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.国際  投稿日:2019/8/8

フランス、脱階層社会の試み 上


Ulala(ライター・ブロガー)

フランス Ulala の視点」

【まとめ】

・男女混合で授業することで何事にも躊躇なく挑戦できるようになる。

・仏、オイルショック以降、社会的弱者の集中が社会問題の要因に。

・ ソーシャル・ミックス(社会的混合)の概念で相互理解できる社会目指す。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=47267でお読みください。】

 

フランスの中学、高校の体育は、国からの強制ではないが、大抵の学校では水泳もラグビーも混合で行われている。それは男女を区別することが習慣化することで自らの可能性をつぶすのではなく、何事にも性別も関係なく挑戦できるように学校で教育していこうと言う考えの元に行われているのだ。

よって、地元の中学校に通う私の娘も、性教育の授業をはじめ、体育での水泳もラグビーも普通に男女そろって授業が行われている。ラグビーなどは特に雨が降る時期に授業が重なるが、雨の中でも泥にまみれて男子と一緒になってボールの取り合いをし、「下着まで泥だらけになることもよくある」とケロっと言う。その姿につくづく「たくましい」と感心するほどだ。自分の日本での中学時代のことを思い返してみれば体育では男女別々の授業が普通で、下着が泥だらけになるほどのコンディションの中でボールを取り合うような授業はなかったが、そのように体育のような授業の一部を男女分け行われるのは、昔から日本ではどの学校も同じかと言えば、そうではない。

先日、日本滞在時に、活躍されている女性たちの取材をしていたところ、高校の年齢から男子と完全なる混合の環境で全ての教育を受け、社会でも男性が多数を占める環境で仕事をして来た方に出会った。60歳代と50歳代の高等専門学校(以後、高専)出身の女性だ。その方たちの話を聞いていると、高専では、全ての授業はもちろん、体育での水泳、ラグビーも含め、普通に男女混合での授業だったそうだ。選択体育も女子好みの項目があるわけではないので、男子同様に剣道か柔道。ある意味、現在のフランスでみられる学校の姿が、かなり昔から日本にも存在していたと言えるのではないだろうかとすら思える。

この高専卒の女性たちは、男性の集団の中でもとても自然に動き、発言する。女性だからできないんだと言う弱気なところもなく、女性であるから女性らしくがんばらなくてはいけないなどと変な意気込みがあるわけではない。やりたいからやる。なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく自分の好きなことをすることを念頭におき行動している。その結果、二人ともが各分野で注目を浴びる人物として活躍しているのだ。そんな様子を見ていると、男女の違いで区別する意味すらよくわからなくなってくる。確かに女性であることは間違いないが、その違いは、ただの個性ぐらいにしか感じないのだ。区別されないことが普通であった教育の結果なのだろうか?とふと考えさせられた。

▲画像 lesson by pixabay

フランスでは、男女教育だけではなく、現在は全体を通して「混ぜる」ことが意識されている。特にフランスは長年にわたり社会階層がくっきりと分れ、しかも固定化してきた。こういった状況は、多くの差別や争いを生み出し、問題も多く存在した。そこで問題解決するために長年努力してきたのである。階層間の壁を無くすために、さまざまな階層や民族が共生するソーシャル・ミックス(社会的混合)の概念を取り入れた都市計画もその一つだ。

ソーシャルミックスを取り入れた都市計画では低所得者用などの社会住宅を分散させることが盛り込まれている。フランスでは、戦後、工業の発展とともに、工場周辺に、社会住宅が大量に建設された。これらの住宅団地では、オイルショック以降経済が低迷し工場が激減した後、移民、低所得者などの社会的弱者が集中するようになっていく。その結果、住宅の劣化に加え、失業、バンダリズム、軽犯罪などの多くの社会的問題を抱える地区となっていったのだ。一定の社会階層が、限られた地区に集中することでこのような社会問題の要因の1つを生み出したのである。

そこで、パリでは1991年7月13日の都市基本法で、ソーシャル・ミックスの概念を初めて取り上げ、都市圏内で均衡ある社会住宅配置を目的に、社会住宅の少ない市町村にその建設を促す取組を定めた。そして、2000年12月に制定されたSRU(solidarité et au renouvellement urbains=都市連帯と都市再生)法により、3500人以上の住民を抱える都市では、全住宅戸数に対する社会住宅の最低比率を20%と義務付けている。2003年にボルロー法が定められ、2004年からはパリだけではなく、フランス全国で実施されることとなったのだ。

しかし住民たちに葛藤がなかったわけではないだろう。今まで一部の地域に隔離されていたはずの“問題”が、自分たちの街に持ち込まれることになるのだ。各街ではそれなりの反対運動が起こった。しかし、着々と実行されていったのだ。この結果、一つの地域に、同じ階層の住民が集中することがなくなり、子供たちが同じ学校にいくなどを通して相互理解ができるような環境になりつつある。

例えば、現在、私が住んでいる地域では、以前は特定住居を持たない人々との争いがひどく、夏祭りでは乱闘がしばしば起きていた。そのため、ある年など、外来者が来ないようにと夏祭りの告知を一切しなかったことまである。しかし、長くフランスに住んでいる特定住所を持たない人々を対象にした社会住宅ができ、子供たちが学校に通うようになってから、そういった争いが起こることがなくなったのだ。確かに、今まで学校に行ったこともなかった大勢の子供たちが来た当初は、学校は大混乱だった。が、それもほんの1カ月ほどで収まり、その後は、何年も問題がない状態が継続している。

に続く。全2回)

トップ写真:Kids playing in the Youth Rugby Exhibision match. 出典:flicker


この記事を書いた人
Ulalaライター・ブロガー

日本では大手メーカーでエンジニアとして勤務後、フランスに渡り、パリでWEB関係でプログラマー、システム管理者として勤務。現在は二人の子育ての傍ら、ブログの運営、著述家として活動中。ほとんど日本人がいない町で、フランス人社会にどっぷり入って生活している体験をふまえたフランスの生活、子育て、教育に関することを中心に書いてます。

Ulala

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