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.国際  投稿日:2016/4/30

「サイゴン陥落の日」ベトナム戦争の教訓とは


古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

4月30日というのは毎年、私にとって特別な日である。長年の記者活動の中でも最も強い印象の残るベトナム戦争終結の日だからだ。1975年(昭和50年)4月30日、ベトナム共和国という国名だった南ベトナムの首都サイゴンが北ベトナム人民軍の猛攻で陥落した。サイゴンはいまはホーチミン市と呼ばれる。

私は毎日新聞の特派員としてこのサイゴン陥落の日から3年ほど前に南ベトナムに赴任した。当時はまだ米軍部隊が駐留しており、戦火は激しかった。だがほぼ1年後には米軍は撤退した。その後は南ベトナムと北ベトナムの戦いだった。だが究極の軍事闘争で北ベトナムが大軍を南下させ、南ベトナムの軍も政府をも粉砕したのだった。

私はその全プロセスを現地で取材し、報道した。その中でも忘れ難いのは北ベトナム軍の大部隊がサイゴンに突入し、南ベトナムの政府機構を消滅させた「サイゴン陥落」の日だったのだ。

私は日本人記者でも南ベトナム駐在は最長となった。いま思えばわずか3年9ヶ月だったが、私の記者歴では最も強烈で最も濃縮された歳月だった。その間に学んだことは多い。

ベトナム戦争に対して日本のニュースメディアや、いわゆる識者の大多数が冒したミスに直面した教訓も貴重だった。頭を叩かれるような教訓だった。私自身のミスももちろん多々あった。それら日本側での誤認を以下に記しておこう。私自身の「サイゴン陥落41周年」の自戒でもある。

ベトナム戦争は仕掛けた側からすれば民族独立闘争と共産主義革命の両方だったが、日本側では民族独立闘争だけがすべてのように誤認した。

 

闘争の主役は一貫して北ベトナムの共産党政権と人民軍だったが、日本側ではその主役は南ベトナム内部の諸勢力だと誤認した。

 

南ベトナム国民の大多数は留保をつけながらも米軍の介入や南ベトナム政府を支援していたが、日本側ではその大多数が革命勢力を支援していると誤認した。

 

革命側は一貫して南ベトナム政府の完全粉砕を目的とする軍事路線を保持していたが、日本側では両者が交渉を重ねて、譲歩すれば戦争が終わると誤認した。

 

革命側は戦後の国家や社会では共産主義の独裁統治を一貫して目指していたが、日本側では戦争さえ終われば、イデオロギーを超えた民族和解が実現すると誤認した。

以上が私自身で戦火のなかを動き回り、南ベトナムの住民多数と接触し、戦争終結後の新生ベトナムに半年近く住んでみて学んだ教訓だった。2016年のいまもなお貴重な教訓のままである。


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「危うし!日本の命運」「中・韓『反日ロビー』の実像」「トランプは中国の膨張を許さない!」など多数。

古森義久

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