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.社会  投稿日:2019/5/19

僕がドキュメンタリーを撮るわけ 下


Japan In-depth編集部(石田桃子、大川聖)

「今、あなたの話を聞きたい」

【まとめ】

・デジタル世代としての強み。新しい世代としての責務。

・ドキュメンタリーは、新しい視点を提示して、世界に彩を与える。(小西)

・ドキュメンタリーは、人に想像力を与える。想像力は創造力を生み、社会は豊かになる。(久保田)

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=45812でお読みください。】

 

(上の続き)

Q.脚色への賛否についてご意見を聞かせてください。

小西: 多くの人に見てもらわないと意味がない。ただ事実を列挙した面白くない作品よりは、ある程度装飾して、事実を伝えながらも面白い作品を作る方がよいと考えている。嘘をつくるということではなくて、アーティスティックなものを取り入れたり、心動かすシーンを多めに取り入れる手法を使うときがある。

久保田: 確実に線引きは必要。存在しないものは撮ってはいけない。場合によっては再現して撮る人もいるけど、絶対やらないという人もいる。個人の線引きだけど、超えてはいけないラインは絶対にある。

作品が面白いかどうか、人の心を動かす力を持つかどうかは、被写体とどれだけ向き合えているかにかかっている。ちゃんと被写体に向き合っていて、その人の人間臭さなんかをちゃんと描けると、作品は面白くなり、多くの人に響く。

 

Q.「カメラは被写体を傷つける」という説について、お考えを聞かせてください。ドキュメンタリー作家の中にも、「ドキュメンタリー作家は悪人である」と考える人がいます。

久保田: 日本のドキュメンタリー作家の共通言語のようなもの。森達也さんは「カメラは暴力装置」とまで言っている。撮っている側が相手を食い物にしているということを忘れてはいけないということだと思う。カメラの前ではどんな人でも身構えて、普段と違うふるまいになる。それを白日の下にさらすという行為は人を傷つけるかもしれない。よりセンセーショナルなシーンを求めてより積極的にカメラを向けてしまう。ドキュメンタリー作家には、そういう節がある。

欧米では「誰も傷つけない」と言い切る人もいる。その分取材におけるガイドラインがしっかりしていて、自分が正義の側に立っている意識を持っているんだと思う。

小西: カメラが人を傷つけるのは事実。例えばむごい姿をした人をセンセーショナルなものとして撮ることは、彼らからしたらきっとすごく嫌だと思う。でも、ひとに悲しい思いをさせたり苦しい思いをさせたり苦労させたりすることは、カメラを回すとき以外の日常生活でも、避けられない。自分はそのことに対して劣等感を一切感じていない。

与えた傷をリカバーするくらい、価値を返すことを常に考えている。責任感を持って映像を撮り、いろんな人に届けるために努力し、映像が人や社会を変えたことを伝える。傷つけたり、悲しませることを恐れたら何もできない。

▲画像 ミャンマー・ラカイン州 出典:UNICEF/Ruslana Sirman

 

久保田: 相手が権力者やオポジットサイドの場合でも、それができる?

小西: 映像の中や後でリカバリーできる。完全な悪人として描かず、良い面も同等に描く。

久保田: アサド大統領にインタビューしたとしてもそれができる?

小西: できます。彼がそうなった理由もしっかり描きます。彼が現時点で悪いことしているのも徹底的に描くけど、彼がそうならざるを得なかったということ、物事は批判できても人は批判できないということも書く。

久保田: 自分はウィラトゥに対してそれができなかった。ウィラトゥというのは、ミャンマーで悪名高い仏教徒で、イスラム教徒へのヘイトスピーチで有名。いくつもの噂を頼って探したけど、彼からは何も出てこなかった。子どものころイスラム教徒の義父が母親を暴行してたからだという噂もあって、実家まで行って調べたけど、嘘だった。権力者については、真実が隠されることもあるし、いい人のふりをするから、うまくいかない。アサド大統領だって、自国民虐殺について絶対認めない。善悪の両面を描けたらすごいし、自分もそれを目指してはいるけど、なかなかうまくいかない。その時は、自分が被害者だと思う側に寄り添わなくてはいけない。オポジットサイドを変に擁護してしまうことは、本末転倒だと思う。オポジットサイドを傷つけないことは難しいし、その必要はない。自分は、善人悪人どっちでもなく、一人の人間として、フラットな関係で接したい

小西: どっちが悪いか分からない状態で撮るのはいけないけど、分かっていたら、その必要はないかも。

久保田: 白黒分からないことが多いからね。ファクトをちゃんと詰めることは、ドキュメンタリー作家に必要な、ジャーナリスト的一面。

 

Q.今後の課題はありますか。

小西: いかに多くの人に見てもらうか。

久保田: コニー(小西さん)のすごいところは、多くの人にドキュメンタリーを見てもらえるモデルを徹底して考え抜いて、確立していること。自分も、まずは自分をある程度有名にしないと映像をみてもらえないと考えていたけど、なかなか実行に移すのが苦手だった。コニーは、SNSやドキュメンタリー制作現場のメイキング映像といった、自分を主人公にしたかっこいいストーリーを公開して、ファンを増やしている。社会問題に関心のない人を含む幅広い層にリーチしたうえで、ドキュメンタリーへの導線をつくっている

小西: 僕たちの強みは、デジタル世代を生きていること。デジタル世代の生態や気持ちを知っているから、デジタル世代に刺さる作品をつくれる。

久保田: これまでマスメディアが確立してきた圧倒的な土台の上にあったが、それが崩れ始めている中、持続可能なモデルをどう作っていくのか誰も知らない。これからの世代が模索していかなくてはいけない。

▲画像 久保田徹氏(右)と小西遊馬氏(左) 提供:久保田徹小西遊馬 撮影:綿谷達人

 

Q.「今、伝えたいこと」を教えてください。

小西: 自分の生きている世界に彩を与えるためには多角的な視点が必要。今飲んでいるコーヒーも、そこに詰まっている歴史や思いを知ったときにはじめて、今まで以上においしくなったり愛おしいものに感じると思う。一分一秒が味わい深く愛おしくなる。ドキュメンタリーは、そのための新しい視点、人生に一味加えるスパイスになる。だからドキュメンタリーを見てほしい。

久保田: 想像力豊かな世界になってほしい。そのために俺は映像を取っている。想像力によって人は優しくなれる。想像力imaginationがあるから創造力creativityが生まれる。さらにアウトプットが生まれてもっと豊かな社会になれる。アートはそのためにある。今の日本はアートに対する理解がない。

映像は世界を変えられるとは思ってないと言ったけれど、単に映像を出すのではなく、映像によって想像力を与えて、その先の段階に、みんながcreativeになって、世の中を変える。その方法を模索していく。

(了。はこちら。全2回)

トップ画像:久保田徹氏(右)と小西遊馬氏(左) 提供:久保田徹、小西遊馬 撮影:綿谷達人


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