毛虫でい続けたい蝶の滑稽さ
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
競技場内外で、人の成長を見てきた身からすると、何が共通点なのだろうかというのが気になる。あいつは成長する、あいつは成長しないというけれど、一体それは何をみてそういう印象を持っているのか。
仮に一点、性質というか物事の見方で成長する人間に特徴があるとしたら、“人は変われる”と思っているかどうかではないかと思う。成長しない人間は、レイジーだったり、素直でなかったりとあるとは思うが、まずそもそも、今の自分はこれまでもそうであったし、これからもそうであるというモノの見方をしていると思う。
自分とは何か。自己分析で出てくる自分なんてのは本当はあやしいもので、どんなに無口でも、自分より無口な人が多いところから出てきた人は、自分をおしゃべりだと言ったりする。比較がなければ自分の特徴は説明できない。比較対象が偏れば自己分析も偏る。
自分とはそもそも相当怪しげで、身体が覚えてしまっている癖(日本人のおじぎなど)は抜けないものの、どういう人間であるかなんてのは環境でいくらでも変わってしまう。攻撃的でリスクをとる性質が、スポーツの方ではスターだったとしても、一般社会では不適合者であるというのはよくある。
変えられない部分も多い。身長であったり、ネイティブとする言語だったり(私は扱う言語で思考の性質が変わると信じている)、養育環境も、おそらく性格も選べない。けれども、それらを踏まえても変えられるものも多い。
人生で一度でも、自分が変われた、自分の殻をやぶれたと感じることがあれば、自己イメージや自分が今おかれている環境にさほどこだわりを持たなくなる。“今の所”とか、“これまでは確かに”という感覚を持つだけで、これから先どうなり得るかなんてわからないと思うようになる。どうなるかわからないから、今どうするかによって未来は変わり得る。
この変われないという世界観を持って、かつ頭がいいと、現在の状況から未来を予測して、それはかなりの確率であたるだろうという見方を持ちがちになる。スピリチュアルな性質が強ければ運命論的に。分析的な思考が強ければ批評家のように。自分のことも、世の中のことも、他人のことも変えられないと思う。
ところが実際の所未来は読めない。未来は本当は相当幅が広く、現在どんな見方と行動で生きているかによって変わり得るのだけれど、むしろ自分で未来を決めてそれは変わらないと信じているから自分の未来をそこに着地させに行く。結果としてこじんまりとした人生を送る。
人は転落もするし、飛躍もする。良くも悪くも自分は変わってしまうわけだから、今の自分の評価に酔うことも、嘆くこともほとんど意味がない。四季は巡り、形あるものはなくなり、命は巡るわけだ。そんな中で一生懸命毛虫でい続けようとする蝶がいかに滑稽であることか。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。