離脱派の誤りによって免罪されぬEU EU離脱・英国の未来像その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
英国がEUからの離脱を決めた背景には、EUの拙速な拡大に伴い、東欧諸国からの移民が流れ込み、イングランドの労働者階級からの強い反発を招いた、とされてきた。
しかし、オックスフォード大学で地理学の教鞭を執るデヴィッド・ドーリング教授は、『インディペンデント』紙電子版において、「移民はいわばスケープゴートにされただけだ」との議論を開陳し、注目を集めた(同紙7月7日号)。
教授によれば、ヨーロッパ大陸諸国の多くは、英国に比べて税制の面で「富の再分配」がうまく機能しており、最低所得層に対する福祉は、かなりの程度まで担保されている。
これに対して英国は、労働党政権時代の福祉政策を、時代に逆行する大きな政府の政策だと決めつけ、経済成長を偏重する政策に舵を切ってきた。
このくだりを読んだ時点で、どこかの国のなんとかミクスを連想したのは私一人ではないと思うが、その話はさておき、政府の経済政策の副作用として、金持ち優遇の税体系となり、とどのつまり貧困層にとってのセーフティーネットが、どんどんやせ細っていった。
離脱派はこの点を意図的に無視し、「移民が低賃金の仕事を奪い、福祉を食い荒らしている」といった、イングランドの労働者階級の間に広まった反感を、離脱キャンペーンに利用した、というのである。この結果なにが起きたかと言うと、国民投票の結果が出た直後、人種差別に起因する暴力沙汰など、いわゆるヘイト・クライムは、全英で前年の同時期に比べ、42%も増加した。
恵まれない階層ほど偏狭なナショナリズムに染まりやすいというのは、階級社会の大いなるパラドクスであるが、違法行為となると、それでは済まされまい。
教授は解決策として、貸し付けではなく給付型の奨学金制度を充実させるなど、国民全体の教育水準の底上げが必須だと述べているが、この点は私もまったく賛成である。この点は、と言わばカッコ付きで述べたのは、私は決して、EUの行き方が全面的に正しく、離脱を決めた国民投票は愚かな選択であった、と考えてはいないからだ。
教授の言うように、移民に対する偏見を離脱派が利用した、という側面はあるにせよ、それだけが英国民がEUに対して抱く悪感情の全てではない。
拙著『国が溶けて行く ヨーロッパ統合の真実』(電子版配信中)でも明らかにしたが、「民主主義の赤字」と呼ばれる問題が横たわっているのである。
EUという組織を実際に動かしているのは、EU委員会と称される機関だが、この委員は、各国で功績のあった政治家が送り込まれている。たとえば、1980年代に英国労働党を率いて、サッチャー政権をあと一歩のところまで追い詰めたニール・キノック氏などは、1992年の総選挙で敗退した責任をとって党首を辞任。英国の政界においては、引退も同然の身となっていた。しかし、EU委員となって運輸政策などで強い発言権を持ったのである。
これが典型的な例で、キノック氏は英国政界の大物ではあったが、首相経験者ではない。言い方は悪いが、たかだか野党の元党首だ。それが、選挙の洗礼も受けることなく、EUの指導部に名を連ねている。
日本での知名度を考えれば、もっと分かりやすい。フランスのオランド大統領やドイツのメルケル首相の名は、みんな結構知っているが、EU大統領とも称される欧州議会議長のドナルド・トゥスク氏など、どれほどの人がその名を記憶していたであろうか。
このように「顔の見えない」官僚機構によってEUが動かされている以上、わが国の政治家や有権者の立場がどこにあるのか、と声を上げる人が出て、なんの不思議もない。前にも述べた通り、離脱派がキャンペーンの中で並べた嘘八百は、断罪されねばならない。しかし、そのこととEUが抱える問題は、話が別であろう。EUも、変わって行かなければならない。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。