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スポーツ  投稿日:2019/7/2

パフォーマンス理論 その7 考えはじめの谷


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)



【まとめ】

・自分の意識を外部から自分の身体に向けることが、技術向上に必須。
・「考えはじめて谷」にはまったら、①細部は無視する②型を一から再構築する③たまに問題から距離を置く

・「考えはじめの谷」を抜ければ、①軸となる自分の型②身体を言語化する力が得られる。

【注:この記事にはリンクが含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=46522 のサイトでお読みください。】

選手が自分の技術について意識をしはじめた結果、スランプにはまることがある。私はこれを考え始めの谷と呼んでいる。

人間は生まれた時、外界と自らの身体の区別がついていない。数ヶ月の赤ちゃんが自分の目の前で手を動かして不思議そうに遊んでいるのは、動かそうと思って動いてる自分の手と、動かそうと思っても動いていない目の前の天井との違いを見定めているのだそうだ。このようにして自分が意図しそれに反応して動くものが自分の身体であり自分の範囲だというのを理解していく。意識は常に外界に向けられる。

小学生の低学年(7,8才あたり)より下の子供たちは、空き缶を潰すように走るという伝え方は理解するが、足を高く上げてはうまく理解できない。おそらく意識を外に向けることには慣れていても、身体に向けてうまく制御することに慣れていないからだ。ちなみになぜか高学年を越えてくると足を高く上げてと言えばそれなりに理解ができるようになる。この辺りで身体に意識を向けて制御できるようになるのだろうと思う。

人間を含む動物は、基本的に外からやってくる危険から身を守り、外にある生存の為に必要なカロリーを確保するために進化している。人間も動きがシンプルに連動して力が出るのは外部の何かに身体を合わせている時だ。目標物目指して歩いたり走ったりするのは自然にできるが、卒業式でみんなに見られながら歩くと、どう歩いていいかわからず混乱する。無意識の行為を意識的に行うことは難しい。アスリートは幼少期、基本的に外で起きている出来事に自分を合わせるモデルで育っていく。来たボールを打つ、目の前のボールを蹴る、ハードルの上に向けて飛ぶ。外部に身体を合わせることでスポーツが展開される。

しかしながら、これだけでは納得できないフェーズがやってくる。そもそもスポーツは自然な動きからかなり離れている。例えば腕を後ろに回して体をねじりながらものを遠くに投げるような行為は人間以外は行わない。空中で何回転もすることも人間しか行わない。生活で行う自然な動きから離れていればいるほど、技術が勝敗をわけ、そして身体への意識を配れるかどうかで熟達の加減が決まる。技術を向上させる為に、私たちは自分の意識を外部から自分の身体に向ける。バットを正確に振るために、脇を締めることに意識をおく。ハードルをうまく飛ぶために腰の位置を意識する。技能上達のために考えないでやっていたことを多少なりとも意識しながら行うが、そのプロセスに深く入ると、考え始めの谷にはまることがある。

私も谷にはまった。きっかけは自分の走りを伊東浩司さんに近づけようとしたことだった。着地を考え、捻りを考え、股関節を考えた。そうして1、2年考え続けた結果、動きは似せられるようになったが、力が全く出せなくなった。これはいけない元に戻ろうとしたのだが、そもそも自分がどうやって走っていたのかがわからなくなっていた。昔のように考えないで対象(ハードル)に夢中になって走るということができない。ずっと自分の身体のどこかに意識が置かれていて、常に自分に若干のブレーキをかけているようだった。

試行錯誤し、どうやって抜けたかも覚えていないぐらいだが、ともかくなんとか抜けた。以下はすでに考え始めてしまっている人のために経験談を書いてみる。

 

1、シンプルに考える

とかく、意識をし始めると、細かいことを気にしすぎてしまう。私は足の裏をフラットにつくべきか、前足部でつくべきかなど細かいことを気にしすぎてこじらせた。改めて考えると力のほとんどは中心で作られていて、そんな細かい末端のことはほとんど影響してない。人間の動きはシンプルで、かつ競技も考え抜けばシンプルだ。そのシンプルなところから目をそらさないことが大事だ。特に考え始めの谷にいる時には、弱気になっているし時間もあるから無駄に細部を考え始めてこんがらがり始めるから要注意だ。決してこねてはならない。真髄は小学生でも理解できるほどシンプルだ。

