銀座から発信日本の伝統芸能
Japan In-depth編集部(小寺直子)
【まとめ】
・GINZA SIXで行われた薪能公演を500名が観賞。
・銀座から日本の伝統芸能を世界に発信したい。
・若い世代にも古典に触れる機会を。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=45092でお読み下さい。】
東京都中央区にある「GINZA SIX」の屋上ガーデンで薪能公演が行われた。薪能とは、野外に臨時設置された能舞台の周囲にかがり火を焚いて、その中で特に選ばれた演目を演じるものである。GINZA SIXには、地下三階に文化・交流施設「観世能楽堂」がある。この観世能楽堂は、能楽最大流派「観世流」の拠点であり、これまでも、無料で観覧できる「新春能 特別講演」を実施するなど、日本の伝統文化を世界に向けて発信する活動に積極的に取り組んでいる。
今回は、狂言 仏師 に野村太一郎氏、中村修一氏、能 吉野天人 に 観世流 山階彌右衛門氏が出演し、能の幽玄な世界に500人の観客が魅了された。
能楽堂では観客席を見所(けんしょ)といい、舞台の真正面で舞台全体が把握できる正面、舞台に向かって左側で橋掛り(はしがかり)の演技が確認しやすい脇正面、その間に扇型に広がる位置にあり舞台を立体的に見渡せる中(なか)正面の3つのブロックに分かれているのだが、それぞれに特有の良さがある。屋外でも、見所がしっかりと再現されており驚いた。
能の観世流は、約700年前にはじまった。猿楽芸能一座に所属していた「観阿弥清次」が観世流の初代である。その後、京都に進出した観世流は、かの有名な観阿弥・世阿弥親子が足利義満に認められ、勢力を伸ばす。その後芸術へと高められて、能となったのは、鎌倉時代後期から室町時代前期といわれている。
能の大成者、世阿弥は日本の演劇史上、最も重要な人物の一人で、世阿弥が芸術論である「風姿花伝」を著したのは、シェークスピアが登場する200年も前のことである。その後、明治維新や第二次世界大戦などの苦境にも屈することなく、家元たちの努力により、能の伝統は脈々と受け継がれてきたのである。現在、観世流は能楽師900人を擁する能の最大流派である。
▲写真 狂言 仏師 ©Japan In-depth編集部
今回は能だけでなく狂言も披露された。能と狂言の違いがはっきり分からないという方も多いかもしれないが、狂言は日本初の喜劇である。 それまでの時代においては人々を面白がらせるものは、物真似などの見た目の面白さが中心であったが、猿楽において筋書きのある見世物が考案された。 そこに歌舞を取り入れたものが「能」、言葉遊びや語りを取り入れたものが「狂言」と呼ばれるようになった。狂言の最大の特徴は 台詞を聞かせて笑わせるという点である。 今回の演目でも会場からも笑いが漏れていた。
火入れ式を行った東京都中央区の矢田美英区長は「能は約700年続く日本が誇る伝統文化である。2001年にはユネスコの世界無形遺産として登録もされている。もともと観世家は銀座1丁目に構えていたが、国に土地を返上し、再び銀座の地に150年ぶりに戻ってきた。この銀座から、素晴らしい日本文化を私たちの世界に発信していきましょう!」と参加者に呼びかけた。
▲写真 火入れ式を行った中央区 矢田美英区長 ©Japan In-depth編集部
今回の公演では、瀟洒な着物を召された年配の方だけではなく、若いサラリーマンや20代前半の女性グループ、外国人など、参加者はかなり多様だった。初めて狂言を見たという20代の女性は、「思ったよりハードルが高くなかった。ストーリーも理解できて十分楽しめたし、出演者2人のやりとりが面白くて笑ってしまった。また機会があれば友人と観にきたい。」と満足した様子だった。
700年の歴史をもつ日本の伝統文化「能楽」。「狂言」はおおらかな笑いで、「能」は優美な美しさで、いまでも私たちを魅了する。能楽の面白さ、醍醐味は実際に観て見ないと分からない。特に若い人たちに古典のエッセンスに触れる機会として、能楽堂に足を運んでもらいたい。
トップ画像:吉野天人 観世流 山階彌右衛門氏 ©Japan In-depth編集部