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.政治  投稿日:2018/9/18

自衛隊災害派遣 重要な事前準備


照井資規(ジャーナリスト)

【まとめ】

・自衛隊の災害派遣には周到な準備が必要

事前に地域と自衛隊が共同で防災計画立てておく必要あり

現在の自衛隊は緊急に人命救助が必要な場合都道府県知事等の要請なくても部隊派遣可能。

 

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■ 自衛隊の災害派遣部隊を呼ぶには

2018年6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に北海道や中部地方など全国的に広い範囲で記録された台風7号および梅雨前線等の影響による西日本豪雨は、死者219人、住宅被害全壊2,873棟(消防庁情報7月20日14:00)の被害をもたらし、激甚災害に指定された。

▲写真 陸自第8師団広報写真 #第8師団 #千田まさひろ 午前9:57 2018年7月15日 ©照井資規

この豪雨に対し、陸上自衛隊が7月6日の早朝には災害派遣部隊による水防活動や人命救助活動を京都府や広島県などで開始していた一方で、海上自衛隊は7月7日に呉地方隊が広島県江田島市にて給水支援(約240トン)、7月8日に護衛艦「かが」「しもきた」「とわだ」「いなづま」が広島県呉市の3か所で1,640名の入浴支援、7月10日に広島県呉市にて輸送艦「しもきた」が燃料タンク車7台をもって物資輸送(ガソリン・軽油約124キロリットル)、京都府舞鶴市にて舞鶴地方隊が人命救助活動を実施、行方不明者1名を発見(防衛省ホームページ報道資料)と、陸自に比べて海自は初動が遅かったように見える。しかし、海上自衛隊は海上の防衛を担う組織であるから艦船が主体であり、陸上自衛隊のような救援活動は期待できない。

▲写真 平成30年7月豪雨に係る災害派遣(給水支援)尾道市 出典:陸上自衛隊

7月23日の読売オンラインに「海自・空自、地上任務の一部を陸自に移管へ」と題した記事が掲載された。(編集部注:現在は非掲載)これは、海上自衛隊、航空自衛隊の人員を艦艇や航空機の運用に関連する任務に優先配分し、海洋進出を強める中国への対処力を強化するため、政府が、海上、航空両自衛隊が行っている施設警備など地上任務の一部を陸上自衛隊に移管する方向で検討に入ったことを報じたものだ。この施策は数年以内に実行されるので、その後は海上自衛隊に陸自のような災害派遣を期待することは、ほぼ不可能になるであろう。

 

■ 事前の準備が欠かせない

自衛隊は本来、国土侵略に備える防衛組織であり、防衛出動、治安出動に即応する専門機である。災害派遣は防衛に支障を来さない範囲で行うものであるから、自然災害の発災後に直ちに出動するためには、相当な準備が必要となる。

東日本大震災時は発災前から東北の部隊に災害派遣計画が立てられており、さらに発災2日前の3月9日に三陸沖地震が発生したため、筆者が当時勤務していた陸上自衛隊岩手駐屯地の部隊では余震に備えての災害派遣出動待機の状態にあった。救援活動用の装備から個人の衣類、食糧に至るまで車両に積載した状態にしておいたので、本震となった東日本大震災には発災後30分と経たずして部隊が出動することができた。筆者が衛生小隊長を務めた第9戦車大隊は久慈市に派遣され、発災当日の夜から炊き出しを開始、一晩で4千人分の米を炊き、災害拠点病院には井戸水を汲み上げて給水支援を行った。

▲写真 東日本大震災への対応 自衛隊の活動 出典:防衛省

翌日早朝の捜索活動開始までにこうした活動が出来たのは、平時から災害派遣時に部隊が宿営する場所や、そこまでの道路状態、井戸の位置を掌握しており、市町村の各長と顔を合わせ、計画を立てていたためである。災害派遣の行動訓練を行っていたので、東日本大震災が発災し部隊が移動中に道路の信号機が機能を停止、街灯も消え、看板が吹雪のために見えなくなっても迷うことなく現場に急行することができた。

