真のテーマは経済 スペイン・カタルーニャ地方独立問題(上)
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・スペイン・カタルーニャ地方議会、独立の是非を問う住民投票実施を可決。
・カタルーニャは民族的にスペイン中央政府から独立の機運がある。
・経済的に豊かな同地方は、政府の高い税金と少ない交付金に不満を抱いている。
まったくの偶然だが、9月6日、スペインのカタルーニャ地方議会が、独立の是非を問う住民投票の実施を可決した当日、私は同国のバスク地方にいた。
ホテルのTVで、もちろんトップニュースであったが、そのニュース一色に染まったわけでもなかった。メキシコの震災や、カリブ海からフロリダ半島にかけて大きな被害をもたらしたハリケーン、さらにはローマ法王のコロンビア訪問の話題にも、かなり時間が割かれていたのである。同じスペイン語圏で移民も大勢来ているという事情があって、中南米のニュースはやはり需要があるのだろう。
もうひとつ、今次の住民投票可決は想定内の出来事で、投票の結果と独立の可否それ自体は別問題だ、との認識が、広く浸透しているのである。
どういうことか、具体的な論考は次稿に譲らせていただくとして、ここでは、そもそも何故スペインの一部が独立を志向するのかを見てゆこう。
まず、スペインという国の成り立ちについて知る必要がある。
さすがにここで、古代から語り起こす紙数はないが、紀元前2世紀にローマの版図に組み込まれたが、やがてゲルマン系の西ゴート族がこの地を支配した。しかし、その西ゴート王国もカトリックの信仰を受け容れ、今日に至るもカトリック国と位置づけられている。
ちなみにスペインは英語読みで、イスパニア、もしくはエスパーニャが原音に近い。古代フェニキア人が、経緯は不明ながら「ウサギの土地」を意味するこの言葉を知名として定着させたらしい。いずれにせよ本稿では、日本の読者の便益のためスペインで統一する。
ともあれ、この「国のかたち」が定まるまでには、800年におよぶイスラムとの戦いを経験せねばならなかった。711年に、アフリカ大陸北部で勢力を伸ばしたイスラムのウマイア朝が侵攻。西ゴート王国は718年に滅亡し、半島のほぼ全域がイスラムの支配下に入ったのである。
この体制下では、キリスト教徒やユダヤ教徒は、納税の義務を果たす見返りに信仰の自由は保障されていたのだが、北部の山岳地帯に逃れた少数(一説によれば、当初は80数名)のキリスト教徒によって、レコンキスタ(再征服運動)が始まった。
この戦いに、現在のフランスから多くの騎士団が参戦し、かつイスラムの内部抗争が起きたこともあって、この戦いは1492年、キリスト教徒の勝利に終わった。
この過程で、複数の王国が建国されたが、1469年、カトリック両王として知られるイザベル女王とフェルナンド国王が結婚し、この結果、半島中央部のカステーリャ王国とアラゴン王国が統合されることになった。
これがスペインの原型で、その後、地中海沿岸部のカタルーニャ、大西洋岸北部のガリシアなどが相次いで併合された一方、もともとカステーリャ王国の属領だった大西洋岸南部の地域は、現在のポルト市を首都として独立したのである。読者ご賢察の通り、これがポルトガルである。
これまた詳細に語る紙数はないが、15世紀の政略結婚や王国間の駆け引き、力関係によってスペインとポルトガルが形成されたので、もしも歴史の動きが少し違っていたならば、カタルーニャやアラゴンにポルトガルも加わった一方、カタルーニャは独立していたということも、十分に考えられるのだ。
したがってマドリードを中心とするカステーリャの人々は、
「ポルトガルは自国の一部だと考える反面、カタルーニャは外国だと思っている」などと言われる。
たしかに、我々日本人を含めて、世界的に「スペイン語」として認識されているのは、実はカステーリャ語で、他にカタルーニャ語、ガリシア語、バスク語が使われている。
今回取り上げたカタルーニャは、バルセロナを中心とする地中海岸北部の一帯だが、地理的な関係から、南フランスの言語の影響を強く受けており、カステーリャの人々に言わせると、あれは「スペイン語とフランス語のミックス」だということになる。ガリシア語というのは、大西洋岸北部で用いられており、こちらは「スペイン語とポルトガル語のミックス」だと言われる。
そしてバスク語だが、これは、生粋のスペイン人が聞いても分からない、というくらい、他の言語と共通性がない。バスクにも、独立を求める声は昔からあり、かつてはETA(バスク祖国と自由)を名乗る過激派が、反政府テロを繰り返した(今春、武装解除し終結)。
カタルーニャの場合、さかのぼれば18世紀のスペイン継承戦争、さらに20世紀にはフランコ独裁政権など、数次にわたってマドリードの政府やそれを支持する諸外国から迫害を受け、カタルーニャ語の使用を禁じられたりした。
こうした「歴史問題」が独立運動の底流にあることは間違いないのだが、それではなぜ、現地スペインで、分離独立の可能性が深刻に受け取られていないのか。
端的に言うと、独自の文化や歴史に対するこだわりなど、もっぱら独立派の政治家たちが声高にとなえることで、庶民(という言い方が悪ければ。一般有権者)の考えは少し違っているのである。
現在のカタルーニャ地方は、州都バルセロナが世界屈指の観光都市として栄え、海運の便利さから、自動車工場など製造業もなかなか発展している。今やスペインのGDPの20%は同地が稼ぎ出しているのだ。
その割には、税金という形でマドリードの政府に召し上げられるばかりで、福祉などに使う交付金が少ないではないか。
とりわけユーロ危機以降、「無能な中央政府のせいで、どうして自分たちの生活が苦しくなるのか」という不満が高まる一方だ。しかしそれならば、独立したら生活が改善されるのだろうか。この問題を、本稿の「下」とさせていただく。
(下に続く。全2回)
トップ画像:カタルーニャ地方独立を訴えるデモ 2010年 flickr/Merche Pérez
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。