2、理論を完全インストールする

私は、自分がスランプになった時に高野進さんのところに行って、走りを一から教わった。正確にはもともとの走りを再構築した感じだった。考え始めてわけがわからなくなっているのは型がないからだ。型を作るためには誰かの型に全部染まりきった方がいい。大事なのは素直に聞くことで、それなりの年齢だとプライドもあり自分の理屈もあるが、そんなものは全部捨てて一定期間ひたすらに言われた通りにやった方がいい。一番良くないのは中途半端にわかったふりをしてつまみ食いをする場合だ。ちぐはぐでばらばらな動きが出来上がる。自分らしくやりたいなら、染まってからあとでオリジナルを作ればいい。あとは、あれこれアドバイスをくれる人がいるが聞き流した方がいい。このタイミングでは断片的な一級アドバイスより、三級でも一貫性のあるアドバイスの方が価値がある。

3、適当にやる

考え始めの谷で深刻になる人間は、そもそも真面目で何かに集中しやすく、その分視野が狭い場合が多い。考え続けているから、はまり続けている。だから、真面目に問題と向き合いすぎることで問題が深刻化する。考え始めの谷は、真面目に積み重ねることで抜けるような類の問題ではなく、極端に言えば抜けるなら一夜にして抜けることもあるような問題だ。私はいくら考えても走りが元に戻らないから、ちょっと夢中になってみようと思い、自分の腕に鈴をつけてその音だけに集中して走った。これがきっかけでだいぶ改善した。諦めるわけではないけれども、考えてもしょうがないと距離をとってむしろ違うことをやる適当さが大事だ。付け加えると、定期的にバカになって夢中で競技をすることも大切で、距離を近づけたり遠ざけたり夢中になったり考えたり自在にできるようになれば、脱するのは時間の問題だ。

 
考えていない選手より考えている選手の方がいいと言われるが、私はどちらにもメリットがあるのではないかと考えている。ずっと目の前のボールだけを追いかけてトップに行く選手もいるし、その方が身体の連動がうまくいく場合もある。ただ、一度でも考え始めてしまったなら、もう考えなくなるのは難しく、考え抜くしかない。うまくいかない期間は数年に及ぶかもしれないが。

それでも私は考えはじめることを勧める 。理由は二つある。一つは考え抜いた先には自分の型ができあがることだ。そうなると何がいいかというと、新しいことを試すのが怖く無くなる。人間どこからきたかがはっきりしていればどこに帰ればいいかもわかるので、より勇気を持って遠くまでいけるようになる。型がない間は、何かがずれてうまくいかなくなるのが怖いのでむしろ細部に固執する。中心がはっきりしているほど中心以外はどうとでもできるようになる。

もう一つは、言語化できるようになることだ。言語化できるようになれば、より多くの人の技能向上に貢献できる。選手がコーチになった場合、自分の動きで相手に伝達できるのはせいぜい引退後10年程度で、そのあとは身体が衰えるので言語で伝えるしかない。しかし、考えたことがない選手は、言ってみれば自分の身体を外部から見渡したことがない選手なので、指導も自分の感覚で表現しがちになる。具体的にはオノマトペ的表現が多くなる。これはこれで必要ではあるが、オノマトペは自分と感覚が合う人間には通じるが合わない人間には伝わりにくく、その場合は構造的に身体を説明し伝える必要が出てくる。考えたことがない選手はこれができない。”どう”するかは伝えられても、”なぜ”なのかは伝えられない。

考え始めに谷はあるが、それを抜け試行錯誤の末に手に入る自らの身体で遊ぶ喜びは何者にも代え難く、かつ奥が深い。世阿弥は芸事には離見の見が重要だと言った。自在に自らを操るということは、距離が自在にとれるということでもあり、自由になるということでもある。

 

(この記事は2019年2月16日に為末大HPに掲載されたものです)

「進める」から修正しました。

 

 

トップ写真)Pixabay Photo by Fotorech

 


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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