自衛隊は事前の準備なくして直ちに行動することはできない。これは組織が大所帯であることと、防衛組織の独断専行はクーデターとされかねないためである。「準備」とは主に調整、計画立案、訓練のことで、平時のうちに災害派遣担当地域の地域見積もりや自治体との関係、部隊の規模、能力などから自衛隊災害派遣の3原則に基づいて災害派遣部隊の地位、役割を決める。以降、部隊が実際に行動できるようになるためには、下図「災害派遣の計画立案から実際の行動まで」にある手順を踏むことになる。

▲図 ©照井資規

「何かあったら自衛隊に来てもらう」ではなく、起こりうる事態を想定し、周到な準備を必要とするのであるから、自衛隊の初動が遅いと責められることは自衛隊のみに非があるわけではない。救援活動開始が遅いとされた阪神淡路大震災では、発災前に自衛隊を含めての調整を行い防災計画を立てていたのだろうか。当時、筆者はテレビ局にて報道番組を制作していたが、被災地で活動している陸上自衛隊の災害派遣部隊を見て「自衛隊が勝手に来て活動しています」との被災者からの通報が相次いだことも事実だ。自衛隊に即応を求めるのであれば、住民の感情的な面も考慮し、事前に地域と自衛隊が共同で防災計画を立てておく必要がある

 

■ 最大の障害は「人の問題」

事前の準備をすることなく自衛隊に災害派遣を求めるとどうなるかは、初の災害派遣に如実に表れている。当時の日本はGHQ統治下にあり、自衛隊はその前身である警察予備隊であった。1951年10月9日、グアム島の西海上で発生した「ルース台風」は13日夜に宮古島と沖縄本島の間を通り東シナ海に進入、14日19時頃鹿児島県串木野市付近に上陸した。台風は速い速度で九州を縦断、山口県・島根県を経て日本海に出て、北陸・東北地方を通り15日夕方に三陸沖へと進んだ。ルース台風の勢力は非常に強く、暴風半径も広い上に豪雨を伴った。被害は死者・行方不明者943人、山口県の山間部では土砂崩れや河川の氾濫が相次ぎ、死者・行方不明者は400名を超えた。

▲写真 ルース台風進路図 出典:パブリックドメイン

当時の山口県の田中龍男知事は、山口県下関市の小月(おづき)地区に駐屯していた警察予備隊第11連隊へ救援を要請した。第11連隊は情報収集を開始、第4管区総監部(現在の陸上自衛隊第4師団司令部 福岡駐屯地)に指示を仰いだ。しかし、第4管区総監部は、当時、「出行」と呼ばれていた災害派遣を次の理由により「出行保留」(事実上の出動不許可)の判断を下した。

前例がない(当時の警察予備隊には災害派遣任務は付与されていなかった)こと、出行(出動)許可権者は内閣総理大臣とされていたことから、総監部の不許可理由は

1 第1回出行は軽々しく実施すべきでない

2 警察の前に率先出行する必要はない

3 情報が不足

4 諸般

を総合して「時期尚早」と判断したためだった。しかし、山口県の被害はますます悪化していく。そこで、第11連隊は斉藤副連隊長を第4管区総監部に急派し、当時は土曜日で課業が正午で終了していたため、すでに官舎に帰宅していた第4管区副総監に、被災地の状況を写真等を交えて説明し、改めて出動許可を求めた。しかし、副総監は一旦「出行保留」と決めた決断は写真を見せられても変えられないと、斉藤副連隊長を叱責する始末であった。斉藤副連隊長は、やむを得ず命令系統を無視して帰宅のため総監部を出てきた筒井竹雄第4管区総監(後の初代陸上幕僚長)に直訴した。筒井総監は直ちに東京の総隊総監部に連絡し、吉田内閣総理大臣に出行要請が届いた。許可権を持つ吉田総理の命令により出行保留は撤回され、正式に部隊派遣の命令が下された。10月20日から26日にかけて第11連隊の隊員述べ2700人が山口県玖珂郡広瀬町(後の岩国市錦町)に派遣され自衛隊史上初の公式な災害派遣が実現した

▲写真 筒井竹雄第4管区総監(後の初代陸上幕僚長)出典:パブリックドメイン

前例の無い事態に直面した際、まず、出来ない根拠、やらない理由を考えてしまう指揮官は意外に多い。今でも「時期尚早」という言葉が「俺の任期中にやるな」との意味で用いられることがしばしばある。本来、防衛組織の指揮官には自主裁量の余地が与えられており、ある程度の部隊運用は任されているものである。防衛組織の独断専行は許されないものであるが、緊急の場合、部隊指揮官の自主裁量の範囲内で行動し、事後承認を受けることができる。こうした態勢でなければ対応する機会を逃すおそれがあるからだ。事実、警察予備隊が出動しない決定を下した一方で、岩国の米軍はヘリコプターを用いて食糧や医薬品の被災地への投下を始めていた。

