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.国際  投稿日:2018/12/5

故ブッシュ大統領と日本の絆


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視 」

【まとめ】

・故ブッシュ大統領、東西冷戦終結の立役者。

・幼少期に培われた人柄と信奉。

・憲法の改正論議からみる、日本とのきずなと信頼。

 

【注:この原稿には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合、Japan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=43125でお読みください。】

 

アメリカの第41代大統領だったジョージ・H・ブッシュ氏が11月30日、亡くなった。94歳だった。私はワシントン駐在の新聞記者として同大統領の任期4年、そして彼がそれまでのロナルド・レーガン大統領の副大統領だった8年、取材の対象として考察してきた。ブッシュ大統領のすぐそばにいて、その言動を目撃し、公式記者会見では直接に質問の機会を得たこともあった。そんな体験を基にジョージ・H・W・ブッシュ氏の政治指導者としての足跡を回顧してみた。

彼の最大の功績はやはり東西冷戦を西側の完全勝利で終わらせたことだろう。イラクのフセイン政権のクウェート侵攻を撃退した実績も大きかった。日本とのかかわりもいろいろな意味で密だった。

1989年1月に大統領となった共和党のブッシュ氏は91年8月にソ連共産党が解体され、その軍事独裁が崩れ、さらに同年12月にはソ連邦自体が消滅するという歴史の大激動を西側自由主義陣営の盟主としてうまく管理した。

アメリカ側ではブッシュ氏の前任のロナルド・レーガン大統領がミサイル防衛の戦略防衛構想(SDI)など強固な軍事政策でソ連の脅威と対決し、その共産主義独裁の突き崩しに成功した。ブッシュ氏はレーガン政権8年間の副大統領としてソ連との対決の補佐役を果たした。

ブッシュ氏は大統領としても89年12月にマルタ島でソ連のゴルバチョフ書記長と首脳会談をして、同書記長から「冷戦終結」の言葉を引き出した(米側の冷戦終結宣言はその翌年の90年となる)。

ブッシュ氏は90年8月のイラクのクウェート軍事占領に対しても翌年1月、多国籍軍を率いて一気に撃退し、フセイン政権を屈服させた。こうした輝かしい外交成果のためにブッシュ氏は92年の大統領選では当初、最高級の支持率を誇り、再選は確実とされたが、アメリカ経済の停滞などで人気を急落させ、民主党のビル・クリントン候補に破れた。

ブッシュ氏は子供のころ、気前がよいことで知られていた。オモチャでもキャンディでも自分の持っている品物を友人たちに「半分あげる」と提供するのが常だったというのだ。大富豪の上院議員を父に、敬虔なキリスト教徒を母に、慈善の徳を説かれて育ったための寛大さだったらしい。

その傾向は政治指導者となってからも「敵や競争相手に甘い」という批判となることがあった。ソ連や中国への対応をときには共和党強硬派から「寛大すぎて相手を延命させ、増長させた」と非難されたのだ。だが穏健とか中道とされながらも、保守主義への確固たる信奉は明白だった。

ブッシュ氏は第二次大戦中、米軍最年少のパイロットとして太平洋戦線で日本軍と戦ったことでも知られる。父島の日本軍を爆撃中に撃墜されたが、海上で救出され、九死に一生を得た。だが戦後の日本や日米同盟の重視の姿勢は強く、1991年12月の日本軍パールハーバー攻撃の50周年記念日には「かつての敵もいまこそ無二の盟友」と日本とのきずなを強調した

▲写真 Visiting Quantico, January 1997 出典:Frickr USMC Archives

ブッシュ大統領は92年1月の訪日の際、公式の晩餐会で体調の乱れから隣の宮沢喜一首相(当時)の膝に倒れかかったことでも話題を集めた。

私自身は1992年にそのブッシュ大統領に直接、質問をする機会を得て、日本の憲法についての彼の珍しい公式意見を聞き出したことがある。

ホワイトハウスでの公式記者会見だった。その場で私は当時、アメリカ側で出た日本の憲法の改正を米側でも促進すべきだという意見についてブッシュ大統領の意見を問うた。

ブッシュ氏は「日本自身が改憲を求めるならばアメリカとして問題はない」と答えた。日本の自主性を重んじ、日本国民の判断への理解を示す言葉だった。

日本の憲法のあり方はあくまでも日本自身が決めることだが、日本の安全保障に責任を持ち、なおかついまの日本国憲法の草案を作ったアメリカは日本の憲法のあり方には深いかかわりを持ってきた。そのアメリカの大統領が公式の場で日本の憲法改正への動きについて論評したことは、これが初めてだった。

ブッシュ氏は健康管理の徹底さでも知られていた。現職大統領時代でも毎日、ジョギングなどに励んでいた。2009年6月の85歳の誕生日には高空の飛行機からパラシュートで地上に降下して元気な長寿を祝っていた。

▲写真 バーバラ夫人と 2001年9月 出典:U.S. Department of Defense(Public Domain)

 

トップ画像:W/Gerald Rudolph Ford, Richard Nixon, George Bush, Ronald Wilson Reagan and James Earl Carter 出典:Wikimedia Commons


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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