英国単純小選挙区制が変わらぬ理由 世界の選挙事情 その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
わが国で小選挙区制が導入されたのは、1996年のことであるが、これはもともと、英国の選挙制度を手本にしたものであったことは、よく知られている。
これもよく知られる通り、英国議会は長い伝統を保っているのだが、当初、爵位をもつ者はハウス・オブ・ローズ(貴族院)、持たざるものはハウス・オブ・コモン(庶民院もしくは衆議院と訳される)に議席をもつこととなった。
現在は上院・下院という訳語が定着しているが、正式名称は今もこの通りである。爵位をもつ世襲の貴族は、満21歳になると自動的に上院の議席が与えられるが、反面、下院の選挙権および被選挙権がない。そのまた一方では、政界に限らず、様々な活動で名声を得た人には、ナイト爵位というものが与えられ、上院議員たる資格を得られる。
細かいことを語り出すときりがなくなるが、ここではとりあえず、英国議会は最初から二院制であったことを覚えておいていただきたい。
当初はまた、投票権も一定の身分と資産を有する者、具体的には貴族か、ジェントリーと呼ばれる地主階級(ジェントルマンの語源でもある)にほぼ限られていた。有権者は総人口のおよそ3%に過ぎなかったと言われる。
しかしその後、大衆に政治参加の道を開くべく「一人一票」を求める運動が盛り上がり、1884年に、有権者3万7500人に対して一議席を割り振る「戸主選挙制」が導入された。この名称からも推察される通り、この時点でも有権者は扶養家族のいる成人男子に限られていた。英国でも女性に参政権が認められたのは、第一次世界大戦後のことである。
つまり、二院制だけでなく小選挙区制も、英国においては当初からのものであった。この制度は現在も基本的に引き継がれているので、英国下院の議席数は650に達している。わが国の衆議院は定数415で、およそ3分の2ほどだが、英国の総人口がわが国の半分くらいであることを考えると、実はかなりの差がある。
このため英国でも、議員定数削減を求める声がないわけではないが、さほど大きな動きにはなっていない。伝統という要素もあるが、実際に私が労働党の議員に意見を求めた際に返ってきた答えは、「(現行の制度に)問題がないわけではないのでしょうが、議員と有権者が密接な関係を保てる、という意味では、小選挙区制の利点も、もっと強調されてよいと思います」ということであった。
余談ながら、昨今日本で話題の「一票の格差」についても、英国の方が実は大きい。イングランドのワイト島では、有権者人口11万あまりに対して1議席、スコットランドのヘブリディーズ諸島では、2万1000人ほどで1議席となっている。実に5倍もの格差が存在するわけだ。ただしこれは、前者の場合は「本土の政治的対立が島にまで持ち込まれることによって」、後者は「本土の選挙制度に組み込まれてしまうことによって」、島の伝統的なコミュニティーに悪影響が及ぶ事を拒否し続けているからであり、当然ながら格差の解消を求める声などは聞こえてこない。
これでお分かりのように、英国において単純小選挙区制が今も支持されているのは、「議員が国政と選挙区の問題に、両方目配りができるようになっている」、「各選挙区の個別具体的な事情に、ちゃんと配慮がなされている」という、ふたつの理由によるものだと考えてよい。
しかし、わが国の小選挙区制に同様の機能を持たせようと考えたならば、なにしろ議員定数をかなり増やさなければ実現しがたい話で、時代に逆行する、と一蹴されるのがオチであろう。
もうひとつ、単純小選挙区制の利点として、二大政党制が定着し、なおかつ政権交代が起きやすい、とよく言われる。たしかにその通り、と言いたいところなのだが、本当はそこまで単純な話ではない。英国の総選挙では、党首の人気が選挙結果に大きく影響する。議院内閣制ではあるのだが、総選挙でもっとも多くの議席を獲得した政党の党首が、自動的に首相に指名されることになっているからで、とどのつまり英国の小選挙区制は、「間接的な首相公選制の機能を有している」と評価することができるのだ。
わが国でも、首相公選制を模索する動きがないわけではないが、英国の場合、有権者の意識が米国大統領選挙のそれに近くなってきた、という側面も見逃してはならない。日本も議院内閣制であるという意味においては、ほぼ同様のシステムだと考えることもできるのだが、有権者の大半は、自分の一票が議員を選ぶことはあっても、首相は与党内の力関係で決まるものだと考えている。
どのようなシステムであれ、その歴史的背景や人々の意識について知ることをせず、単に模倣したのでは、それこそ「仏作って魂入れず」の愚を犯すことになるであろう。
(その1、も合わせてお読み下さい。)
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。