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.国際  投稿日:2025/1/28

ケネディ暗殺事件などの真相解明なるかトランプ大統領、機密文書解禁命じる


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・トランプ米大統領は、ケネディ大統領暗殺など3事件について機密文書解禁を命じた。

・開示される文書の対象、範囲は明らかではなく新事実が公表されるかは予測できない。

・解除を契機に、20世紀最大の暗殺事件の闇に再び光があてられる可能性がある。

 

■ R・ケネディ議員、キング牧師暗殺事件も

就任直後から、矢継ぎ早に大統領に署名しているトランプ氏は1月23日、司法省などに対して、故大統領の暗殺に加え、ロバート・ケネディ上院議員、黒人公民権運動指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師の暗殺に関するすべての機密を解除するよう命じた。

トランプ氏は、「事件に関する文書を伏字にすることは公益に反する。遺族と国民は真実を求める権利がある」と説明した。

トランプ氏自身、従来一貫してこれら機密の解除を主張してきた。

文書が解禁される3事件は、いずれも容疑者が特定され、公的には決着をみているが、その真相をめぐっては、半世紀以上を経た今日においても議論がやかましい。

出版物、映画などで、謀殺説を含む推理、憶測が折に触れて蒸し返されてきた暗殺は、どういう事件なのか。

■ CIAの陰謀説もくすぶるケネディ大統領銃撃

1961年に就任したジョン・F・ケネディ大統領(民主党)は、63年11月、遊説に訪れたテキサス州ダラス市内をオープンカーでパレードのさなか、銃撃されて死亡した。

現場のすぐ近くの教科書倉庫ビルで働くリー・オズワルド青年(当時24)が、その窓からライフル銃で撃った容疑で逮捕された。

しかし、オズワルドは2日後、あろうことかダラス警察署内を移動中、ナイトクラブ経営者の男に撃たれて死亡、大統領暗殺の動機などは明らかにされずじまいだった。

ケネディ後継のリンドン・ジョンソン大統領が設置し、アール・ウォーレン最高裁長官(当時)をトップとした調査委員会は1964年秋、「オズワルドの単独犯行」という報告を取りまとめた。

しかし、委員会報告でも動機が未解明だったうえ、事件当初から、銃撃音が別方向からも聞こえたなどの目撃情報、それを示唆する映像が陰謀論を根強いものにしていた。

当時は冷戦のさなかだったことから、米国と敵対していた旧ソ連、キューバが関与していたのではないか、故大統領が不信感を持っていたCIA(米中央情報局)が画策したのではないかーなどの説、マフィアによる犯行との見方も繰り返しささやかれ続けてきた。

事件から50年の節目、2003年当時、調査委員会メンバーのうち唯一健在だったフォード元下院議員(後の大統領)は、筆者の取材に対し、「委員会は一致して、オズワルドの単独犯行を結論づけている」と断言、陰謀説については、「あったかもしれないという憶測にすぎない」と退けた。フォード氏はそれ以上の具体的な根拠に言及することはなかった。

■ 遺族も疑念抱くR・ケネディ氏暗殺

JFKの5年後に暗殺されたロバート・ケネディ上院議員は、故大統領の実弟。

その政権で司法長官を務め、旧ソ連による核ミサイル持ち込みをめぐって米国と旧ソ連が対峙したキューバ危機では、実質的な補佐官として、兄大統領を助けた。

ジョンソン政権登場後に政権を離れて、ニューヨーク州から上院議員(民主党)に選出され、68年の大統領選予備選開始直後、ジョンソン氏の突然の撤退表明を受けて急遽、出馬宣言した。

6月、カリフォルニア州予備選での勝利宣言を行った直後、会場のロサンゼルスのホテルで撃たれた。

犯人は、ケネディ議員のイスラエル寄り政策に不満を持つ24歳のパレスチナ系移民の青年で、終身刑を宣告されたが、直後から、兄の事件同様に、「ほかにも銃を発射人物がいた」「容疑者は前に立っていたが、致命傷は背後の傷だった」などの目撃談が伝えられていた。

1960年代の人気女優、マリリン・モンローを検視した著名な検視官、トーマス・ノグチ医師も、ケネディ氏の衣服に付着していた火薬などから、「犯人は別人」と主張、物議を醸していた。

発足したばかりのトランプ政権で、厚生長官に指名されたロバート・ケネディJr氏は、故議員の次男。2017年に服役中の犯人に面会した際、「あなたが犯人とは思わない」と伝えたといわれる。

長女で、メリーランド州の元副知事、キャスリーン・ケネディ・タウンゼント女史も「再調査が必要」とコメント、捜査結果に納得していない遺族の動向が論議を呼んだ。

■ キング牧師犯「ほかに真犯人いる」

キング牧師暗殺は、R・ケネディ議員の2か月前の68年4月。

黒人の権利を向上させた功績で1964年にノーベル平和賞を受賞した師は、集会出席のためにテネシー州メンフィスを訪れていたところを滞在中のホテルで撃たれた。 

ジェームズ・レイという40歳の男が逮捕され、99年の刑を宣告されたが、〝真犯人〟を名指しするなど、一貫して犯行を否認し続けた。

キング師の夫人や長男らは、その主張を支持。連邦政府に対して、再調査を働きかけてきた。レイは事件からちょうど30年がたった98年、テネシー州の刑務所で死亡した。

▲写真 最後の演説をするキング牧師(1968年4月3日 ワシントンD.C)出典:Bettmann/Getty Imagines 

■ 非公開は、「国家安全保障」が理由

ケネディ大統領暗殺に関する記録はあわせて500万ページにのぼるといわれ、1992年に可決された法律では、25年以内にすべて公開するよう定められている。

第一次トランプ政権の2017年とバイデン政権時代の23年に、新たに機密が解除されたが、全面公開は見送られていた。

CIA、FBI(連邦捜査局)などが、国家安全保障を損なうと反対したためといわれ、残る機密は約3000点といわれる。

トランプ氏は「遺族と国民が待ち望んでいる」と全面解除を強く求めているが、残るすべての文書が公開されるかは未定。

実現すれば、情報機関の関与、役割があったのかどうかが大きな焦点になる。それが明らかになれば、前世紀の事件とはいえ、各方面に大きな影響を与えることは避けられないが、否定的な観測が少なくない。

ケネディ大統領暗殺文書の解禁は2月初旬まで、ケネディ議員、キング師の文書は3月初めまでに行われる予定だ。

トップ写真:銃撃された直後のJ・F・ケネディ(1963年11月22日 米テキサス州にて)出典:Pascal Le Segretain/Sygma via Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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