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スポーツ  投稿日:2019/7/5

パフォーマンス理論  その10 ブランディングについて


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

 

【まとめ】

  • 企業所属、スポンサー確保、そして引退後の人生においても自己ブランディングは重要。
  • ブランディングとは知名度や実績だけで得られるものではない。
  • そのままの自分でいく、誰にも替えが務まらない何かになる。

 

 

【注:この記事にはリンクが含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=46586 のサイトでお読みください。】

 

直接競技力とは関係がないけれども、ある年齢以上でそれなりのレベルを越えれば自己ブランディングは重要な要素だと思う。企業に所属できるかどうか、スポンサーが決まるかどうか、また引退後の人生にも影響してくる。私が競技をしていた時代は2000-2012なので、個人の発信が容易になった今とはずいぶん違うと思うけれども、それを踏まえた上で自分なりにやってみて、勘違いしていたことそこから学んだことを書いてみたい。

 

1、結果が出ても有名になれない

結果が出ればそれなりに有名になると思っていたが、想像していたほどではないのが実際のところだった。そもそも結果に対しての捉え方が選手と世間では違う。引退して感じた事は、メダルの色の違いを世間はあまり気にしていないし、記録も、それから競技ごとの難易度も理解されていない。また残酷だがわかりやすい話をすれば、競技力とは関係のない容姿でも人気は変わる。つまり私たちの世界のすごいと世間のすごいはずれている。

競技の世界で難しいことを成し遂げて価値がある選手、世間から見て人気がある選手、お金が稼げる選手は全部ずれている。まずブランド云々の前に自分の中で何が一番欲しいのかを決めておく事が大事だと思う。ともかく競技者の世界ですごいことをしたいのか世間的に人気者になりたいのか(この細部は2で細かく説明する)、お金がほしいのかは自分の中で整理して優先順にをつけておいた方がいい。

 

2、ブランドとは知名度のことではない

ブランドとは知名度のことで、とにかく有名になればブランドが高まっていくと昔は思っていた。知名度は露出機会に影響されていて、試合数が多く露出機会が多いサッカー選手や野球選手が有名になるのを見ていて羨ましいなあといつも思っていた。そんな中、引退間際ぐらいにとある研究者の人と会って話す機会があり、あなたは言葉と内省能力がすごいと褒められてうれしかったことがある。

ブランドは知名度ではなく、個々人の人間の記憶にどの程度深く根ざしているかだと今は考えている。国民的スターという存在も確かにあるが、それは全体のほんの一部で、全員の記憶に深く刻むのはとても難しい。またどこかから評価を受けていること自体が、違うエリアでの評価を下げることにもなる。つまりブランディングをしたいと考えるときに、誰にどう思われたいのかを先に設定しないとどうにも進めないということだ。私は誰かに評価されたいというのは一義的な目的ではなかったが、陸上に没頭した結果内省能力が高まり、そのことを特定の人に評価されている事はうれしいし、励みになっている。

3、アスリートの実績は残るが、人気はいずれなくなる。

確かに実績は残るが、人気はいつかなくなる。それも選手が思っているよりも早いペースで。私は引退間際にアメリカに住んでいて、だいたい3ヶ月に一回日本に戻っていたが、あっという間にテレビに出ている人が入れ替わっていることに衝撃を受けた。もちろん、スポーツの場合は普通の有名人と違いテレビに出ていなくても、選手の実績は揺るぎない。しかし、これはその実績に対する評価であって、本人に何ができるのかという評価は引退して徐々に変わっていく。選手時代はパフォーマンスは試合ですればいいし露出機会も減らないからイメージだけで人気が保てた。ところが引退してからは常にニュースを出していくか、または競技以外の何かで実績を出さなければならないので違う能力が必要になる。残酷だけれども、引退して何かをしたいと思っているアスリートはこの急に自分の人気が落ちていくことをそれなりに理解しておいた方がいいと思う。繰り返しになるがそれでも見てくれている人はいて、そういう一部の人の記憶の中では自分のブランドは揺るぎない。その数が引退した時に想像していたよりも少ないだけの話ではあるが。

余談だが、ある程度ブランドができると、それを守るために新しいことを始めなくなる。新しい事は失敗する可能性が高いので、失敗してブランドが傷つくのを嫌がるからだ。ところが何か新しい挑戦をしなければ当たり前だけれど人は成長しない。この一度確立してしまったブランドをどう壊しながら挑戦していくかはとても大事で、特に選手のブランドで食っているマネジメント事務所との間ではバランスを取る必要がある。私は長期的に見て守るより攻めた方がいいと考えているので、ブランドを一時的に傷つけたとしても挑戦を繰り返した方がいいという立場に立っている。

4、かっこわるいがかっこいいに変わることがある

昔アエラの表紙を撮ってもらったことがあった。真顔のクールな写真を撮られることを期待して粧し込んで現場に到着したら、最初の挨拶の表情を見て、カメラマンさんにいいからそのまま笑ってと促された。何枚か撮るのかと思ったら、結局その笑顔の写真が使われた。正直を言えば、私はその写真が好きではなかった。笑って八重歯も出てるし笑い皺も出てるし、他のアスリートみたいに真顔の陰影が出たようなかっこいい写真になんでしてくれなかったのかと思った。引退して6年経った今写真を見返してみると、畳屋である祖父祖母の屈託無い笑顔に似ていて、そういうのを瞬間に見抜かれたのだろうと思った。自分自身がその頃の写真を見て青臭さも含めてなんとなくいいなあと思うようにもなっている。人生において、あの頃かっこわるいと思っていたことがこの歳になってかっこよく見えることがある。若い時に変に自分でポーズをとったりすればそこから逃れられなくなるから、早めに晒しておいた方がいいと思う。

5、自分からは逃れられない

ブランディングは人によってずいぶん考えが違うだろうけれども、私なりにブランディングを整理すると、シンプルに言えば”替えが効かない何かになる”という事だと思う。変えが効かない何かになるためには、演じていたり計画していては無理で、結局私目の前のことを追求していくしかないのではないだろうか。その場合、自分のバックグラウンドや本来の性質から逃げられない。私は本当は内向的な人間で、反射的に何かをするのが苦手だったから、テレビではうまくやれなかった。しかも考えていることが少し変なのでしゃべるとおかしな空気を作ってしまう。それで3年ぐらいアメリカにいて、戻ってきた時にもういいやと思って全く空気を読まずに発言したら、それが世間に受けた。自分をこう見せようとしていたことをギブアップすることで、自分というブランドが少し転がり始めた。今考えれば、ブランド構築に一番抵抗していたのはこう見せたいと思ってそこにしがみついていた自分だったと思う。

ちゃんとプロが見ればもっと深いブランディングの世界があるのかもしれない。が、私にはそれができなかったので、全部諦めてそのままの自分でいく、という方法を選んだ。ある意味でブランディングをしないというブランディングだったろうと思う。これはいい方法なのかどうかわからないが、少なくとも本人にとっては楽なので私はおすすめしたい。

 

トップ写真)Pixabay Photo by Scottwebb


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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