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.社会  投稿日:2016/7/27

内部被曝との闘い 緒戦「勝利」した南相馬市


上昌広(医療ガバナンス研究所   理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

東日本大震災以降、福島県浜通り地方の医療支援を続けている。現在、当研究室(今年3月までの東大医科研時代も含め)を巣立った若者7人が相馬市、および南相馬市で常勤医師として勤務している。私たち、臨床医の責務は、現地で地道に診療し、その記録を残すことだと考えている。

6月30日、その中の一人で、7人の「兄貴分」である坪倉正治医師が英国の医学誌BMJオープンに論文を発表した。

“Estimated association between dwelling soil contamination and internal radiation contamination levels after the 2011 Fukushima Daiichi nuclear accident in Japan.”

 この研究は、震災後2年が経過した2013年3月から14年3月までの間に、南相馬市立総合病院でホールボディーカウンター(WBC)を用いて内部被曝検査を受けた7987人の住民を対象として、セシウム137の内部被曝の程度と、彼らの居住地の土壌汚染に関係があるかを検討している。

 受診者の年齢中央値は55才(範囲16~95才)で、男女比は43:57だった。受診者のうち、セシウム137が検出されたのは145人(1.8%)で、検出されたセシウム137の中央値は9.0ベクレル/キロ(範囲3.0~247.2)だった。

内部被曝の程度と土壌汚染との関連は統計学的には有意だった。ただ、その影響は軽微で、土壌汚染が10万ベクレル/平方メートル増加すると、内部被曝のリスクが1.03倍上昇するだけだった。医学的に問題となるレベルではない。

坪倉医師らの研究は、南相馬市では、土壌が汚染された地域に住んでいる住民でも、内部被曝は問題とならないことを示している。南相馬市の一部の地域では、いまでも土壌汚染が深刻だ。ご興味のある方は、こちらのサイトをご覧頂きたい。最初のページで「同意する」をクリックしていただければ、土壌汚染、空間線量などの時系列のデータを閲覧することができる。

どうして、このような結果になったのだろう。内部被曝を考える上で、重要なのは福島第一原発から放出された放射性物質が、如何にして体内に入るかを理解することだ。原発事故直後は、空中に浮遊する放射性物質を吸入する可能性もあった。しかしながら、震災から2年もすれば、大部分の放射性物質は地面におち、土壌に取り込まれるか、雨で流され、川から海へと放出された。

 原発事故から三年目の段階で、住民が内部被曝するとすれば、土壌に含まれる放射性物質を吸収した植物、あるいはそのような植物を摂取した動物や魚を食べる場合に限定される。内部被曝を避けるには、汚染された食材を食べないことだ。では、実態はどうだったのだろう。

 坪倉たちの調査によると、住民の25.8%が、流通している食材では無く、地元でとれた野菜・果実を食べていた。米は13%、乳製品は2.1~3.4%(タイプにより異なる)だ。一方、流通外の魚・肉・キノコを食べている人は皆無だった。

 「震災3年目の段階で、福島県産の食材を食べるなんて」と驚かれる読者も多いだろう。ただ、これはそんなに不思議なことではない。南相馬市は地元の食材の汚染度を検査していたが、当時、すでに野菜や果物から放射性物質が検出されることは稀だった。多くの国民が思うほど、危険ではなかった。

 さらに行政や農協による食材の検査体制が充実していた。このような検査体制は、地元の食材だけでなく、流通している食材も対象とした。福島県民に限らず、多くの日本人は市場で購入した食材を調理するか、あるいは外食をする。内部被曝を防ぐには、流通する食材の検査体制の方が遙かに重要である。

今回の研究で、土壌汚染が強い地域に住んでいた住民の殆どで内部被曝を認めなかったのは、このためである。官民をあげての検査体制が、福島県民を内部被曝から守ったことになる。

では、今後の課題は何だろうか。それは、ごくまれに存在する高いレベルの内部被曝を認める住民への対応だ。今回の研究でも247.2ベクレル/キロものセシウム137を認めた人がいた。露地物の山菜やキノコを、放射線検査を受けずに食べていた人だ。

このレベルの内部被曝でさえ、年間の内部被曝量は許容範囲内という考え方もあるが、不要な被曝を避けた方がいいことは言うまでもない。放射線について、十分に情報提供する必要がある。

今回の研究の問題は、悉皆調査(しっかいちょうさ 注1)でないことだ。南相馬市では、小中学生に対しては内部被曝検査を学校健診に組み込んでいるが、それ以外は希望者が受診するだけだ。前出の人物は氷山の一角の可能性が高い。このような放射線に無関心な住民は、今後、増加する可能性が高い。

また、これで検査体制を緩めていいと言うわけではない。1986年に起こったチェルノブイリ原発事故では、住民の内部被曝が最大になったのは、原発事故から12年目だった。1991年の旧ソ連崩壊による経済危機もあったが、住民が汚染された食材を摂取するようになった。油断したのだろう。

坪倉たちの研究が示すように、南相馬市は内部被曝との闘いの長期戦の緒戦を「勝利」した。ただ、被曝対策は長期戦だ。検査体制を維持し、教育活動を継続する必要がある。

(注1)         悉皆調査(しっかいちょうさ)

調査探究しようとする事象を全体に亘り、重複することなく行う調査方法。

 


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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