「男系の伝統」の本質を問う 知られざる王者の退位 その8
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
8月26日深夜(正確には日付変わって27日に放送されたが)、TV朝日系の『朝まで生テレビ』で、天皇の生前退位の問題を取り上げていた。番組内では、司会の田原総一朗氏をはじめ、大半の出演者が「譲位」という言い方をしていたが、これは、わざわざ「生前」退位と呼ぶこと自体が不敬だとの声に配慮したものであったろうか。
そもそも天皇の地位は崩御と同時に世襲される、という規定を変えるべきか否か、という議論なのであるから、生前退位と呼んだ方が分かりやすいと思うが、これはあくまで私個人の考えである。それはさておき、この討論番組は、途中から女性天皇を認めるか否か、という議論に変わってしまった観があった。無理からぬ面はあると思う。
と言うのは、各種世論調査によれば、国民の80%以上が生前退位に賛成しており、番組のパネリストの中にも、正面切って「天皇の地位は終身のもの=生前退位は認められない」と主張する人などいなかったからである。
ただ、本シリーズではすでに指摘済みのことではあるが、皇室典範を改正せねばならないとなると、退位後の天皇の呼称から元号まで、クリアせねばならない問題があまりに多いので、今上一代に限っての特別立法という方向に収斂されて行くと思われる。少なくともこの予測と矛盾する情報はもたらされていない。
ただ、こうした方法が採られた場合、皇太子がいなくなる、という問題が新たに浮上してくる。秋篠宮は「皇太弟」にはなり得るが、天皇の子供ではないので、皇太子とはなり得ない。その次の世代となると、男子が一人しかいない、という現実に直面するわけだ。
そこで「女性天皇」「女性宮家の新設」が検討されているわけだが、番組では、明治天皇の玄孫だという竹田恒泰氏が、「女性天皇は、女系天皇への入り口になる」と主張し、反対意見を表明していた。ではどうするのか、という田原氏からの問いに、「男系の旧皇族から養子を迎えられるような制度にすればよい」と答え、ヒンシュクを買っていた。何親等離れた養子になるのか、というわけだ。
意外に思ったのは、安倍政権による憲法改正の動きに反対して政治団体まで起ち上げた、憲法学者の小林節氏が、「2000年の男系の伝統は、軽々しく変えない方がよい」と主張したことで、この問題は保守とかリベラルとかいう区別を超えた、国家観・歴史観の問題なのだと、あらためて認識させられた。
私自身は、女性天皇即位は認めてよいし、その結果として男系の伝統が変わることがあっても受け容れるべき、と考えている。理由は割合簡単で、竹田氏や小林氏の言う「2000年の男系の伝統」が、いかにして維持されてきたのか、という問題意識がまずあるからだ。
それは、疑いもなく側室制度である。
今上で135代目とされる天皇だが、過去、60人以上の天皇は皇后ではない女性を母として誕生している。実は大正天皇もその一人で、側室制度が公式に廃止されたのは、昭和の世となってからなのだ。
さらに言えば、側室制度があったために、膨大な数の「皇位継承権者」が誕生した例もあり、その場合、あまり身分が高くない女性の子は臣籍降下、すなわち皇族から除外されて、新たな家系を作ることとなった。
代表的なものが桓武平氏・清和源氏で、武士のルーツについては諸説あるものの、臣籍降下した旧皇族から「軍事貴族」への流れに求める説も有力である。詳しくは拙著『武士の正体 読み直す日本史』(電子版配信中)をご参照いただきたい。
とどのつまり、どうあっても男系の伝統を維持せねばならない、という議論を突き詰めて行くと、40年間にわたって男児が誕生しなかった現実もあって、側室制度の復活をも視野に入れねばならなくなるのである。今時、誰がそのようなことを支持するであろうか。
ことによると竹田氏の「養子論」も、「側室制度の復活よりは、多くの国民の理解が得られるのではないか」という文脈で理解すべきなのかも知れない。
再三述べている通り、今上の生前退位の問題に話を限るならば、国民世論の支持を背景に、特別立法で乗り切れるかも知れない。しかし、その先の問題は、ただちに大胆な議論を始めねばならないのだ。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。