日本解凍法案大綱 19章 人はそれぞれのタデを食べる
牛島信(弁護士)
柴乃はトカイのグラスをあおると、空になったグラスを目の高さにかかげた。片目をつぶってグラス越しに高野の顔を眺めながら、そっと自分にささやきかけた。
(おかしな二人、おかしな会話。
私の話は私が損をする話。
でも、私はその話をこの目の前にいる人としたい。
どうして?
『よくやったね』と誉められたいから。
三津田作次郎が知ったらなんと言って嘆くかしら。
『お馬鹿なお嬢さんだな。ちっとも変わらないね。もう俺は冥土にいるから助けてはやれないよ。手の中の財産は投げ捨ててしまえば決して二度とは戻ってこない。ま、後になって臍を噛むのさ』
あのときもあの男はそう言った。結婚するのか。そうかい。でも、この会社を出て行ったら俺は手を出して助けてやれないよ、って。でも21歳だった私は若い男のところに飛び込んだ。そして案の定すぐに別れた。別れて三津田作次郎のところへ戻ってきた。
『長い旅をしてきたんだね。お帰り』
三津田作次郎はそう言って、やさしく抱いてくれた。私は黙って涙を流していた。
40年前。
それから何年もしないで作次郎は死んでしまった。そのときには私は大津から梶田に替わっていた。作次郎が私を金持ちにしてくれた)
高野の声がした。
「非上場会社のオーナーの立場は、もし会社が上場会社だったら、と考えると分かりやすいですよ。
少数株主も株主として大事にされなくてはならない。配当か自社株買いか。業績を改善して株価を上げるのもいい」
「では、ムコージマ・コーポレーションも新規の投資をして、と?」
「いや、簡単でないことはわかっています。現に、上場会社でも250兆円も内部留保が積みあがっている。そのことを批判されてもいます。でも、使い道がない。海外の会社をM&Aして、それで大失敗になっているところもあります。東芝、といったら誰でもわかります」
「では、ウチは?」
「いっしょに考えてゆきましょう。そのために社外取締役になったのですから。監督だけではなく助言も社外取締役の仕事です」
高野の柔らかい、優しい声が柴乃の耳の奥を柔らかくくすぐる。
(そうなの。その話を二人でしていたいんです。
できれば、いつでも、いつまでも)
「はい、どうかよろしくお願いします」
みなこがトカイの小さ目のボトルを左手で持ち上げて話に割って入った。
「もう一杯ずついかが?アイアイ・グラスで」
微笑みながら、二人の空いたグラスをもういちどトカイで満たした。
(ああ、グラスの酒は元に戻すことができる。しかし、人の人生の時は往って、還らない。なんという残酷なことか)
高野は、おもわずカウンターの上に置かれた柴乃の左手に右手のたなごころを重ねた。柴乃が握り返してくる。顔を見合わせた。
「おやおや、冷たい手ですね」
「そうなの。子どものときからずっとそうなの」
一気に関係が変わった。もう他人ではない。手は心を伝える。手を握り合えば他人ではなくなる。伊藤整の言ったとおりだ。男というものは六十歳になっても、まだ性の攻撃衝動から抜け出すことができないのだ。気をつけろ、生きている間はなにをするか分からないぞ。
高野は紫乃の手の上にある自分の手を意識しながら、
(たぶん、帰りのエレベータのなかでキスすることになるな。このみなこという女性は気を利かしてエレベータにはいっしょに乗らないだろう。
ひょっとしたら、以前にも別の男性をこの店に連れてきたことがあって、今日と同じことがあったかもしれない。
それはそれでよい。今は今しかない。明日は来るともしれない。)
高野は自分に放恣を許すことにした。帰ったときには英子はもう眠っていることだろう。最近は疲れるからと先にベッドに入ってしまって、高野が寝室の電気を消すときには軽いいびきをかいていることが多い。それでいいのだ。若くて、体を重ね、激しい動作をしないでは眠りにつくことができなかったときはどこかへ流れて行ってしまった。二人の時の時は去り、英子は静かな日々を穏やかに送るようになり、高野は独り取り残されている。
