私のパフォーマンス理論 vol.43 -アスリートの特性(陸上競技)-
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
私のパフォーマンス理論 vol.43 –アスリートの特性(陸上競技)–
【まとめ】
- 一般社会と、競技者を取り巻く環境の特殊性に気づかなければ、前の世界の考えを実社会に持ち込んでしまい引退後の人生がうまくいかなくなる。
- 競技者の特性は1.こだわりが強い、2.正しさにこだわる、3.仲間を重視する
- 自分を知り、環境を知り適応すればアスリートの能力は発揮される
引退した後、多くの選手は競技以外の世界で生きていかなければならない。競技人生からの降り方とは特殊な競技時代の環境から新しい社会の環境に自分を合わせ直すということだ。この一般社会と、競技者を取り巻く環境の特殊性に気づかなければ、前の世界の考えを実社会に持ち込んでしまい引退後の人生がうまくいかなくなる。以下に競技者がもつ特性をまとめてみた。各スポーツ、ポジションでもかなりやることは違う。大きく分けてスポーツはチームと個人、対戦か一人か、意思決定の範囲はどの程度かの違いがある。
1、こだわりが強い
2、正しさにこだわる
3、仲間を重視する
1、こだわりが強い
アスリートは勝負にこだわる。スポーツではだいたいゼロサムゲームになっていて、あちらが勝てばこちらが負けるという構図になっている。何よりスポーツにおいての勝敗は残酷すぎるほど人生を分けるので、どうしてもアスリートは勝ち負けにこだわる。また、競技中は苦しいことが多く、重圧も強いために、精神的に追い込まれやすい。そのような環境において、何か一つの信念を持ちそれを貫くことは有利に働くので、結果として競技者のこだわりは強くなりやすい。こうだと決めたことや信じたことを譲らないという性質を持ちやすい。
一方で、社会の勝敗はそれほど明確ではない。そもそも誰がライバルかは時代によって変わるし、一部は手を組みながら一部は戦うということも起きる。また、そもそもゲームの根本のルールも変わる。この産業のこの戦いをしていると思っていたら、産業ごとひっくり返すようなことが起こり得る。一人でできることは限られているので、他者と協業する必要があり、目的のために妥協を迫られる。
そのような環境下において、アスリートのこだわりは軋轢を生みやすい。理想にこだわりすぎて妥協をしないので周囲の人間が嫌がる。負けてはならないと思いすぎているので一つ一つが試合のようになってしまう。高みを目指しすぎる意識が強すぎてムキになることも多い。現役時代はアスリートは負けられないから勝利できるが、社会においては負けられないのでうまくやっていけなくなる。
2、正しさにこだわる
これは特に陸上競技のような明確なルールに基づいて運営されている競技にみられる。スポーツは数十年変わらないルールで運用されている。陸上競技であれば選考がはっきりしていて、勝利の基準が明確で、あとは頑張るだけという状況に置かれている。そうなるとどこで戦うか、どうやって戦うかよりも、どのくらい努力するかが重要視されやすい。またスポーツはその過程で教育と強く結びついているので、ルール以外の紳士協定も重視するように教育されている。公平にかつ、倫理的に正しい行動をとるように習慣づけられている。
実際の社会はスポーツと比べてあまりに多様すぎて、何が勝利なのかわからず、ルールが頻繁に変わる。そもそもほとんどは不公平な状況で、まるで11人のチームに対し3人で戦わなければならないような局面もある。さらにルールや正しい振る舞いも業界ごとの商習慣や文化ごとに違い、共通の紳士協定はあるにはあるがそれほど範囲は大きくない。
区切られて人工的に作られたあまりに公平な環境に適応した競技者は、この不条理、不公平が当たり前の世界において、つまづくことがある。世間では良くあることに一つ一つ、ずるいという感覚や、明確じゃないという違和感を持って立ち止まってしまう。何が本当に正しいことなのかを考えすぎるのも陸上選手の癖だろう。公平ではなく、持っているものがそれぞれ違うからこそ、ポジショニングや戦略が重要になるが、公平性を重んじる性質は、正々堂々を重要視し戦い方もワンパターンになりやすい。また良いものは必ず通用するはずだという職人的感覚からマーケティング的な思考を嫌がる性質もある。もし、うまく適応できない場合は資格をとり、一定の範囲で活動する職業の方が向いているかもしれない。
3、仲間を重視する
スポーツでは、仲間が力を合わせる必要があるので仲間意識が強化されやすい。また、競技者は多くの時間を自分の競技のコミュニティで過ごすことが多くなり、結果として、競技者の人間関係は偏りやすい。さらにスポーツの世界は指導者も固定され選手の新規参入も少ないために、流動性が低く顔見知りのいつものメンバーだけで社会が構成されている。
競技者は身内を優遇し、外部に対して閉鎖的になる性質が集団も個人もあるが、それはこのような環境に適応した結果だと思われる。これがプラスに働けばお互いを助け合う文化になるが、悪く出るとムラ文化を作る。ムラの世界は人間が流れないので、お互いの関係性だけに注目するようになり、俗人的で人間関係に強く配慮した意思決定をするようになりやすい。何が正しいかよりも、あの人はどう思うかや、みんなどう思うかで判断する。ムラの中で長期間過ごしていると、同じ価値観を持ったメンバーが集まっているので、社会と価値観が著しくずれていくことが起きる。またそれに気付けるような外部との接触もなくなる。結果としてムラ自体が社会と隔絶されていき、さらに人の流動性が低くなり、余計にムラ化が加速する。
選手が引退して最初に苦しむのがこのムラの外の世知辛さと、もといた世界と社会の間にあるずれだ。苦しくなるとつい競技者は元いたスポーツコミュニティに帰りたくなる。仲間もいるし、自分の立場もあるから落ち着くのはわかるが、あまりよくない。スポーツの世界で生涯やっていきたいのならそれは全く問題がないが、他の世界でやるなら必ずこれには耐えなければならない。
自分を知り、環境を知り適応すればアスリートの能力は発揮されると私は考えている。ただその際にあまりに社会とスポーツの違いが大きいので、その適応期間を耐えられるかどうか、さらに何が違いかを見出せるかどうかが、引退後の人生には大きく影響すると私は思う。
トップ画像:Pixabay by Tama66
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。