相川俊英(ジャーナリスト)
「相川俊英の地方取材行脚録」
議員報酬の適正額を弾き出すのは大変難しい。誰もが納得するような算出方式は確立されておらず、ザクッといってしまえば住民がその報酬額で納得できるかどうかにつきるからだ。その際、ポイントとなるのは議員の仕事ぶりと報酬のバランスである。実際はお粗末な仕事ぶりの議員がほとんどなので、住民の「あんなに報酬を貰っていてけしからん!」という怒りや不満に繋がっているのである。報酬額に見合った仕事をしていない議員ばかりといってもよいだろう。
何かと批判の対象となる議員報酬を全国で唯一、日当制にしているのが、「合併しない宣言」で知られる福島県矢祭町だ。その矢祭町がいま、揺れている。
矢祭町の議会(定数10)は、2008年度からそれまで月額20万円だった議員報酬を日額3万円に変えた。議会内に「議員は本来、ボランティアであるべきだ」との意見が広がり、議員提案による日当制導入の条例改正案を7対2で可決成立させたのである。議員になることに報酬面での魅力がなくなれば、議員の成り手や住民の意識が変わり、選挙も変わるのではないかとの思いもあった。
以来、矢祭町の議員は本会議や委員会などに出席する度に3万円の日当を受け取ることになった。自宅での調査や研究、準備、住民との話し合いや個別の研修などは日当支給の対象外となり、期末手当も廃止。政務活動費や費用弁償もなし。議員1人当たりの平均年額報酬は120万円ほどになり、月額制時代の約3分の1に削減された。しかし、新制度導入は大きな問題を内包していた。議会の役割をいかにして果たすかといった大事な視点が抜け落ちており、議会の機能を高めるための手立てが講じられないままでのスタートとなったことだ。
2008年3月の町議選で日当制議員が初めて誕生した。定数10に対し立候補者は11人だった。導入に関わった現職議員のうち6人が当選したが、日当制に異論が噴出するようになった。「調査・研究に支障をきたしている」「日当制では生活できず、これでは若い人たちが議員になれない」「議員活動に専念できない」「議員の仕事は議場内だけではない」といったものだ。ボランティア精神だけで議員の役割が十分に果たせるものでもなく、果たせたとしても持続させることはさらに難しい。崇高な理想と生身の人間との間に溝が広がっていった。
4年後(2012年)の町議選は12人が立候補し新人6人が当選。日当制条例案に賛成した当時の議員はわずか2人になった。議会内に日当制の見直しを主張する議員が増えだし、存続派と廃止派が拮抗するまでになった。議会内に存廃を議論する特別委員会が設置されたが、双方譲らず、両論併記のまま議論は打ち切られた。次の町議選後に持ち越す形となった。
その町議選が3月27日に投開票された。立候補者は11人で、現職の当選者は4人。日当制条例案に賛成した当時の議員はとうとうゼロになった。月額制に戻すことを公約に掲げた候補がトップ当選するなど、日当制見直し・廃止派(5人から6人)が多数を占める結果となった。住民の中にも「月給制にしてきちんと働いてもらった方が良い」という意見が広がっていたのである。全国唯一の議員報酬の日当制が存亡の危機に立っているのである。
だが、議員報酬を月額から日当に変えるだけで議会改革が進むものでもない。もちろん、議員報酬を高額にすれば議会の力が強まるというものでもない。チェック機能と政策提言、民意の反映といった議会の役割を充分に果たせるような様々な仕組みが必要だ。例えば、議会事務局の強化とか議員活動を補佐する団体との連携、住民との協議の場の設定などだ。最も重要なのは、きちんと働ける人を議会に送り込むことである。
*トップ写真:矢祭町役場©相川俊英
*文中写真:矢祭町の町並み©相川俊英
この記事を書いた人
相川俊英ジャーナリスト
1956年群馬県生まれ。早稲田大学法学部卒。放送記者を経て、地方自治ジャーナリストに。主な著書に「反骨の市町村 国に頼るからバカを見る」(講談社)、「トンデモ地方議員の問題」(ディスカヴァー携書)、「長野オリンピック騒動記」(草思社)などがあり、2015年10月に「奇跡の村 地方は人で再生する」(集英社新書)を出版した。
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