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.経済  投稿日:2017/1/21

『日本解凍法案大綱』6章 社団法人 その1


牛島信(弁護士)

高野から大木に電話がかかってきた。固定電話だから先ず秘書がでる。高野なりのこだわりなのだ。携帯に、あるいはスマホに電話することは簡単だ。大木とはそうしても当然の仲だ。しかし、相手がなにをしているか分からないのに傍若無人に邪魔立てするのは紳士のすることではないと思っている。だから、昼間の時間には秘書の出る固定電話にかけてくる。そして用件を言う。できるだけ急いで会いたいというのがその用件だった。確かに、本人をむりやり呼びださなければならないという話ではない。それに、大木はそのとき自分の部屋にはいなかった。

高野という男は、いつでも自分の言葉をきちんと整理している男だ。火急のときは火急と、急ぎだがそれほどではないときには、できるだけ急いでと言う。そうでないときには?そもそも電話などしてこない。

(できるだけ急いで、か。そもそもこの世の中でできないことは誰にもできないことなのだから、そんな表現はどれだけ中身のある言葉なのか)

大木は独り心のなかで思いながら、秘書の手書きのメモを机の上において電話を返す。

「わかった。

今日は輿水信一郎先生の励ます会があってな。6時半から東京プリンスだ。7時には事務所に戻っているようにはできる。それでいいか?」

「ああ、輿水信介の息子さんだろう。俺も行かなきゃいかんのだが、今日は止めとく」

「俺のほうは彼の親父さんの代からの付き合いだからな。行かんわけにはいかん」

「輿水信介も惜しかったな。あの人は世の中を変える力のある人だった」

「息子の輿水信一郎もいいよ。売り出し中のイケメン議員だ。なにより飲み込みが早い。決断力がある。実行に手間ひまかけない。

俺は総理大臣になる器の男だと期待している。

その先生の顔を拝んだらすぐに事務所に戻って来る。あの世界では、顔を見せているかどうか、つまり、身体を動かしたかどうかが重要なんだ。それで誠意は測られる。参加者は1000人近い。金屏風の前の本人にあいさつすれば、それでその日は会場で話をするチャンスはない。だから、すぐにいなくなっても構わない」

「わかった。7時だな」

(できるだけ急いで。でも、できないことはどうにもできません、と)

大木はスマホを切ると、独り呟いた。

高野の母親が墨田のおばちゃんに、息子が買取りを承知したと告げると、あっという間に同じような非上場の少数株主からの依頼が高野のもとに次々と舞いこんできた。墨田のおばちゃんが、高野が買ってくれるという返事を聞いたとたん、嬉しさと安心のあまり自分の手元にあった古い紙切れが500万円で売れることになったと年寄り友だちにしゃべらずにはおれなかったのだ。

「川野純代さんて子どものころからそういう人なのよ」

なかば言い訳のように高野の母親は息子に言った。

友は類をもって集まる。

川野純代なる老女の周囲にいた女性の多くが、同族会社の株主になっていた。中小企業を創業し、成功して死んでしまった男の妻だった老女たち。相続したのだ。戦後の復興とともに会社を興し、その後にやってきた日本の高度成長を支えた中小企業のオヤジさんたちが、妻や子どもを残して死んでしまった。1910年代に生まれ、多くは1980年から90年にかけて死んでいった男たち。鉄工所を創った男もいた。その鉄工所の荷物を運ぶ運送会社を創った男もいた。そんな男たちが運転するオート三輪が、部品に加工された鉄を載せて忙しくバタバタと音を立てながら狭い路地を走り回っていた。

路地は子どもたちの遊び場でもある。子どもたちが紙芝居に夢中になっていて、オート三輪が来るとそのときだけ道の端に寄る。かつて存在したそうした街が、時の経過とともに、土がむき出しで雨が降ると決まってぬかるみになったのが舗装道路に替わり、子供たちはそんな道路から追い出されて塾にかようようになり、誰もいない乾いた道路を大型の車両が我が物顔に走るようになっていった。そのうち、いつのまにか街全体が年老いてすっかりしぼんでしまった。

相続があればその度に会社の株は分散していく。そうやって同族会社の少数株主になった人たちが墨田のおばちゃんの話を聞いて我がことと高揚したのだ。

それだけではない。創業者の下には、いっしょに会社を支え、株を分けてもらった男がいた。いわば番頭格の、創業者にとって右腕とも称すべき男たちだ。その男が死んで、遺族にはなにがなんだか事情がよくわからないままに、とにかく株が財産のなかに紛れ込んでいたというケースもあったのだ。

