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.社会  投稿日:2016/2/17

介護職を「3K」から脱却させよ ある特養の工夫とは


相川俊英(ジャーナリスト)

「相川俊英の地方取材行脚録」

「介護離職ゼロ」を掲げる安倍内閣はその実現に向け、特別養護老人ホーム(特養)などの施設整備を加速させ、2020年代初頭に50万人分増やすとした。しかし、その一方で計画が画餅になりかねない事態が進行している。介護現場での深刻な職員不足である。厚生労働省も2020年代初頭の介護職員の不足数を、これまでより約5万人多い約25万人と推計している。ハコものをいくら整備しても介護を担う人材が集まらなければ、当然のことながら施設の利用は叶わない。

介護福祉士の登録者数は百万人を超えているが、実際に現場で働いているのは6割程度に過ぎない。定着率の低い職場となっている。なぜ、介護職はそれほどまで不人気なのか。一言でいえば、ハードで責任の重い仕事ながらそれに見合った賃金になっていないからだ。全業種の平均賃金より月11万円ほど下回るという。重労働で低賃金、そのうえストレスもたまりやすい。尊い仕事ではあるが、同時に典型的な「3K仕事」となってしまっているのである。

なかでも特養などの施設で劣悪な労働環境に苦しむ介護職員が多い。知識や介護技術の未熟さなども加わり、ストレスをため込んだ職員が利用者を虐待するという事案が増えている。介護の人材育成とその確保が喫緊の課題であり、賃金アップや職場環境の改善が求められる。

「三大介護(食事・排せつ・入浴)にしっかり取り組めるように、介護の土台(ハード)を整えることが最も重要だと思います」

こう訴えるのは、広島県熊野町の特養「誠和園」を運営する社会福祉法人「成城会」の村上広夫理事長。「誠和園」は「寝たきりゼロ」「おむつ外し」といった施設介護にいち早く取り組んだ特養で、村上理事長はその施設長を長年務めた、この道40年余りのプロである。村上理事長は老人介護に関してこんな持論を持っていた。

良い介護とは、介護される側とする側の双方の負担が少なくてすみ、どちらも笑顔でいられるものをいう。こうした良い介護を実現させるには、介護のハードとソフトをうまくかみ合わせることが重要となる。

介護は前方からではなく、後からの介助法を大前提とする。双方の負担が少なくてすむからだ。そのためには利用者に前屈みの姿勢になってもらうための工夫がいる。後ろからの介助法を可能にする仕掛けである。そうしたものが介護の土台(ハード)にあたる。介護職員の熱意や技術、体力といったソフトだけではなく、それらにハードがうまく噛み合っているかどうかが大切だ。介護の土台で特に重要なのは、「トイレ、浴室と脱衣室、キッチン、洗濯と汚物流し」といった水回りである。裏を返すと、これらが双方に大きな負荷を及ぼす場面といえる。村上理事長は「経験知に基づく適切な介護の土台があってこそ、正しい介助法の実践ができる」と力説する。

では、広島県熊野町の特養「誠和園」における介護の土台とは、一体、どのようなものなのか。

まずはトイレから見ていこう。ポイントは3つ。便器の向きが通常とは逆で、利用者は扉側に背を向けて座る。タンクレスタイプなので便座の後ろに空間ができており、後方介助を可能にしている。三つ目が便器の前にFUNレストテーブル(折り畳み式)を設置し、利用者が体を預けられるようにしている点だ。これらの仕組みにより、車イスの人でも安心してトイレで排泄できるようになり、これまで2人必要だった介助も1人ですむようになったという。

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1人の利用者が1日8回トイレに行くとすると、年間で2920回にのぼる。たくさんの入所者がいる施設である。創意工夫によるトイレ介助の効率化の効果は大きい。

浴室にも誠和園独自の装置が施されている。腰かけ台と前傾姿勢保持テーブルである。固定したテーブル(着脱式)にもたれることで介助者が体を洗いやすくなるという。こちらも1人での介助が可能となったという。つまり、テ―ブルが介護職員1人分の役割を担っていることになる。

こうした介護の土台の整備が誠和園のそこかしこになされている。例えば、居室や廊下、トイレなどの灯りだ。間接照明を基本とし、様々な照明器具を組み合わせている。それらは皆、現場職員らが試行錯誤を重ね、創意工夫を凝らして創り上げたものだった。

介護職の職業病といえば、腰痛である。中腰姿勢になることが多く、不自然な体勢での介助や負担の大きい介助を強いられることが要因だ。そのため介護ロボットの活用などが検討されている。だが、介護の土台作りに力を入れている「誠和園」では、腰痛に苦しむ職員は少ないという。

特養などの施設建設に多額の補助金が交付されるので、設備や運営について国などが基準を設けている。劣悪な施設が造られないように縛りをかけているのである。そういう仕組みになっているので、どの施設も介護の土台(ハード)がしっかり整備されているかと思われがちだが、実態はそうではない。国などが基準を設けているのは、居室や廊下、浴室などの広さやトイレの広さや数、それに配置される職員の数といったものだ。トイレや浴室などを具体的にどういうものにするかは施設の設置運営者の判断である。言うまでもなく利用者と介助者の双方にとって使い勝手の良い設備にすべきなのだが、残念ながらそうなっていない現実がある。

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介護施設を初めて手掛けるという方の多くは事情に精通していないため、施設建設の実績をもつ設計事務所などに依存しがちとなる。ところが、そうした設計事務所も実際は介護現場を熟知しているわけではなく、良かれと思って利用者・介助者本位ではないものをつくってしまうのである。利用者と介護職員にそのしわ寄せが襲い掛かるのである。

では、新規参入ではなく、特養の増設などの場合はどうか。特養などを運営している社会福祉法人の役員の中には介護現場に関心を持たず、現場職員の声に耳を傾けないという人も少なくない。そうした人たちは介護の土台の整備という発想を持ちえず、外観や意匠、設備に新規さなどに走ってしまうのである。

介護離職ゼロを実現させるために最優先で取り組むべきは、施設の増設ではなく、介護職員の労働条件を向上させて既存の施設の質を高めることではないか。介護職を「3K仕事」から脱却させねばならない。

トップ画像:特養「誠和園」お風呂(腰かけ台と前傾姿勢保持テーブルが設置されている)©︎相川俊英

文中画像上:特養「誠和園」トイレ(便器の向きが通常とは逆。タンクレスタイプなので便座の後ろに空間があり後方介助可能。便器の前にFUNレストテーブル(折り畳み式)を設置、利用者が体を預けられる)

下:他の介護施設のお風呂。介護職員の負担を軽減するような工夫は何もなされていない。写真上下ともに©︎相川俊英


この記事を書いた人
相川俊英ジャーナリスト

1956年群馬県生まれ。早稲田大学法学部卒。放送記者を経て、地方自治ジャーナリストに。主な著書に「反骨の市町村 国に頼るからバカを見る」(講談社)、「トンデモ地方議員の問題」(ディスカヴァー携書)、「長野オリンピック騒動記」(草思社)などがあり、2015年10月に「奇跡の村 地方は人で再生する」(集英社新書)を出版した。

相川俊英

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