帰り、車に独りで乗ろうとしてほんの少しふらついた。前の車に乗った柴乃に大げさに手をふったせいなのだろう。運転手の南があわてて脇から支えてくれる。初めてのことではない。
(さてさて。まるで15歳の少女と16歳の少年のようなキス。二羽の小鳥のように、唇の先端だけをほんの一瞬合わせるだけのキス。
エレベータのなかでのその儀式が終わった以上は、次ということになる。
大丈夫だ。うまくやれば誰にも心配をかけないで済むだろう。大騒ぎしないことだ。もうそんな時期はとっくに過ぎた。68歳の男と63歳の女にふさわしい関係。
いやいや、大木に話したらなんと言うことか。
昔のように、「オマエの人生への底なしの野心には敬服するよ。人生の愉しみは出汁(だし)椀(わん)の底に残った最後の一滴まで味わい尽くさないではおかないという、迫力というか強迫観念というか、そいつがオマエにはとり憑いているからな。高校のころからそんな奴だった。」
と昔話の一つもして、
「だがな、なにごとも相手のあってのこと。男と女の信頼は、いったん崩れれば戻らない。妻を傷つけた夫になってしまえば、そのことを後悔してみても決して取り返しはつかない。一時の欲望に駆られて静かで平安な日常を失ってはならない。」
とローマの哲人皇帝、マルクス・アウレリウスのように片頬で笑うのか。
(大木の言うとおりだ。俺もそう思う。
それだけじゃない。英子を思えば俺の心は痛まずにはいない。英子にとっては、過去自分が他人にしたことが今度は自分に起こるのだ。俺を恨むのは簡単だ。しかし、そうしたところで、結局は俺がそういう男であればこそ英子は俺を手に入れることができたという事実に帰着する。同じことが同じように起きている。世の中に片づくなんてものはほとんどありゃしない。ただ、英子の立っている場所が昔の反対側というだけだ。英子にとってのデジャビュ。
つまりは俺と出遭ってしまった我が身の不幸を呪うしかあるまい。)
そこまで来て、高野は微笑を漏らした。自分への冷たい憫笑だった。不快だった。
(お互いに隠しているだけかもしれない。
もし英子が俺に知られないように他の男と会っているとしたら?
そいつは、どこかホテルの一室かもしれない。俺が柴乃と二人きりでいることになるホテルの隣の部屋かもしれない。コンクリート1枚が視界を遮っているだけで、5センチの壁の向こうに男に抱かれた英子がいるのかもしれない。歓びの声を上げながら。しかし、コンクリートは光も音も遮断する。
お互いがそうした行為を終えた3時間後、俺たち二人の自宅がある西麻布のマンションで、いつものように英子と俺とが抱擁しあうとすれば、人の世というのはなんと滑稽なものでしかないことか。)
高野は目の前に広がる夜の銀座の光景に見入った。たくさんの男たちとその男たちの金と愛情を目指す女たちが急ぎ足に歩いていた。何十年も前からの見慣れた夜の銀座の景色だった。
(俺はたぶん、大木に問われればあの真面目人間に向かって、
「浮気心を無理に抑えれば、結局のところ俺という人間を不幸にしたのはお前だといって妻を恨むことになる。理不尽な話だが、そうなる。しかも、妻というものは決してそんな男を理解することはない。浮気を告白してもひとたび浮気した男を無条件に受け入れることはないのと同じだ。男と女は分かりあうことがない。だから、男は隠すことが最良だと早く悟るのしかない」
と言うに違いない。
「なんとも下手な逃げ口上だな」
大木の奴、笑うことだろう。あの男なぞに分かることではない。なんせあの男と来たら、仕事以外は妻とのガーデニング、それもマンションのたった10坪のテラスでの園芸が趣味ときているからな。
『江戸期の花卉園芸は世界文化史の粋だぞ。庭師,植木屋といった新しい職業を創りだすところまで行ったんだ。雇用を創出したという意味ではコーポレート・ガバナンスと関係なくもない。第一、今のアサガオがどうやって今のアサガオになったか、オマエ知りたいと思わないのか』