おばあさんには子どもがいる、孫がいる。なんのことはない、そうした人々を相手に墨田のおばちゃんは、高野のきわめて効果絶大かつ無料の広告塔になっていた。ネットでもSNSでも、情報は伝わる。しかし、決め手になるのはいつも口コミだった。その口が現代では電波に乗っている。それだけではない。年寄り同士、ことに女の年寄りは顔を合わせて、とりとめのないおしゃべりに熱中する。その機会に、ねえ聞いて聞いて、こんなことがあったのよ、といった調子で話す。年寄り同士と言ったが、少女たちの集まりだったころと心は少しも変わらない。小学校の同級生だった女の子たちは80年経ってもお友だちでいる。男にはないことだが、女では珍しくもない。下町の少女たちは生まれた同じ場所に住み続け、そのうちに下町の幼女が下町の老女になっていくのだ。

その数が10社を超えていると聞いて、高野は驚いた。高野は、改めて大木に相談に行かねばならないぞと自分に言い聞かせた。その自分の心のなかに、なぜか驚きだけではなく同時に安ど感のようなものが存在していることに高野が気づいていたからだ。

高野は説明しがたいなにかを感じて安どしたのだった。我ながら不思議な気がした。

外の力にわけもわからないままに突然に掴まれ、抵抗することのできない強い力で一方的に引きずられる。運命が有無を言わせない力で高野の体を締めつけて自由を奪い、高野の体を道具のように使ってその意志を遮二無二実現していく。運命に人生を支配されている者の倒錯した快感に似たものが高野にあった。思えば、高野はこれまでの人生をいつもそうやって、外部のなにかに拘束されて生きてきたのではなかったか。

今の妻の英子に出逢ったときがそうだった。ちゃんとした妻がいて、一生かかっても使いきれない金の100倍どころではない金をわずか数年で稼いでしまっていた。妻とそれなりに楽しく安穏に暮らしていたのに、英子の顔を見た瞬間に心がからめとられてしまった。だから、1000億を超える資産を投げ捨てるように何もかも叩き売ってしまったのだ。

もちろん、高野はそのときなりに己の意志で自分が選び取ったものだといつも思ってきた。だから、高野にはこんどの安ど感の正体がわからない。

大木の事務所の同じ部屋に、前のときと同じような形で高野と大木が向かい合って座っていた。

高野は、かいつまんで状況の説明をした。

「どうやら、俺は古びたおかしな壷を拾って、うっかりそいつの蓋を開けてしまったらしい。

海の底を網でさらっていたら、網の底のほうにゴミといっしょになって古めかしいアラビアの小ぶりな壺が入っていた。そいつを右手の親指と人差し指の先で摘みあげてみた。目の前にかざして蓋をひょいと開けたら、煙とともにとんでもない大男が現れたって図だ」

「オマエ、アラジンと魔法のランプの話のつもりか?

それとも墨田のおばちゃんの続きか?

なんのつもりで言ってるのか知らんが、あれはもっと時間がかかる」

「わかっているさ。あれはもうオマエの手のなかにある。俺は少しも心配していない。

今日は別の話だ」

「別の話?」

「ああ、そうだ。墨田のおばちゃんの件、そいつがとんでもないところに俺を引きずってゆくらしいっていう話だ。

俺だけじゃない。オマエも俺といっしょに行くことになる」

「らしいって、いったいなんだい。いくらオマエと俺の仲でも地獄までいっしょってわけには行かんぞ」

「この世の話だ、心配するな」

「墨田のおばちゃんの株を買い取る話だろう?

