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.国際  投稿日:2019/4/16

ヌードルハラスメントって?


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・文化の違いが外国人の目に奇異に映るおもしろさ。

・テーブルマナーは郷に入れば郷に従うべきである。

・他国の食文化は見下すべからず。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=45230でお読み下さい。】

 

まだ元号が昭和だった頃の話だが、ロンドンの学校で机を並べることとなったイタリア人の女の子と、パスポートを見せ合ったことがある。

なんか変ね、と彼女が怪訝そうに言うので、一体なにが、と問い返したところ、こんな答えが返ってきた。「眼の色とか髪の毛の色とか、なんでどこにも書いてないの?」なるほどそう言われてみれば、欧米のパスポートには大抵その記載欄があるようだ。

その時は、まあ日本人は100パーセント髪も目も黒いからね、とだけ言っておいたのだが、昨今では、茶髪や金髪の日本人もさほど珍しい存在ではなくなってきているので、逆に、パスポートに余計な記載などなくて正解だということになるのかも知れない。

生まれつきの髪の色と、染めている場合は違うだろう、との反論もあり得ようが、そんなことを言い出したら、外国でも髪を染める人は珍しくないし、昨今ではまた、日本国籍のハーフの人も増えているわけだから、ますますもってパスポートに明記する意味が疑わしくなるのではないか。

それはさておき、外国人と交際する面白さというのは、こういうところにあるのだと思う。自分たちにとっては当たり前のことが、外国人の目には奇異に映るということに気づかされるからだ。

ただ、奇異に映るということと、それを排撃してよいかどうかは、まったく別の問題である。別の問題というより、生活習慣や広い意味での文化というものは、違っているところに価値があるのだと思う。ちょうど、国によって異なるからこそパスポートの存在価値があるように。

少し前の話になるが、ヌードル・ハラスメント(略してヌーハラ)というのが話題になったことを、覚えておられるだろうか。蕎麦やラーメンをすする音が、外国人にとっては不愉快なので、控えるべきではないか、という趣旨の話である。なにをバカなことを、と私は思った。植民地根性もここに極まれり、ではないか。

たしかに、西欧風のいわゆるテーブルマナーに従うなら、音を立ててものを食べることはタブーである。くだんのイタリア人の女の子とは、一緒に食事に行ったこともあるのだが、イタリアン・レストランで、リゾットを注文した彼女が、本当にまったく音を立てずに食べるので。こちらも音を立ててはいけないと、かなり緊張した。

▲写真 リゾット(イメージ)出典:Tumblr Unknown

しかし、もしも彼女が日本に来て、ジャパニーズ・ヌードル=蕎麦を食べてみたいと言ったなら、私は躊躇なく、彼女を連れて行った蕎麦屋で、音を立ててすすり込むだろう。蕎麦というのは喉ごしを楽しむ食べ物なので、空気を含ませながら勢いよくすすり込まねば、その真価を味わうことができない。

その音が不愉快だというのであれば、蕎麦屋やラーメン屋に入らなければよいのであるし、まあ考えにくいことであるけれど、日本の蕎麦屋で、日本人が蕎麦を食う音に眉をひそめるような「害人」がいたとしたら、私ならそいつを店からつまみ出す。

真面目な話、屋台の蕎麦が庶民の食べ物として定着した江戸時代の中期、すなわち17世紀の話だが、ロンドンではフォークを用いて食事をする習慣はまだなかった。英国にフォークが普及するのは18世紀以降の話である。それ以前はもっぱらナイフだけ、もしくは手づかみで食事をしていた

▲写真 手づかみでの食事(イメージ)出典:Flickr; Michele Hubacek

イタリアではもう少し古く、1600年頃までには普及していたようだが、関ヶ原の合戦が1600年のことだから、箸を用いる日本の食文化の方が、はるかに古い歴史を持っていることは、もはや議論の余地さえない。古いからよいとは、もちろん限らないけれども、西欧式のテーブルマナーは、西欧で食事をする時のみ徹底すればよいことだ。

そもそも、EUの総人口は約5億人。インド亜大陸では、それに倍する人々が、今でもカレー料理を手で食べている。それ以前に、西欧とか欧米といったように、十把一絡げに言うこと自体、感心しない。

スペインのトレドで、肉料理が評判の店に入った時のことだが、隣のテーブルにいたイギリス人観光客(英語のアクセントで、すぐ分かった)が、ウェイターを呼びつけてステーキの焼き直しを要求するのを見た。折角シェフが、絶妙のミディアムレアで焼いてくれたというのに、私に言わせれば、これなどは料理人に対する一種の暴力である。

日本人が一般に抱いているイメージとは少し異なるのかも知れないが、血のしたたるようなステーキなど「気持ち悪い」と言ってはばからないイギリス人は、実は結構多い。

今「イギリス人」とわざわざ表記し、いつものように「英国人」と書かなかったのは、牛肉の名産地であるスコットランドでは、ステーキの焼き加減をちゃんと聞いて、望めばレアを供してくれる店が多いからだ。このように島国の英国内でさえ、イングランドとスコットランドでは文化が異なる

先ほどインド亜大陸のカレー料理という表現を用いたが、これも地域によってかなり異なるし、また宗派によってタブーとされる食材なども異なるため、多種多様という表現では収まりきらない話になるらしい。

もちろん、それを言い出したら、フランス料理やイタリア料理、日本のいわゆる郷土料理など、多かれ少なかれ同様ではないか。友人の韓国人ジャーナリストからは、キムチは家庭で仕込む物であるから、「わが民族は、皆〈我が家のキムチ〉を恋しがることはあっても〈本場のキムチ〉などどいうことは考えつきません」と聞かされたこともある。

捕鯨の問題などもそうだが、他国の食文化をむやみに見下す態度は、断じて正しくない。まして、了見の知れない「害人」に迎合して蕎麦を食べる音がどうのこうのなど、論外である。

トップ写真:蕎麦 出典:pixabay; K2-Kaji


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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