素人をスパイに採用する中国
宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2019 #15」
2019年4月8-14日
【まとめ】
・中国諜報機関は「素人」をスパイとして採用している。
・中国の諜報活動は「農耕型諜報」。
・これからも米中間の諜報戦争は続く。
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先週筆者が一番注目したのは3月30日に起きたフロリダのトランプ氏別荘への中国人女性侵入事件だ。米中通商協議と同期間だったため、中国スパイ活動の一環という見方が浮上。逮捕起訴された女性は複数の中国旅券、マルウエアのUSBメモリー、防犯カメラ発見器、巨額の現金など所持していたという。確かにクサイのだが・・。
4月3日、FBIは中国の関与の可能性を視野に捜査を開始し、5日米国務長官は「中国の脅威を国民に伝えるもの」「米国内での工作の対象は政府当局者のみならず幅広い範囲に及んでいる」と述べ、事件が中国の大規模な諜報活動に結びついている可能性を示唆したとも報じられた。中国も遂にやり始めたかと誰もが思うだろう。
だが、これぐらいで驚いてはいけない。中国の諜報活動は我々の想像を遥かに越えるからだ。筆者はこの女性が中国のプロのスパイだとは思わないが、彼女が無罪だとも思わない。何故なら、中国諜報機関は常に中国人の「素人」をリクルートしようと試み、「素人」はいつでもスパイ活動を行う傾向があるからだ。何故そう考えるのか。
10年前筆者は、2001年10月に外国に出張・滞在する政府関係者用に英国防省が作成した防諜マニュアルの内容を具体的に取り上げ、英国諜報機関が中国の諜報活動を如何に分析しているかにつき書いたことがある。内容は今も極めて新鮮なので、今回は同稿の重要部分をご紹介したい。同マニュアルの中国関連核心部分はこうだ。
●中国の諜報活動は極めて広範であり、政治、軍事、商業、科学技術など全ての情報に対して旺盛な食欲を示す。中国は単に技術を盗み出し、これを分析・模倣するだけでは満足せず、今ではより詳細な生産技術や手法に関する情報の入手を試みる。
●中国の諜報活動はロシアのそれとは大きく異なる。中国人は情報(information)と諜報(intelligence)を区別しない。中国の情報に対する食欲は広範かつ無差別であるが、これは、特に科学技術分野において顕著である。
●中国の諜報機関はエージェントを使わずに、友人を作る。勿論、中国には軍事、非軍事を問わず諜報部員が存在するが、彼らは様々な諜報収集機関の命令により働く中国人の一般学生、ビジネスマン、中国内外国企業支店のローカルスタッフなどの裏に隠れている。
要するに、中国の諜報機関は「information」だろうが「intelligence」だろうが何でも関心があるため、プロの諜報部員ではなく、素人の一般中国人にターゲットから情報を得させようとする傾向があるというのだ。では中国の諜報機関が「ジェームズ・ボンド」よりも「普通のおじさん、おばさん」を多用する傾向があるのは何故か。
10年前、筆者は4つ理由を考えた。
①欧米向け工作員の不足(欧米社会で秘密工作員として通用する「欧米系言語を操る金髪系白人」が不足している)
②経済的効率(一人前の工作員を養成するには長い時間と多くの資金が必要)
③リクルートが容易な一般中国人(自己の利益を守るためならスパイ活動に大きな抵抗感、罪悪感を感じない)
④長期的利益の重視(狩猟型より農耕型を好む傾向あり)
である。
筆者は最後の点が最も気になる。中国の諜報活動は、限られた諜報を短期間にターゲットから直接獲得すべく努力する、「狩猟型諜報」ではない。それよりも、浅く、広く、間接的ながら数多くの中国シンパから末永く様々な情報を収集する「農耕型諜報」の方が最終的利益が大きいと考えている可能性が高いのだ。今回の中国人女性の行動は氷山の一角に過ぎない。これからも米中間の諜報戦争は続くと見るべきだ。
〇アジア
米中貿易交渉の行方が気になる。米通商代表部(USTR)代表と財務長官ら米側代表団は3月28日から訪中。一時は合意が近いとの観測も流れたが、劉鶴副首相ら中国代表団が4月3日から訪米した際に大きな進展は見られず、相互の溝は今も埋まっていない。一部には交渉が更に長期化する可能性すら取り沙汰されている。
▲写真 劉鶴副首相(左) 出典:United States Senate Committee on Finance
もう一つの関心事は米韓首脳会談だ。韓国大統領は米国にどう説明するのだろう。米韓関係が悪化しては困るが、ここらで韓国には目を醒ましてもらわなければならない。恐らく米側の懸念も同様だろう。今回の首脳会談は文大統領の政治的将来を決める第一歩となるかもしれない。
〇欧州・ロシア
英国首相がまた迷走を始めた。今度は二回目の国民投票を検討しているという。おいおい、これではキャメロン首相の二の舞ではないか。苦し紛れで行った第一回投票で前首相は墓穴を掘った。基本的政治状況が変わらない中で、第二回をやれば墓穴が深くなるだけだ。今必要なのは国民投票ではなく、政治状況を変えることである。
〇中東
今週はイスラエル総選挙に注目したい。あれだけ米国がネタニヤフ現首相に肩入れしてきたが、結果はどうだろうか。他方、イスラエルと米国がやりたい放題やっているのに、アラブ側の反応は不気味なほど静かだ。あの「アラブの大義」は一体どこへ行ってしまったのか。昔を知る者にはおよそ信じられない事態が進行している。
▲写真 ネタニヤフ首相 出典:Flickr; Chatham House
〇南北アメリカ
先週は国土安全保障長官やシークレットサービスの長がトランプ政権を去ると発表された。閣僚レベルは「長官代行」ばかりとなり、行動力のある人材は2020年の大統領選挙キャンペーンに投入せざるを得ない。こうして、ワシントンはますます空洞化していくのだろう。
〇インド亜大陸
インドの選挙管理委員会が下院総選挙日程を公表した。4月11日から5月19日までに投票日が7日、各選挙区ではこのうち1日で投票を行うことになる。一斉開票は5月23日だから、長い長い選挙戦となる。流石はインド、ではないか。
今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きはキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:習近平主席とプーチン大統領(2015年) 出典:ロシア大統領府
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この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表
1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。
2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。
2006年立命館大学客員教授。
2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。
2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)
言語:英語、中国語、アラビア語。
特技:サックス、ベースギター。
趣味:バンド活動。
各種メディアで評論活動。