自衛隊史上初の災害派遣において最も問題となるのは、第4管区副総監が国民の生命を最優先させた決断を下さなかったことだ。思考過程が最初から災害派遣を断ることを目的としている。発足して日が浅いのであるから組織としての前例が無いことは当たり前である。前例の在る無しではなく、国民の生命を救うか救わないかの決断をすべきであった。過去の繰り返しでは手の内を読まれてしまい、自由意志を持った敵の脅威には勝てないからだ。想定外を想定することこそ、防衛組織のプロフェッショナルがするべきことである。

 

■ 防衛組織の幹部としての資質が欠けている

現在の自衛隊では緊急に人命救助が必要な場合で都道府県知事等と連絡が取れない場合などに要請がなくても部隊を派遣できる「自主派遣」が自衛隊法第83条2項但し書きに明文化されるようになった。自主派遣の場合は後日、都道府県知事等からの正式な要請文書を受領することになる。また、部隊や自衛隊の施設の近傍で災害が発生している場合に部隊等の長は都道府県知事等の要請を必要とせずに部隊を派遣することができる「近傍派遣」も認められている(自衛隊法第83条3項)

▲ ©照井資規

ルース台風時のように防衛組織の各級指揮官個々の災害派遣への関心の差が部隊の出動に影響を及ぼすことの無いよう、地域の防災計画にはなるべく人が介入する要素を減らしていくことが重要である。例えば、一定の被害が発災したならば自衛隊はそれに応じた救援活動を行うなどの条件を設定するなどである。こうしておけば、部隊長が交代しても変わりなく自衛隊の救援を受けられるようになる。

ルース台風の災害派遣後、斉藤副連隊長は出行保留と決めた副総監よりパワハラを受けたそうである※。処分はされなくとも、昇級しない、異動の希望が通らないなど報復人事や嫌がらせを受け、斉藤副連隊長の自衛官としての人生はその時点で終わってしまったであろうことは想像に難くない。自衛隊の災害派遣が適切に行われるように地域と自衛隊が共同で防災計画を立てておくことは、斉藤副連隊長のような国民の命を守ろうと努める自衛官が、心も志も無い上級者によって後の自衛隊人生の将来を失うことを防ぐことにもなる。

 

※エリートフォーセス陸上自衛隊Part1 P154 ホビージャパン

現在の小月地区には海上自衛隊小月航空基地があり、陸上自衛隊は山口市の山口駐屯地に第17普通科連隊(軽)が駐屯している。

トップ画像:北海道胆振地方中東部を震源とする地震に対応するため人命救助活動をする自衛隊(第7特科連隊 厚真町)2018年9月6日 出典 陸上自衛隊Facebook


この記事を書いた人
照井資規ジャーナリスト

愛知医科大学非常勤講師、1995年HTB(北海道テレビ放送)にて報道番組制作に携わり、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、函館ハイジャック事件を現場取材の視点から見続ける。


同年陸上自衛隊に入隊、陸曹まで普通科、幹部任官時に衛生科に職種変更。岩手駐屯地勤務時に衛生小隊長として発災直後から災害派遣に従事、救助活動、医療支援の指揮を執る。陸上自衛隊富士学校普通科部と衛生学校にて研究員を務め、現代戦闘と戦傷病医療に精通する。2015年退官後、一般社団法人アジア事態対処医療協議会(TACMEDA:タックメダ)を立ちあげ、医療従事者にはテロ対策・有事医療・集団災害医学について教育、自衛官や警察官には世界最新の戦闘外傷救護・技術を伝えている。一般人向けには心肺停止から致命的大出血までを含めた総合的救命教育を提供し、高齢者の救命教育にも力を入れている。教育活動は国内のみならず世界中に及ぶ。国際標準事態対処医療インストラクター養成指導員。著書に「イラストでまなぶ!戦闘外傷救護」翻訳に「事態対処医療」「救急救命スタッフのためのITLS」など

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照井資規

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