トランプがCVIDを主張しなかったわけ
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【まとめ】
・金委員長が和平に舵切ったのはトランプ大統領の「最大限の圧力」のせい。
・共同声明は「検証可能で不可逆的な」との表現が抜け「完全な核放棄」と後退。
・トランプ大統領は、北朝鮮核除去の最後の機会を逸した。
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2017年の米朝の軍事対決は、危険な段階まで緊張が高まった。北朝鮮側の反応次第では軍事的衝突が起こる可能性が現実味を帯びていた。そのまま軍事衝突に向かうのか、それとも一転して対話の方向に進むのか、今年の金正恩(キムジョンウン)委員長の動向が注目されていた。だが彼は和平に舵を切った。戦争の恐怖に初めて直面したからだろう。トランプ大統領の「最大限の圧力」が勝利を収めたのである。
追い詰められた金正恩は、文在寅政権とIOCの協力のもとで「平昌平和ショ-」を演出し、3月6日には韓国側特使を迎え、「恭順の意」を表すかのように「非核化」カードを切った。そのカードで4月27日の「南北首脳会談」を行い、文在寅政権と共同して「トランプ大統領攻略戦術」を練り上げた。
そして中国を2度も訪問し、その力をバックにして本丸の「米朝首脳会談」に臨んだ。こうしてトランプ米大統領と金正恩委員長による史上初の米朝首脳会談が6月12日シンガポールのカペラホテルで行われたのである。
▲写真 第2回南北首脳会談で挨拶する北朝鮮金正恩書記長と韓国文在寅大統領 2018年5月26日 出典:Korea.net
しかし「和平」に出てきたこの金正恩に対して、トランプ大統領の詰めは想像以上に甘かった。金正恩の「完全な非核化に取り組む」との文言だけで、それまでの「力の平和路線」は影を潜めただけでなく、むしろ金正恩を褒め称えその体制を保証したのである。
▲写真 握手を交わすトランプ大統領、金正恩書記長 2018年6月12日 出典:facebook White House
■ CVIDが抜けた米朝共同声明
この会談で両首脳は、北朝鮮に対する「体制保証取り組み約束」と北朝鮮の「完全なる核放棄取り組み約束」を軸とする4項目の共同声明に署名し、新たな関係をアピールした。この声明での最大の特徴は、米国にとって「受け入れ可能な唯一の結果だ」とされていたCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化:Complete Verifiable and Irreversible Dismantlement)がVとIの抜けたCD(完全な核放棄)とだけされたことである。
そればかりかそのプロセスも「一括妥結」ではなく、北朝鮮が主張する「段階的同時解決」(労働新聞報道)とされ、トランプ大統領の口からは米韓合同軍事演習の中止や駐韓米軍の撤退問題まで飛び出した。
ダニエル・ラッセル元国務次官補は「共同声明は従来のものから進展していない。今回の会談で金委員長の打率は10割。ほしいものをすべて手に入れた」と指摘した(2018・6・13アベマプライム)。
▲写真 ダニエル・ラッセル米元国務次官補 出典:U.S. Consulate General, Osaka-Kobe
事実、共同声明の内容はブッシュ大統領時代の2005年9月の「6カ国協議合意」にも及ばず、具体性においては韓国と北朝鮮で1992年2月に発効した「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」にも及んでいない。
トランプ大統領も「後先(あとさき)を考えない自身の発言」に不安を感じてか、アメリカ・ABCテレビのインタビューで「私は金委員長を信用しているが、1年後のインタビューで『私は間違いを犯した』と言っている可能性はある」と無責任な発言をしている。
■ なぜCVIDからCDに後退したのか
