『日本解凍法案大綱』7章 全国の墨田のおばちゃんたち
牛島信(弁護士)
高野は大木の顔をまじまじと見つめると、
「だから、俺は新しい会社を作ろうかと思っている。
だけど、心配はオマエの言った『オマエのやってるのは薄汚い金儲けだって世間に言われる』って話なんだ。違うんだ。俺のは義憤だ。別に金儲けが薄汚いなんて思ったことは一度もないが、今度のことはぜんぜん違うんだ。それがはっきりとわかるようにしてくれ。会社の名前はなんとつけたらいい?」
「墨田のおばちゃんの件だけで、一回こっきりの話なら俺の名義でも俺の持っている会社の名義でも構わない。しかし、話したとおりどうやら数が予定していたのと桁違いになりそうだ。
他人さまの金を扱う仕事だ。人様の株を買うって話だ。金儲けのためだ思う連中もいるだろう。誤解されたくない。まあ、自慢じゃないが俺がバブル崩壊後にしてきたこともいろいろあるしな」
「ああ、バブル崩壊を見通してその頂上付近で手仕舞い、崩壊しきったらおもむろに出動するなんてことは誰にでもできる芸当じゃない」
「またそれか。
なにもかも偶然なんだよ。今の女房に惚れたらこうなってしまった。俺はお釈迦さまの手の平の上で飛んだり跳ねたりしていたつもりの孫悟空さ」
「それでも、なんのためにせよ目の前に確実な儲け話があるのに手を引いたオマエの決断力は凄かった。その時にはなんともバカなことをと思ったが、後になってから俺は大いに感心したよ」
「その話はもういい。
未来の話をしよう。俺は過去には関心がない。
こいつは俺のためじゃない。金儲けにしたい奴はするがいい。
俺は違う。俺は、こう思っているんだ。
日本には100年以上続いた会社が2万社もあると言う。そう聞けば、オマエだってなるほどと思うだろう。言うまでもないが、そういう長寿企業の大半は同族会社なんだ。日本にはそうした会社がたくさんある。ドイツには1500社しかない。日本てのは世界のなかでも珍しい長寿企業大国なんだ。江戸時代から続いている会社が3000社と聞けば、その物凄さがわかろうというものだ。そういう国柄なんだな。
おっと、偉そうに大弁護士さんに講釈してしまったが、なに、今度のことを考え始めてからのにわか勉強なんだがね。
どうしてそうなのか、って俺なりに考えた。
それで思いついたのが、日本の同族会社が利益第一ではないからじゃないかってことなんだ。
そうした会社では何が優先事項か?
会社が生き続けることそのものさ。今風に言えばサステナビリティってことになるのかな。自分たちが生きていければいい。それだけだ。その裏で泣いている少数株主のことなんて誰も考えもしない。公私混同は得意だがな。
だが、俺は俺のやることは金儲けにはなってはいけないと思っている。少数株主は救われなくてはいけない。しかし、それを金儲けの手段にしてはいけないと世の中に問いかけたい。
俺のしようとしていることを真似して金儲けの手段に使うやつは、社会のためにならない、国のためにならない。」
高野は停まらない。
「なあ、大木。孔子は1頭目の牛を助けたあと、同じように荷物を背負って喘いでいる牛に出会わなかったのだろうか?
そんなことはあるまいと思う。なんども同じ機会があったに決まっている。
では、二度目のとき孔子はどうしたのだろう?三度目は?四度目は?
そのたびに助けてやったのだろうか?
そんなこと、巨万の富がなけりゃできない。孔子は金持ちじゃないし、権力者でもない」
「孔子は、2頭目は気にならなかったんじゃないか。いや、1頭目だって本当に助けたのかどうか、誰も知らない。弟子と話せば、弟子に情熱を教えてやれば、もう自分の心のなかでは終わったことだったのかもしれない。所詮、世の牛を我が手で救うことなど自分の力の及ぶことではないと初めから分かっていたから。
弟子に、知識ではなく行動への情熱を教え諭したら、それでよかったのだろうと思う。口先に理屈を乗せてみるだけでは意味のないことを示したかったんじゃないか」
「ほう、陽明学のようだな」
「そうかもな。陽明学も、もともとは孔子だろうからな」
「プラトンかもしれん。
なんにしてもオマエが、国のためにならないなんてセリフを言い出すとはな。
なんともだな。
オマエからそんな話を聞くとは思いもしなかったが、オマエの言っていることはわかる。
俺は弁護士だから、頼まれれば違法でなく、かつ俺なりの正義感に反しなければどちらの側の味方でもする。誰のために働いても日本の法の支配に貢献することになるってのが俺の信念だ。
ほんの少し、見えないくらいちょっぴりだけどな」
「わかってる。
だから、オマエをお抱え弁護士として押さえておきたかった。
考え出したら、一刻の猶予もならない気がした。切羽つまったという思いなんだ。それで直ぐに会いたくなったってわけだ」
「できるだけ早く、な」
高野の言葉を軽く受け止めたものの、大木は
「そこまで思いつめているのか」
テーブルに置いた自分の両手をながめながら、独り言のように小さな声を漏らした。
高野に向き直ると、まっ正面から顔を見つめながら、
「社団法人にしろ。それがいい。社団法人は利益の配当ができない。だから、社団法人で金儲けをしようなんてやつはいない。金の欲しい奴はみんな株式会社にする」
「なるほど、世の中ってのは、いや、法律ってのはそんな風にできているのか。知らなかったな。
わかった。
で、なんて名にしたらいい?」
「社団法人非上場会社社外取締役導入推進協会はどうだ?
いや、社外を入れることだけが目的じゃないから、狭いな。
オマエのいう、当て馬でもいい、なんにしろ株主といっしょになって会社に株主として働きかける、っていうのを世間にわかってもらえるようでなきゃな。
そのためには、端的に非上場会社コーポレート・ガバナンス推進協会というのはどうだ?
読めばすぐになにをする団体なのかわかる。
世の中は、コーポレート・ガバナンスというと上場会社のことだと思っているから、おや、と注意を引きつけられる。
コーポレート・ガバナンスの推進とうたっているから、社外取締役の導入を呼びかけるのも目的の一つに決まっている」
「非上場なんてふつうの人にわかるのかなあ?それに、非ってのはいかにもネガティブに響く。
同族って言えばだれでもわかる。非上場ったって、良くも悪くも同族会社の話だろ」
「そうだな。そのとおりだ。さすがに人たらしのセンスがある。そのほうがいいな。
しかし、同族会社コーポレート・ガバナンス推進協会では、いかにも長いな。
ここはオマエのビジネス・センスで、なにかひねり出せよ」
高野と大木は、見たこともなかった新しいおもちゃを手に入れた幼い二人組の子どものようにテーブル越しに頭を突き合わせていた。
高野が声をあげた。
「わかったぞ。同族会社ガバナンス協会、で行こう」
「好い名だ。
その社団法人が非上場会社、同族会社にガバナンスを説き、場合によっては少数株を売る手伝いをする。
いあや、こいつは面白いことになりそうだな。俺にとっては社会と国の役に立ってる間に弁護士業もできてしまうってわけだ」
(8章 成功報酬 に続く。最初から読みたい方はこちら)
あわせて読みたい
この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html