パフォーマンス理論 その11 休み方について
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
- パフォーマンスレベルが上がるということは、持っている力を出し切れるということであり、練習量ではなく、質。
- 自分の限界を超えられるような負荷をかけるためにはうまく休養することが重要。
- 一定期間競技から離れることで、客観的に見え、集中力や意欲を高められる。
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選手にとって休み方はパフォーマンスに大きく影響する。陸上競技の勝負はある瞬間にどれだけのパフォーマンスを発揮するかに尽きる。4年に一回の五輪をとってしまえば歴史に名前が残る。反対にいくら練習で強く日常の試合を勝ちまくっても勝負所を外せば名前は残らない。私は、人生で何度かあるチャンスで力を出すためだけに練習も休みも存在すると考えていた。そのような人間にとっては休みは準備に見えていた。
初心者は一回のトレーニングでかけられる負荷が低い。例えば現段階でスクワットで100kgの重さが上がる筋力があったとしても、初心者は力の出し方やフォームの取り方がわからないからまず100kgはあげられない。それはそれに見合う筋力がないというよりも、持っている筋力を十分に発揮するだけの技術がない。このように技術がない人間にとっては、練習一回あたりの負荷はどうしても弱くなる。中学・高校の部活の練習時間が長くなりがちなのは、指導者が過去の経験から技術が未熟な中高生は一回の出力が弱いので量で確保したがるからだと思う。短い時間で疲労するにも技術がいる。技術がない人間は量で自らを疲れさせようとする。ちなみに私は中高生を育てる為に量に頼る文化が、練習では強いが一発が必要とされる試合で力が出ない選手を量産してしまっていると考えている。
パフォーマンスレベルが上がるということは、一回あたりの出力が高くなるということであり、それは持っている力を出し切れるようになるということでもある。そうなると量ではなく質で、短時間で強い負荷が身体にかけられるようになるが、一方で準備が重要になっていく。例えば万全の状態で出せるタイムが10″00の選手が、疲労しているときは10″10ぐらいしか出せないとする。この0″10の差は負荷の差であり、練習効果の差になる。高レベルでは、負荷の低い練習をいくら繰り返しても体が慣れてしまっていてほとんど変化が起きないので、10″10を何回繰り返しても10″10がコンスタントに出せるような体にしかならない。より高いレベルに引き上げるには、自分の限界を超えるような負荷をかける必要があるが、そのような強い負荷をかける為には体調を整えておく必要が出てくる。ここで休み方の技術が必要とされる世界に入る。
余談になるが、ラットの実験でドーピングを行い120%の力が出せるようになったあと、ドーピングをやめて一定期間過ぎ、成分が抜けたところで、再びトレーニングを開始してもまた120%の力が出せるようになるというものがある。高度なレベルでは安定に関しては問題なく、むしろこの安定を壊し、限界を一歩超えた世界を自分に体験させることに意識が向けられるようになる。体験さえすれば再現できるようになるからだ。
もちろんこれは陸上の例であり、負荷が小さい水の中や、演技系の競技は、休みに対しても違う捉え方になる可能性は十分ある。
では具体的に休み方はどうすればいいのか。私もそうだったが日本に多いのは休むこと自体に罪悪感を感じるタイプで、このような選手はどう休むかの前に休むこと自体への抵抗感を減らさなければならない。外から練習熱心に見えている選手でも、競技力が向上するから練習を継続しているのではなく、休んでしまうことが恐ろしいから練習をしているだけの場合がある。こういう選手は努力家というより休む勇気がないというのに近く、人生で一度も休んだことがないからただ休んでいないだけだ。まず休んでも大して実力は落ちないということを自分に納得させ恐怖感を取り除いていく必要がある。私はそれほど休みが少ない選手ではなかったが、数日まとめて休む時にはやはり不安だった。それでも、まずはやってみて練習に復帰しそれでも大してタイムが変わらないことを知って少しずつ不安が取り除かれていった。一旦それがわかれば、あとは少しずつ広げ、そして頻度を上げていく。時に休みすぎて実力が低下することもあるかもしれないが、その時には戻せばいいだけというぐらいの楽観的な気持ちで構わない。
また日本のような社会の中で自分を位置付ける文化においては、他者に気を使って休めないことが多くなりがちだ。チームに気を使って休めない場合もある。実際にきちんと休む人間は、疎まれることもあるが、もしトップを目指したいなら全く意に介さず休む勇気を持つべきだ。コーチが休むことを認めない場合もあるが、理想はこのようなコーチとは縁を切るか無視できるなら無視した方がいい。もしそれが難しければ、うまく距離を取りサボる方法を見つけるしかない。ともかく選手にとっては結果が全てで、結果さえ出れば全ては美談に変わる。そして結果のために休むことは必須だと私は思う。
以下は私の現役時代(24-28歳)の3-6月の代表的な練習メニューになる。
月-休み
火-SD20×2 30×4 50×2
水- 350 250
木-休み
金-
土-SD20×2 30×4 50×2
日-450 350
※SDはスタートダッシュの略
疲れていればSDはやらなかったので、ほぼ週に二日の刺激のためにメニューを組んでいた。これでも、春先は肉離れなどを起こしていたので、週に一回に減らしたりしていた。若いときはもっと詰めて練習をしていたが、26歳ごろから練習ではたくさん走れても試合で一発の力が出ないと感じるようになり、練習メニューをシンプルに変えていった。週の走行距離は昔の3分の1ほどになったと思う。
また具体的には冬季トレーニングの間は四週間をひとかたまりにとらえ、そのうち一週間は休む週として考えていた。週の中でもリズムを作るが、1ヶ月単位でも、それから一年単位でもリズムを作っていた。やるときとやらないときをはっきりさせ、そのリズムがうまくはまっているときは例外なく試合でも走れていた。私の中ではいいトレーニングメニューはストーリーが感じられたという印象がある。
また23歳以降、毎年9月の最後の試合を終えたら1ヶ月ほぼ全く練習をしない期間を設けていた。最初にやった時には勇気が必要だったが、復帰して2,3週間すると元に戻るのを経験して、徐々に休めるようになっていった。この長期の休みの1番のメリットは一定期間競技から離れることで、自分の姿が客観的に見えて、何をやればいいかがシンプルに考えられるようになったことだ。将棋でも囲碁でも、周りで見ている方が打っている本人よりも大局的な視点を持つことがある。人間はそれをやり続けると細部に入り込んでいき大局観を失うことがあるので、コーチのいない私にとってはこの1ヶ月間が頭の整理と来年度の戦略を考えるいい機会だった。
繰り返しになるが、陸上競技の勝負はある瞬間にどれだけのパフォーマンスを発揮するかに尽きる。休めない人間はそれが競技力向上にいいと思っているのではなく、休まない状態の方が頑張っている感じがして落ち着くのだと思う。休養は準備である。混乱した状態を沈め、目的に集中させ、意欲を高めるために必要な作業だと思う。シンプルに考えれば陸上競技はたった数度の試技で歴史に名前が残せる。その瞬間に力を出し切れるための準備には休養の技術が不可欠だと私は思う。
トップ写真)Pixabay Photo by StockSnap
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。