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.社会  投稿日:2019/10/23

水害対策、垂直避難の検討を


上昌広医療ガバナンス研究所 理事長)

【まとめ】

水害では避難所より家屋二階への「垂直避難」が安全なことも。

・避難所の受け入れ能力も問題。豪雨の中移動を余儀なくされた例も。

・高齢者保護には住環境把握など個別対応が不可欠。対策見直しを。

 

「水害対策は見直す必要があります。特に高齢者にとって避難所に行くことが、必ずしもベストとは言えません」

相馬中央病院の内科医である森田知宏医師はいう。10月12~14日にかけてわが国を襲った台風19号は相馬中央病院が位置する相馬市を直撃した。

相馬市は甚大なダメージを蒙った。森田医師の同僚である藤岡将医師は、私が編集長を務めるメールマガジン「MRIC」に寄稿し、病院開設以来35年間勤務している同僚の言葉として、「創業以来、こんなにひどいことはない。12日の夜、病院玄関のタイルまで水が来て、『もう駄目だ』と思ったら、そこから水が引いてきた」と述べている(Vol.177 相馬日記 台風編)。台風19号に襲われた地域では、各地で同様の光景が見られたことだろう。

▲写真 相馬中央病院 出典:相馬中央病院 facebook

10月19日現在、全国での死者は12都県で81人。もっとも多いのは福島県で30人だ。浜通り、中通りの広範な地域が被災した。

どうすれば、命を救えただろうか。水害対策の基本は「避難」と考えられている。避難対策を仕切るのは市町村で、今回の台風でも、多くの市町村長は、「避難勧告」、「避難指示」の形で住民に早期避難を呼びかけた。

ところが、多くの住民は避難しなかった。毎日新聞の10月17日の記事によれば、台風が通過した直後の段階で、避難所へ身を寄せていたのは、全住民の1.6%に過ぎなかった。

専門家の中には、その心理を「東北の住民の中には、被害は関東に集中し、自分たちは関係ないと考えた人がいるのではないか」と解説する人もいる。このような心理状態を専門用語で「正常性バイアス」という。沈没船から逃げず、溺れる人の心理状態と同じだ。

▲写真 災害時に設置される避難所の様子。 出典:京都市防災危機管理情報館

メディアも、このような主張を支持する。私が電子版で定期購読している神戸新聞は10月17日の社説で「無駄でも早めの避難を」との見出しの記事を掲載している。阪神大震災の経験もあり、神戸新聞は災害の記事が充実している。今回も多くの紙面を割いて報じている。

私は、このような主張に疑問を感じる。本当に「無駄でも早めの避難を」でいいのだろうか。医師で相馬市の市長を務める立谷秀清氏は、「水害対策は難しい。市民を避難させるためには、受け入れ体制を整備しなければならず、準備は不十分だ」という。

▲写真;立谷秀清・相馬市長。医師でもある。出典:全国市長会ホームページ

立谷氏と話していて、筆者が興味を抱いたのは、「わが国の災害対策は震災を念頭に検討されてきた」という言葉だ。

東京都の場合、都市整備局が「防災 ~都市の確実な安全と安心の確保」というホームページを開設している。その中に「避難場所・避難道路の指定」という項目があるが、クリックすると出てくるのは「震災時火災における避難場所及び避難道路等の指定」だ。全ての記載が震災対策だ。

医療ガバナンス研究所が位置する港区の場合、「広域避難場所及び地区内残留地区」に指定されているのは、明治神宮外苑地区、青山墓地一帯、有栖川宮記念公園一帯、芝公園・慶應大学一帯、自然教育園・聖心女子学院一帯、高輪三丁目・四丁目・御殿山地区だ。いずれも広大な屋外空間で、震災後の火災対策や余震対策には有効だろうが、台風の中で避難できる場所ではない。

水害の際の避難所は、公立の小中学校の体育館や教室となるが、東京の場合、どこの学校に避難するかは、どの町内会に所属するかで決まる。避難所の中には浸水が予想されているところもある。かくの如く、地震対策と比較して、水害対策は不十分だ。

これは高度成長期以降のわが国の歴史に負うところが多い。平成以降、わが国は阪神大震災、東日本大震災など多くの震災を経験したが、最近まで水害が話題になることは少なかった。両者を区別して議論してこなかった。

