僕がドキュメンタリーを撮るわけ 上
Japan In-depth編集部(石田桃子、大川聖)
「今、あなたの話を聞きたい」
【まとめ】
・ドキュメンタリーを含む、あらゆる創作物は、人に想像力を与えるためにある。(久保田)
・ドキュメンタリーで多くの人を感動させて、問題解決に向かわせたい(小西)
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輝く若手の思いに迫るシリーズ「今、あなたの話を聞きたい」がスタート。第一弾の今回は、久保田徹さん、小西遊馬さんの2人に、ドキュメンタリー制作者としての思いを伺った。
<プロフィール>
ドキュメンタリー映像作家:久保田徹
1996年生まれ。慶應義塾大学法学部在学中よりロヒンギャ難民の取材を始め、Yahoo!やVICEなどの国際的なメディアでドキュメンタリー映像を監督する。ロンドン芸術大学修士課程進学予定。
WEBSITE: https://torukubota.myportfolio.com/
Twitter: https://twitter.com/torukubota23
Instagram; https://www.instagram.com/torudox/
慶應義塾大学2年:小西遊馬
ジャーナリストとしてインドの売春窟やスラム、ロヒンギャ難民などの問題を、Yahoo!記事やドキュメンタリー映像、インスタグラム、自身の持つラジオ番組を中心に発信。旅するジャーナリスト、新しいドキュメンタリーの手法・発信方法で注目を浴びている。
Instagram: http://www.instagram.com/konijournal/
Q.ドキュメンタリー制作を始めたきっかけを教えてください。
小西: 問題を解決する側よりも、問題を解決する人を増やす側に立ちたかった。現地でボランティア活動をしていたが、自分一人でできることの小ささを実感した。歴史の転換点に大きな役割を担ってきたメディアの力を認識した時、多くの人を動かすための手段として、映像というメディアを使おうと思った。
久保田: きっかけはドキュメンタリー制作をしていた先輩の存在。ロヒンギャの取材をするうち、撮りたいこと、伝えなきゃいけないことが増えてきた。ドキュメンタリーの役割は、問題を伝えることだけでなく、普遍的なテーマを見出すこと。そのテーマを、ロヒンギャだけでなく、もっといろんな世界を通して伝えたいという思いに至った。
小西: 徹さんのドキュメンタリーは、問題を単に観察的に伝える多くのドキュメンタリーとは違い、各人に意味を引き出させるような、抽象的なメッセージを持っている。それがすごいところ。
▲画像:ミャンマー・ラカイン州 出典:UNICEF/UN0229016/Sirman
Q.ドキュメンタリーをつくる過程について教えてください。
久保田: 韓国のイエメン難民を描いた作品は、ネットニュースの情報を見てから決めたので、ワンテンポ遅れた。フェイクニュースが問題になっているというニュースと、イエメン難民を偽装難民とみなす韓国のひどい記事を見て、日本でも同じことが起きる、あるいはもっとひどい状況になるだろうなと思った時に、企画を立てた。一番に現地に入っていた日本人の方にまず会いに行って、現地の人の連絡先などを聞いて、現地の人とやり取りをして、という感じ。
基本のスタイルは、まずは撮影なしの取材をして、企画書を作って、企画が通ったら本番のロケに行くという流れ。その時は、現地に行く前に企画を通して、いきなり映像を撮った。初めに行って撮ってしまうことが多い。
カメラに抵抗がある人はいるけど、信頼関係がすべて。ミャンマーでは信頼関係を築けているし、イエメンの映像の主人公とはすんなり打ち解けられた。ロヒンギャのことを扱っていた時に「今ミャンマーから連絡してるんだけど」という話もしたから、そういう点も良かったのかな。
小西: テーマは、自分が好きなもの、自分が心動かされたものを選ぶ。例えば、フィリピンで、障害を持つ5歳のストリートチルドレンと、その子を育てる44歳のホームレスという、血縁関係のない二人に出会った。心動かされて、撮りたい、二人を切り口にしてみんなに「愛とは何か」伝えたいと思った。
取材や撮影の途中で、自分の気持ちが企画時と変わることもある。普通は資金の限界があるので、大きな変更はできないが、自分は取材を延長したり、企画を捨てて取り直したりできる環境にいたかった。それが、インスタグラマーとジャーナリストを掛け合わせて活動する理由。メディアに配給する以外の資金の得方として、インスタグラムを使っている。
Q.好きな作家や作品はありますか。
小西: スティーブ・マッカリー。写真家です。
