12時に配信予定の、 漫画文化の功罪について(下) 漫画・アニメ立国論 その4 に続く。全2回)


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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