なんてわけの分からないことを言っていて、まんざら冗談でもないらしいが、ありゃ俺とは別の宇宙を生きている。
確かに、大木の園芸趣味は年期が入っている。いつだったか、「オマエみたいのを『花癖』って呼んだんだろう」と笑ってやったら、なんとも嬉しそうな顔をしたっけか。
未だ新米弁護士で、小さなベランダしかないマンションに住んでいたときにも、「祖母も小さな庭に植えて愉しんでいた。そのときに習ったんだ」と言って鶏頭を大きめの鉢に植えていた。
しかし、高野は何かが隠されているという気がしてもいた。鷗外のとっての舞姫エリスとの記憶のように、もはや埋火となったなにかが若かったとき、たぶん20代だったころの大木にあったのではないか。
人生に一度だけ。しかし、決して取返しのつかない何か。そう高野は睨んでもいたのだ。
大木忠は鷗外と同じ理由で俗物(フィリステル)になると決心したのではないか。だが、問うことはしない。話したければ話している。話さないのは話したくないからなのだ。何十年来の友人と言ってみても、知っていることは案外に少ないということになる。改めてそう思う。お互い様だ。そうも思う。
俺は俺なりにそのときそのときどきの女性関係に本気だったのだ。大木なぞにはわからないだけだ。タデ食う虫も好き好き。人はそれぞれのタデを食べる。俺の人生行路は俺の遺伝子が決めたことで俺にどうなるわけでもない。俺とて大木のような人生がうらやましくないわけではない。妻との平穏な家庭生活とそれに支えられた仕事。仕事では情熱が盛大に燃え上がる。家に戻れば平和な暮らしが待っている。アサガオと鶏頭と蘭。結構なことだ。誰も非難しないどころか称賛するだろう。
だが、人は人、俺は俺でしかない。
いや、それだけじゃない。
「それにしても高野、オマエって奴はそうやっていつも自分から苦労を抱え込んで、ご苦労なことだな。英子さんのときから少しも進歩というものがない。毎度々々同じことを同じように繰り返す。実験用モルモットが薬剤を打たれるたびに痙攣しているようなものだな」と憐れむのかな。
いやいや、きっと思わぬほど真剣な顔つきになって、
「おい、今度ばかりは違うぞ。オマエは社外取締役で相手はその会社のオーナー会長だ。男女の仲は、なんてうそぶいてみても、なんの弁解にもならないぞ。」と脅かすのかな。
そうだろうな。あの慎重居士にはこうした人生の危険の裏側にこびりついた愉悦は見えないのだろう。いつも、
「妻と子どもがいて、それだけでも人間一人の労苦として十分すぎるほどなのに、どうしてそれ以上の煩悩を抱え込む必要があるのか。人生は短く、愉しみを味わい尽くしたと信じたところで、終わるときには終わる。蘇らない。しょせん、そんなものはあってもなくても同じことだ。それよりも、平穏な心で生きられること以上の人生はない。なによりも素晴らしいのは、そうやっているうちに死んでしまえることだ。」
そう言っている。自分で信じこんでいる。
だけどなあ大木よ。オマエは鷗外が死の間際に『馬鹿々々しい』と言ったと教えてくれたじゃないか。伊藤整も『俺は馬鹿だ、俺は馬鹿だ』と繰り返しながら死んだそうじゃないか。
それに、ムコージマ・コーポレーションは小さな会社だ。上場会社してもいない。関係する人間はごく限られている。
不便なものだな。
ま、現実はなるようにしかならない。そのなかで、できるだけのことをする。してもしなくても命は尽きるときには尽きる。)
暗い車の中で高野は、思わずズボンの右ポケットから真っ白なハンカチを取り出して唇を念入りに拭っていた。
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この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html