米朝共同声明でCD(完全な核放棄)とだけ表記した理由についてトランプ大統領は記者会見で「時間がなくて金委員長と議論しなかった」と語った。しかしトランプ大統領は記者会見に1時間以上も費やし、時間がなければ延長しても良いとまで言っていたし、金委員長もシンガポールを飛び立ったのは午後12時(現地時間)だった。時間がなかったというのは言い訳に過ぎない。明らかにトランプの譲歩であった。
▲写真 シンガポールを発つトランプ大統領 出典:facebook White House
ではこの譲歩にはどのような背景があったのだろうか。深読みすると次のようなことが考えられる。
一つ目は金正恩委員長が恭順の意を示したので、CD(完全な核放棄)とだけ表記しても非核化の検証は当然行えるだろうし、後戻りもしないだろうとトランプ大統領が判断したことだ。だがこれはあまりにも楽観的過ぎるので可能性としては極めて低い。
二つ目は金正恩委員長がCD(完全な非核化)とCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)とは同じ意味だと誤魔化したか、北朝鮮の体質をよく知らないトランプ大統領が、現在の局面を米国の主導下にあると判断し、非核化作業の中でVとIを埋めてゆけば良いと安易に考えたかも知れない。これも可能性としては高くない。
三つ目は、北朝鮮が米国を欺瞞しながら秘密裏に核の保時を続け、それが暴かれそうになった時、ちゃぶ台返しの名分のためにVとIを拒否したことだ。非核化プロセスで抜き打ち検証の無条件的受け入れなどを求められ、秘密の核保有を暴かれそうになった時、それを拒否する名分としてVを抜き、その拒否が通らなければいつでも核保有に後戻りする名分としてIを抜いた可能性がある。北朝鮮は核実験場の入り口を「爆破」しミサイル試験場を閉鎖すると伝えたが、それらは数カ月あればいくらでも再建できる。
秘密の核保有がバレて米国から嘘をついた、欺瞞したと言われればこう答えるだろう。「我々は完全な非核化に応じたが検証可能で後戻りできない非核化に応じたわけではない」と。CVIDからCDに後退したのは今の所この可能性が最も高いと思われる。
四つ目は、上三つのケースとは全く異なり、今年に入っての平昌オリンピックから南北首脳会談までの時間稼ぎ期間に、北朝鮮がすでに使用可能な核弾頭ミサイルを実戦配備し、米国の対北朝鮮軍事オプションが通用しない状況が生まれたことだ。すなわち北朝鮮が追い詰められた状況から抜け出し、米国と対等な交渉が可能となっていたということだ。この可能性も低いが、しかし完全に否定することはできない。
▲写真 米朝首脳会談 2018年6月12日 出典:トランプ大統領公式Twitter
トランプ大統領は米朝首脳会談直後の記者会見で「北朝鮮が非核化を履行しない場合、米国の軍事行動の可能性はあるのか」との質問に、「非武装地帯(DMZ)のすぐそばに2800万人が暮らすソウル(首都圏)がある」と昨年とは打って変わり「被害」の大きさを強調した。北朝鮮をCVIDでとことん追い詰めてゆく覚悟を放棄したとも取れるこの発言には、トランプ政権が続けてきた毅然とした姿勢は見られず、CVIDを諦めたような意味とも取れるニュアンスがある。だから米朝間に形勢逆転があったのではとの観測が流れるのだ。
そうであればトランプ大統領が金委員長を過度におだて上げたのも納得が行く。もしそうだとしたらCVIDは不可能であり実際の落とし所は北朝鮮の「核凍結」とならざるを得ないだろう。
筆者は、昨年末に「米国がこれまでの軍事的圧力を心理戦にとどめて、だらだらと事態を引き延ばせば、トランプ大統領は、再びクリントン、ブッシュ、オバマの過ちを繰り返すことになるだろう。それだけではない。北朝鮮核除去の最後の機会を逸したという大きな過ちを歴史に記録することになる」と予測したが、どうもその方向に事態が動いているような気がする。
トップ画像/首脳会談後合意文書に署名するトランプ大統領、金正恩書記長 2018年6月12日 出典:facebook White House
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統