久保田: 『ビルマVJ 消された革命』という作品。2006~2007年、ミャンマー国内は、革命勢力と政府軍の間に衝突が起こる深刻な状況にあった。取材に入ることはほとんどできず、日本人ジャーナリストの長井健司さんが殺害される事件もあった。ミャンマーの混乱した国内情勢を、国際社会がほとんど認識していなかった当時、隠しカメラで撮影した映像をノルウェー経由で世界に発信するビルマ人ジャーナリストがいた。『ビルマVJ 消された革命』は、そのビルマ人たちを撮った、二重構造の作品。
▲画像 『ビルマVJ 消された革命』場面カット 出典:2008 Magic Hour Films
小西: 『ラッカは静かに虐殺されている』みたい。
久保田: 完全に同じ構造。『ラッカは静かに虐殺されている』は、ISのプロパガンダに対抗するために戦うシリア人市民ジャーナリストの話。自分が憧れる、逆境の中でも闘う人たちを撮っているところが良い。そこには、ドキュメンタリー作家とジャーナリストの違いも表れている。
『ビルマVJ 消された革命』では、ジャーナリストは当事者として事実を伝えるけど、ドキュメンタリー作家は、ただ事実を伝えるのではなくて、そこに生きている人、「伝えたい」という人のことを伝えるという構造になっている。だから多くの人に響く。当事者ではないからこそ撮れるストーリーだと思う。そういうポジションがすごく好き。問題自体からは少し距離を置いているともいえるかな。ジャーナリストたちは状況を変えるために活動しているけど、ドキュメンタリー作家はそうではない。
Q.久保田さんは、そのような立ち位置で、ドキュメンタリーを撮りたいと考えていますか。
久保田: 場合によってはそのような立ち位置を取ることもあります。小西さんと一緒に足かけ2年取り組んできた、ロヒンギャの人権を守るために立ち上がったミャンマー人を主人公にした作品は、まさにそういうポジション。夏には撮り終えて公開します。
小西: 当事者が伝えているだけの問題は、インフォメーションとして世に出はするが、見る人は限られていて、ニュースとして断片的に伝わる。徹さんみたいなポジションの人がドキュメンタリーを撮ることによって、ニュースに興味がない人にも物語として届けられて、新たな層に問題を知ってもらうことができる。このことが、徹さんみたいなポジションの存在意義として大きいと思う。
Q.ドキュメンタリー制作において大切にしていることを教えてください。
小西: いかに人を感動させて動かすか。「自分も何かやりたい」と思わせること。見た時すぐに行動に移さなかったとしても、感動した作品は記憶に残って後の行動を変えることができる。「感動」は、喜怒哀楽といった感情の種類が混ざり合ったもので、それらを超越する。だから、ドキュメンタリーでは、あらゆる感情やものごとの善悪両面を複合的に描くようにしている。
久保田: 映像で人の行動を変えることはできないと思う。できるとすれば、映像を作る人を増やすということくらい。映像をつくりたい人にヒットすれば、彼、彼女が一歩進むための原動力になる。コニーとつながったのも、俺が映像を出していたから。
ドキュメンタリーに限らず、あらゆるアートや創作物は、人に想像力を与えるためにある。自分の所属する小さな世界しか知らない人には、自分たちとは全然違う人生や世界が存在することを受け入れることができない人が多い。今の日本には、悲惨なことは見たくない、知りたくないと思っている人が多い。ドキュメンタリーはこの状況を壊すためにあるのかな。
問題に取り組んだり、100%理解して共感したりすることよりも、まず、知らない国の知らない人生を知り、そういう世界があると知って認めることが必要。
小西: 「見たがらない」という風潮はドキュメンタリーだけじゃなくて、社会全体に表れていると感じる。社会学者の宮台真司さんがいうところの、“ディスニーランド化”と呼ばれる現象で、見たくないものが排除されている。そういう社会だからこそ、ドキュメンタリーが必要とされる。見えていないものを持ち込むのがドキュメンタリー。
ドキュメンタリーは人生を豊かにする。人々は悲しみや苦しみを感じたくないとゾーニングするけど、結局それでは平坦でつまらない人生だと気づいて、もう一度悲しみや苦しみを求める。ドキュメンタリーでそれを疑似的に経験することによって、今の自分の立ち位置を良いものだと再認識することができる。
久保田: それはどうだろう。自分のドキュメンタリーに対して「日本は平和で良いと思いました」という感想を受け取ったら、何も伝わってないと思ってしまう。
小西: 役割の一つを果たした感じはする。ドキュメンタリーを見て、自分の今の立ち位置をより幸福に感じたとしたら、一つの価値を与えたことになるんじゃないかな。
(下に続く)
トップ画像:久保田徹氏(右)と小西遊馬氏(左) 提供:久保田徹、小西遊馬 撮影:綿谷達人