島根県海士町再生、首長の覚悟
出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)
【まとめ】
・島根県海士町、町長の信念に職員と住民の意識が変わる。
・「儲ける」意識と「本気の支援」で海士町へのIターンを促進。
・リーダーの覚悟で「外」からお金と人材の獲得に成功。
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地方自治体は、首長次第で決まると思う。信念のある首長が旗を掲げ、改革できるかどうか。それが、まちを活気づけ、将来を決定づける。
人口減少社会においては、トップ自らが身を律し、「あれか、これか」の厳しい判断を下す必要がある。反対があっても、「率先垂範」で、信念を貫くのが大事だ。「あれも、これも」「広く、あまねく、皆様に」という“八方美人型”では、地域の衰退を招く。地方の財政赤字は、こうした首長の性格が原因となっている。
「あれか、これか」。厳しい判断を下す首長と言えば、島根県隠岐諸島にある海士町で町長だった山内道雄を思い出す。去年5月、4期16年を終え退任した。
私は退任前、山内道雄と話す機会があった。借金101億円。北海道の夕張市同様に、破たん寸前と言われていた離島の町を立て直した人物だ。
2002年に就任した町長としての最大の政治課題は、どう借金を返すかだった。「財政破たん寸前でした。住民サービスが今後低下する恐れがある。住民の理解を得るには、私自身がまず本気にならねばならない。給料30%カット、町長が乗る公用車もやめました。ただ、職員には、給料の引き下げを求めませんでした」
▲写真 島根県海士町 山内道雄元町長 出典:著者提供
いきなり役場の幹部会議で宣言した。それから10日あまり。夜に町長室で仕事をしていると、当時の総務課長からの電話があった。「すぐに飲み屋に来てください」。
店に顔を出すと、役場の管理職が全員集まっていた。「町長と同じように給料を下げたい」などと迫られたが、山内は取り合わなかった。しかし、その翌日、管理職の面々が再び町長室に集まった。そこで、当時の総務課長は、「僕たちも町長についていかせてください」と頭を下げた。
山内は語る。「本気だったのです。涙が出ました」。その年30%、翌年度50%まで給料を削減した。一方、職員も役職によって、削減幅は違うものの、給料を下げた。年功序列もなくした。
「それまでは、住民の間で、役場の職員は仕事が楽で、給料が高いというイメージがあった。しかし、住民の意識も変わりました。町の再生のためには『補助金もいらない』と返上する人も現れたのです」。
一方、同時に「攻め」の姿勢も鮮明にした。役場は「総合サービス商社」と称した。職員に「儲ける」意識を植え付けた。「外貨稼ぎ」を鮮明にした。産業をつくり、人口を増やすための人員を増やし、施策を強化した。役場の職員に必要なのは、学歴ではない。熱意・誠意・創意だと主張する。
「本気の人間には本気で支援する」。それが山内のモットーだ。東京から移住してきた若者が干しナマコを産業化したいと言い出した際、山内は支援した。つまり、干しナマコの加工場の建設費7000万円を計上した。「一人のために造るのはおかしいと議会で反対された」。
▲写真 干しナマコ加工場 出典:著者提供
山内はこう反論した。その若者が本気で海士町に定住して、干しナマコを売れば、ナマコを出荷する地元の漁師たちの懐も潤う。つまり、島の漁業を支援するための資金だと強調した。この干しナマコは高級食材として中国で売れ行き好調だ。
このほかにも、岩がきや白イカを、細胞組織を壊さず冷凍させる施設を5億円かけて建設した。限りなく生に近い食感を保てるのが特徴だ。本州まで運ぶ間に魚の鮮度が落ちて、安い値段で取引されていた状況が一変した。また、都会の大企業に勤めていた若者が相次いでIターンした。「島留学」を打ち出し、高校の生徒数は倍増した。
就任以来16年。山内は「外」からお金と人材の獲得に成功した。人口も下げ止り、借金も減った。人口問題に詳しい専門家によれば、海士町は2060年には人口が倍になる試算もある。「トップの仕事とは覚悟、決断、実行。それができなければ、町は沈む」。
山内の話を聞きながら、「町長の決断、そして議員や住民の共感」、そのプロセスが大事だと痛感した。
そういえば、連合艦隊司令長官、山本五十六はこんな言葉を残している。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」。絶対服従の軍隊ですら、リーダーが率先しなければ、組織は動かない。地域再生にも当てはまる。
トップ写真:島根県海士町 山内道雄元町長 出典:著者提供
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。