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スポーツ,未分類  投稿日:2019/7/17

パフォーマンス理論 その22 言葉について


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

 

 

【まとめ】

  • 言葉はパフォーマンスにおいて、技術の制度、内省・修正の精度、伝達の精度、精神安定の精度、に影響
  • 言葉の粒度は身体の粒度と同じであり、より細やかでピンポイントなアドバイス、フィードバックが可能
  • 言葉に正確でない選手は事実と意見が混ざる

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=46883 のサイトでお読みください。】

 

本当に言葉自体に力があるのか、アスリートというイメージからそう感じるのかわからないが、アスリートの言葉は響くとよく言われる。一方で、外に向けての言葉ではなく、アスリートの世界で使われる言葉はパフォーマンス向上にどの程度影響するのか考察してみたい。

最初に本当に大事なことは言葉にできないことは重々承知の上で、それでも言葉を使うしかないではないかというところから出発したい。私は言葉を好んで使ってきた人間だから、言葉はパフォーマンスに影響すると信じている。日本育ちのアスリートで日本語話者でも日本語のレベルにはかなりの差がある。この差が具体的に何に影響するかというと、技術の精度、内省・修正の精度、伝達の精度、精神安定の精度、に影響する。言葉で表現できない人間は、うまくいってさえいればいいが、つまづいた時内側に課題を抱えることが多い。言葉にできるということは取り出して自分と距離をとって眺められるということで、客観視できなければ何が課題だと自分が思っているかが理解できない。

言葉を使うということは、全体の中からある一部分を取り出しそこにフォーカスすることだ。例えばハードルであれば、”ハードルの上で休む感覚”という表現がある。まずハードルという言葉を使うことによりハードルとそれ以外を切り離している。本当に休んでいるかと言うとレース中に休めるわけはないので、比喩表現に過ぎない。走りは常時足を交互に動かす循環運動が行われるが、ハードルを飛ぶ瞬間に一瞬、”間”ができる。この”間”で脱力することを休むと表現している。足の力の入れ具合や、上半身の傾き具合、また腕の動きなど他にも無数の選択肢があるが、脱力の一点に注目をして休むと表現をする。いい言葉は一点を表現することで、それにつられて他が連動してつながる。言葉とはそれを切り離すことであり、集中であり、抽象化でもある。

言葉の粒度は身体の粒度と同じである。足腰と表現する人間は膝も臀部も下腿部も同じに捉えている。足腰をハムストリングということもできるし、内転筋と半腱様筋を分けて表現することもできる。言葉の粒度によって表現せんとする標的の粒度が異なる。粒度が細かければ繊細な表現ができるので、より細やかなフィードバックが可能になる。うまく足腰が使えなかったという人と大腿四頭筋ではなくハムストリングの上部が使えなかったという人では、その後のトレーニングでフォーカスする場所が違う。ぼやけた言葉を使う人のトレーニングの目的はやはりぼやけている。

言葉の定義は身体だけに限らない。努力が重要だという指導者に努力の定義を聞いてみる。仮にその指導者が、”努力とは目標に向けて何らかのストレスを伴う自らの意思によって行われる行動”と定義しているとする。そうすると目標の定義、ストレスの定義、自らの意思の定義が必要になる。目標と計画と夢はどう違うのか、ストレスと痛みや苦しみとはどう違うのか、そもそも自由意思はあるのかまで浮かんでくるかもしれない。キリがない作業だが、これをどこまでやっているかによって”努力という単語”の精度は変わる。深く考えて使われる単語からは正確さが生まれ、正確な課題を見つけやすく、正確な答えと目標を設定しやすくなる。

ではなんでも詳細に表現すればいいかというとそうとも限らない。例えば二足歩行はみな巧みに行うが、職業的に関わっていない限りそれを具体的に説明できる人間はいない。普段歩き慣れていても、人前で歩く瞬間にうまくいかなくなるのは過剰に歩行に意識が向かうからだ。運動動作はかなり無意識下で制御されているので、それを意識的に言語で表現するまたはしようとすることが必ずしもいいとは限らない。無意識でできていたことを意識的に行おうとする時に、スランプやイップスが起きる可能性がある。結局オノマトペ的なズバッとかグイッと表現した方が自然な場合もある。つい言葉にこだわる人間は冗長になりがちだが(このブログのように)、良い言葉はいつも端的だ。そして小学生にもわかる。1時間でも話せるし10秒でも話せるというのが良い。

言葉に正確でない選手は事実と意見が混ざる。”海外での一人の試合”という場合と、”海外での孤独な試合”という場合では同じ状況でも捉え方が違う。前者は事実だが、後者には一人は寂しいという感情を通して描写されている。小さな表現の違いかもしれないが、選手は単語で自分に記憶させるので、長い時間が経てば大きな違いになる。嫌いなコーチがいるとする。その場合もコーチはひどいやつだと、自分がコーチを嫌いだと思っている、では随分違う。この違いに意識的でなければ、事実と意見(もちろん自分が観察者なので究極を言えば事実など存在しないのだろうが)がごちゃ混ぜになって記憶されてしまう。事実と意見が混ざれば、考え始めの出発点が歪んでいるので、そこから出る問題点も、目標も、計画も全てずれていき、問題が毎回解決されない。そもそもコーチがいる場合、コーチに伝えること時に事実と意見が混ざっていれば二重にずれる可能性が出てくる。

昔、練習の内省ノートを書いていたが、最初のうちは何が事実で何が意見か自分でも区別がついていなかった。それで1日おいて一つ一つ考えて切り分けることを続けていくと、次第に違いがわかるようになっていった。私は比較的精神が安定していた選手だったと思うが、それはこの事実と意見を分ける訓練を自ら行ったことが影響していたと思う。この事実と意見を分ける練習ができていなければ、おそらくもっと状況を掴むのは苦手だったろうし、堂々巡りで悩んでいたと思う。考えることと悩むことの違いもここにあると感じている。

別の課題ではあるが、人間は羨ましいという感情をあいつは大したことがないという言葉に変えてしまうことがある。酸っぱいブドウに近い。この場合プライドの高さから羨ましいと感じていることを認められないので、違う言葉でごまかしている。周囲にはそう言っていても帰り道で自分の嫉妬心を認識していれば問題ないが、長い間自分もごまかし続けると本当にわからなくなってしまうから厄介だ。一度こじらせた選手は最後の最後まで自分の言葉が出てこない。隠すことに慣れすぎて本当の気持ちを白状することがもはやできなくなっている。本当に自分が欲しいものややりたいことも言葉にできない。感情的に辛いことは認めないように生きてきたので、どうやって言葉にしていいかすらわからなくなっている。こうした状況を打破するには、シンプルだが自分の最も認めたくないものを認め言葉にすることに尽きる。気持ちを言葉にすることはこじらせるとこのように影響が大きい。

言葉を洗練させるには、読むか聞くか書くか話すか考えるかしかない。例えばなんでもいいから頑張って100冊読めば随分言葉は変わる。できればどう感じたかを書いてみるとより精度が上がる。私は読んで考えて書くことで言葉の粒度が細かくなった。特に重要なのは質問で、どのような問いかけを自分にするかによって、どう答えるかが決まる。問いの精度が答えの精度のようなものだ。この質問に関しては、内省という項目で改めてまとめたいと思う。

言葉がうまく使えるようになれば、より正確に問題を把握でき、より正確に事実と意見を分けることができ、より正確に自分の感情を把握でき、より正確に改善できるようになる。私の競技人生後半を支えたのは言葉だったと思っている。

 

トップ写真)Pixabay Photo by KeithJJ


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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