あれは会社からは予想どおり断りが来て、もう裁判になっている。この間も話したとおりだ。ま、予定どおりってとこだがな。

オマエはどちらでもいいと言ったが、できるだけ高い値段にしたいんだ。裁判所に経緯と筋を理解してもらえば、かならずオマエもびっくりする金額にしてもらえる。裁判所は常にフェアだ。少なくともフェアであろうと努めている。つまり、果報は寝て待てってことだよ」

「違う、違うんだ、大木。

それはそれでいい。

その話で来たんじゃない。墨田のおばちゃんがくれたアラビアの壺の中から煙とともに出現した巨人のことだ。

俺は思うところがあってな。だから、オマエにきちんと話してしておきたいんだ。相談ごともある。オマエにとっても大事なことだ。それで来たんだ。

壷から出てきた巨人が俺に向かって、ヤレ、ヤレってけしかける」

高野はまなじりを決しているように見えた。その迫力に大木は思わず座り直した。

「墨田のおばちゃんに株を買うと伝えたら、私の株も買ってくれという人がたくさん現れた。

初め、俺は少し慌てたんだ。

芥川の『蜘蛛の糸』って読んだことあるだろう。カンダタという人殺しや盗みといった悪事を尽くした男が地獄に落ちてもがいている。お釈迦さまがふっと、そのカンダタも生前に蜘蛛を踏み殺しそうになって慈悲心を起こして助けてやったことをおもいだす。それで自分のいる極楽から蜘蛛の糸を一筋、地獄のカンダタに向かって垂らしてやるのさ。カンダタは喜んでその糸に飛びつく。せっせと登る。どうやら地獄を抜けだせそうだというはるかな高みまで昇って来て、ほっとして下を見ると、その蜘蛛のか細い糸に無数の人間がうじゃうじゃとしがみついていて、カンダタとおなじように必死に昇ってきているじゃないか。そこでカンダタは「この糸はおれだけのものだ。お前らなんかは地獄に戻れ!」と叫ぶのさ。その瞬間、プッツリと糸が切れて、それでお終い、だ。むごい話だ。

俺もカンダタじゃないが、「この細い糸が切れちまうじゃないか」と叫びだしそうだった。だってそうじゃないか、俺の財布をあてにしてあっという間に5つ10もの会社の株主がすがりついてきたんだ。きっと20や30では済まないことになる。20社でも、1社500万で1億からの金が要る。もし何億にもなったらどうしようかって、正直なところ、さすがの俺も怖くなったんだ」

「正直なところ、か。自分の顧問弁護士には正直に頼むぜ。弁護士に見栄を張るとオマエの損になる」

「まあ黙って聞け。

そのうちに俺は、これは天命だなと感じたんだ。天が俺に命じた、と。

だから、今日ここにこうやって座っている。

俺は、その人たちの株を買い取って、株主になって会社に働きかけたい。値段じゃない。買わなくってもいい。いっしょにやるというのなら、それでもいい。俺は、会社ってのはフェアに株主に接しなきゃいかんと思っている。過半数の株を持っていれば、後は知らん顔ってのは、どう考えてもおかしい。

そのためには、まず情報が要る。値段なんてのは、その後の可能性に過ぎない」

「ああ。そのとおりだ。コーポレートガバナンス・コードにもそう書いてある。初めに開示ありき、だ」

「だろう!そこだよ」

高野は満足そうに声に力を込めた。

「俺は、世の中の非上場会社がフェアな経営をするようになってほしいんだ。

少数株主がフェアな扱いを受けるようにしたいんだ」

「しかし言ったろう。現実問題としてオマエは非上場会社の株主にはなれない。

所詮当て馬にしかなれないんだよ。

そんなことを百も承知でやる奴がいたら、世間は薄汚い金儲け目当て野郎だと悪口を言うぞ。人は金が儲かることでないと動かないと世間は信じている。己の心に潜む嫉妬には気づかないままに、な」

と大木が言うと、

「それは違う。俺には買って儲けるつもりはない。買ったあとで他に転売するつもりなんか少しもない。

俺は、自分の利益は要らない。義を見てせざるは勇なきなり、なんだ」

「そんなこと、誰が本気にするかな。いや、オマエが本気だと見てくれるかな」

「問題は会社にある。経営者、社長だよ。最大限の経営をしていれば誰も文句は言わない。だから、上場会社ではコーポレート・ガバナンスが言われ始めた。

だがな、大木。

上場会社の少数株主はマーケットがあるから売ればいい。

しかし、非上場会社、同族会社の少数株主はどうしたらいいんだ?

非上場会社のコーポレート・ガバナンスなんて誰か言ってるのか。

俺はそれをやる。

買った株を売るのはどうでもいい。だから、買った後の売値なんかには興味がない。そもそも転売するつもりが俺にはない。

根本の一番大事なことを抜きにして、売買するために受け皿になるってのは良くない。転売して金を儲けてやろうってために決まっている。薄汚い、やつだ」

 

(第6章その2に続く。最初から読みたい方はこちら


この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

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