今回も弊害がでている。日本経済新聞の10月17日の記事によると、宮城県丸森町の場合、当初、町役場の隣にある「丸森まちづくりセンター」を避難場所に指定したが、台風が接近した12日夜には、屋上の排水が追いつかず溜まった水があふれ出した。周辺で浸水も始まったため、午後9時ころに隣の町役場(4階立て)に避難者約70人をマイクロバスで移送したという。この地域はハザードマップで浸水の危険性を示すピンク色で塗られていた。現に外部は10センチほど浸水していた。急ごしらえで整備された町役場の避難所は数十人が同じ部屋に入れられた。

福島県郡山市でも避難所が変更となった。12日午後1時から避難した高倉小学校は高台にあり、収容スペースも広かったが、敷地の一部が土砂災害の警戒区域だったためだ。豪雨は土砂災害のリスクを高めることが、十分に認識されていなかった。

問題は避難所の立地だけではない。避難者の受け入れ能力も問題だ。今回の台風でも、幾つかの避難所が満員となった。

例えば、東京都狛江市は、12日午前8時ころに、中央公民館を自主避難場所として開設したが、雨が本格化する前から住民が集まり、昼過ぎには満員になった。避難者を収容しきれず、急遽、市役所ロビーなどを開放し、約460人を収容した。

2018年6月30日から降り始めた九州南部の豪雨では、鹿児島市内全域に警戒レベル4にあたる避難指示が出た。鹿児島市の人口は約59万人。避難所は大混乱となった。多くの避難所が手狭となり、豪雨の中、住民は別の避難所に移動を余儀なくされた。

避難指示を出した森博幸・鹿児島市長は「ぜひとも早めに避難していただき、ご自身や大切な方の命を守る行動をとって頂きますようお願い致します」とコメントしたが、現場の混乱を考えれば、この発言が妥当だったか、疑問が残る。森・鹿児島市長の立場を考えれば、その発言も理解できる。避難指示を出さずに死傷者が出れば、責任を追及されるが、避難指示を出すことで免責されるからだ。

このような対応は、今回の水害でも散見された。台風19号が通過して、約1週間後の降雨に対し、いわき市は約15万人の市民に避難勧告を出した。いわき市の人口の半分に当たる人数だ。具体的には、どういう経路で、どこに行けばいいのだろう。

水害対策は、もっときめ細かい対応が必要だ。今こそ、今回の経験を踏まえ、具体的な対策を議論すべきだ。

▲写真:宮城県丸森町五福谷川周辺(2019年10月18日) 出典:国土交通省富士砂防事務所 twitter

今回の水害では、宮城県丸森町で、家ごと家族4人が流されたようなケースも存在するが、このような方は少ない。10月19日現在、判明している81名の死者の被災場所は住宅内27人、車内21人、屋外22人、その他・不明11人だ。車内・屋外で死亡した43人の中には病院職員や公務員のように職務中に死亡した人もいるが、経緯は兎も角、一旦、豪雨の中での移動は生命の危険を伴うことがわかる。理想的には早期に避難すべきだが、避難所の収容力の問題や移動手段を考慮すると、全員を安全に避難させることは出来ない。

今回の水害で、筆者が注目したのは、27人が住宅内で死亡していたことだ。どのような状況だったのだろう。

この点を議論する上で、福島県が公開した情報が役に立つ。10月19日現在、福島県では30人の死亡が確認され、12都県の中でもっとも多い。福島県は、この30人の属性や死亡した状況を開示している。

亡くなった方の年齢は7~100才までにわたるが、正確な年齢が分かっている29人中、16人が70才以上、8人が60歳代と被害者は高齢者に集中している。高齢者こそ、災害弱者なのだ。

さらに、70歳代以上の16人に限定して分析すれば、亡くなった場所は屋内11人、屋外5人だ。後者の5人の中には、ヘリで救出中に墜落した方や、職場に駆け付けた市職員、病院職員、新聞店勤務者などがいる。墜落した方を除き、リスクを承知で豪雨の中を行動した人たちだ。「殉職」であり、避難対策とは別個議論すべきだ。本稿では取り扱わない。

