「下町ボブスレーで五輪金を!」その1 “ものづくり”日本の技術町工場から発信
神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
「下町ボブスレーで五輪では金を取る!!」
日本版クールランニングが、いよいよ始動だ。
東京都大田区の町工場約100社が力を併せて国産マシンを製作する“下町ボブスレー”プロジェクト推進委員会が、2018年韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪を目指すジャマイカ代表に2人乗りの新型そり3台を無償提供する。ジャマイカボブスレー連盟と、このほど、正式調印したと発表した。
推進委員会がジャマイカチームに提供するマシンは2種類。空気抵抗が最も小さい下町スペシャルを10月に、ジャマイカ技術者の設計を採用したジャマイカスペシャルを12月以降に納入する予定。さらにテストを繰り返し、五輪本番用に改良を重ねていく。
また、調印後、同委員会の細貝淳一ゼネラルマネジャーらは安倍首相にボブスレーの模型などを贈呈。首相は「物づくりの底力が、町工場にあることを世界に示した。日本の技術の力を世界に発信する象徴になる」と、絶賛。
■なぜ、プロジェクトが“ボブスレー”だったのか
なぜ、大田区の町おこしのプロジェクトが、そり作りだったのか。
プロジェクトの目的は、オリンピックの祭典という最高の舞台で五輪競技を通じて、同区のものづくりの力を、世界中にアピールすることにある。地元の町工場の技術力を生かして開発、製造するには、何よりもそりが最適だった。
ボブスレーのそりは、他競技の道具に比べて同区の町工場が得意とする、金属加工の技術が生かせることなど技術面での理由だ。5年前の冬に、初会合が開催され、日本五輪代表チームへの採用を目指して開発をスタートさせた。これまで、プロジェクトに関わった会社は100社以上、同区の企業が95%超になる。
■挫折からの奮起
下町スペシャルは日本向けにも1台製作していく。将来的には日本代表での採用も、目指す。
とは言え、ここまで決して順風満帆ではなかった。むしろ逆だ。プロジェクトチームは、日本代表の採用を目指し、何年にも渡って試行錯誤を繰り返して来た。
が、まず2013年11月に日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟から、無情にもソチ五輪での不採用通告が届いた。連盟から技術的な改良要望が出され、対応を進めたが、間に合わなかったという。チームはその後、“次”を目指し、要望通りに改良、更にコーナリング性能向上と振動低減化を実現したそりを作り上げた。
だが、連盟は再度、昨年11月、平昌五輪で採用しないという決定を下し、代わりにドイツ製が採用された。
「目の前が、真っ暗になった」(細貝)
「関わっているのは区内100社以上。費用はすでに8千万円。今後も同じくらいかかる見通しだ」
このままでは、引き下がれない。下町の町工場の親父たちの思いが結集している。委員会は、舞台を世界に求め、日本以外の代表チームに下町ボブスレーを提案することを決めた。英語でのプレエンテーション、企画書作りなど全てが手探りだった。
「私たちのそりの夢は、町工場の夢。大田区中小企業の夢でもある。いつか必ず五輪に出たい!!」
決して諦めることは、なかった。
(その2へ続く。全2回)
トップ画像:下町ボブスレーと一緒に満面の笑顔の、日本とジャマイカのスタッフ一同 ©神津伸子
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この記事を書いた人
神津伸子ジャーナリスト・元産経新聞記者
1983年慶應義塾大学文学部卒業。同年4月シャープ株式会社入社東京広報室勤務。1987年2月産経新聞社入社。多摩支局、社会部、文化部取材記者として活動。警視庁方面担当、遊軍、気象庁記者クラブ、演劇記者会などに所属。1994年にカナダ・トロントに移り住む。フリーランスとして独立。朝日新聞出版「AERA」にて「女子アイスホッケー・スマイルJAPAN」「CAP女子増殖中」「アイスホッケー日本女子ソチ五輪代表床亜矢可選手インタビュー」「SAYONARA国立競技場}」など取材・執筆