一方、屋内で亡くなった11人については「避難の失敗」と言っていい。彼らが死に至る状況を詳細に分析すべきだ。彼らの住居は、4人が平屋住まい、7人が二階立て以上の家やアパートだった。私が驚いたのは後者だ。二階立ての家に住んでいれば、二階に逃げることで、命を守ることが出来たはずだ。

実際に、福島県では、このように対応したケースが多い。南相馬市で在宅医療に従事する根本剛医師は、「川沿いに住んでいる患者さんがいましたが、消防団がやってきて、二階に「垂直避難」して無事でした」と言う。

では、なぜ、二階に逃げなかった人がいるのだろう。注目すべきは、7人の死者のうち、5人が独居だったことだ。彼らの住居はアパート3人、市営住宅1人、一戸建て1人だった。4人は集合住宅に住んでいるため、周囲がサポートすれば、容易に二階以上に避難出来たはずだ。彼らが溺死した背景には社会的な孤立があった可能性が高い。社会的な紐帯が水害死を防ぐ重要な要素かもしれない。このことは、東日本大震災の経験とも合致する。

家族とともに住んでいたのに、溺死した二人の経過も示唆に富む。家族6人と生活していた79才の女性の場合、家族が避難を呼びかけるも応じなかった。悪天候の中を自宅から遠い避難場所まで移動すること、避難生活が大変なことを考慮したのだろうか。もし、家族と二階に避難していたら、助かった可能性があるのに残念だ。

では、平屋住まいの方はどうしたのだろう。亡くなった4人は、夫と二人暮らしだったが、足が悪かったため避難出来なかった91才の女性、妻が浸水に気づき、周囲に助けを求めたが、足が悪く動けなかった86才男性、一人暮らしで愛犬を抱えたまま亡くなっていた86才女性、一人暮らしで、周囲から避難を誘われたが自宅に留まった100才の女性だ。多くの高齢者が独力で避難できないことがわかる。

彼らを避難所に運ぶには多くの人手を要するし、搬送される高齢者にとってもストレスだ。避難を誘われても、断る人もいる。遠くの避難所でなく、自宅あるいは最寄りの二階に避難するだけで済むなら、それに越したことはない。台風が過ぎ去り、落ち着いた段階で救出すればいい。

▲写真 自衛隊による高齢者救助の様子(2019年10月13日 長野市穂保) 出典:陸上自衛隊東部方面隊 twitter

水害対策では「高さ」が大切だ。ところが、このことはあまり議論されてこなかった。

幸い、今回の水害では自治体が作成したハザードマップと、国土地理院がまとめた浸水地域は概ね一致していた。水害時にどこが、どの程度の深さで浸水するかはほぼ予想できる。

今回の水害で、もっとも浸水が深刻だったのは、水戸市常磐自動車道水戸北スマートインターチェンジ南側で7.2メートル。主な河川の最大浸水は、吉田川4.5メートル、久慈川4.0メートル、都幾川3.0メートル,千曲川4.5メートル、阿武隈川5.2メートルだ。二階建て住宅の二階の床の高さはおおよそ3メートルだから、二階に「垂直避難」しても危険な地域はある。

ただ、多くは安全なはずだ。自宅の二階が浸水しなければ、とりあえずは二階に逃げればいい。平屋なら近所の二階に移動すればいい。独力での移動が困難なら、近所の人や行政が手伝えばいい。一律に避難所に避難するより手間は少ない。

水害から高齢者の命を守るには、きめ細かい対応が必要だ。自宅への浸水予想、自宅の構造、住民の身体状況、家族構成、近所の避難先などを総合的に勘案しなければならない。個別の対応が欠かせない。

前出の根本医師は「現在21人の患者さんを在宅でフォローしています。患者の自宅の状況を把握し、台風が来る前に、どの人に病院に避難してもらうかなど、院内で議論を深めたい」と言う。筆者も協力するつもりだ。今回の水害を契機に避難対策を見直すべきである。

トップ写真:令和元年台風19号被災地での自衛隊による救助活動(2019年10月14日 宮城県大崎市)出典: 陸上自衛隊東北方面隊 twitter

 


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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