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スポーツ  投稿日:2019/3/2

パフォーマンス理論 その4 指導者のタイプ


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

【まとめ】
・指導者は、選手が成長するための手段の一つ。
・良い指導者は普遍性と個別化のバランスがいい。
・選手が自分に合う指導者探せるよう、流動性高いシステム構築すべき。
 
【注:この記事にはリンクが含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=44427でお読みください。】

指導者については影響も大きいので何度か取り上げたい。今回は指導者のタイプの分類について。私自身は18歳で自分で自分をコーチングするというやり方になったので、あまり指導者と組んだ経験は多くない。この経験から自由度を大きくしている指導者を好ましいと思う傾向にあると思う。

また前提として指導者から何を学ぶかは選手の姿勢次第というところもある。よく自分を幸せにしてくれるものを一生懸命探していて、自分の側に課題があることには全く目もくれない人がいるがそれと似ている。あくまで自分が主体で自分の中になりたい選手像がありそれを実現する一つの手段が指導者になる。指導者をつけなくても競技はできる。

わかりやすいところで言えば、指導者は大きく先生タイプとコーチタイプの二つに分けられる。先生タイプはスポーツを通じての人間育成を目的としている。良い点は、人間育成が目的なので取りこぼすことがなく満遍なく人を育てる。またうまくいけば生涯にわたって選手と信頼関係を築く。一方で人間的成長が競技力向上よりも上位にくるので、練習の目的が曖昧になり競技力向上に甘くなる傾向もある。楽だが効果がある練習より、苦しくて仲間と一体感が醸成される練習を選びがちになり、それが練習の非効率化を招く場合がある。

コーチタイプは競技力向上を目的としている。人間育成が目的ではないので選手とも適度な距離を取り、プロ的に振る舞う。自主性が高く競技志向が強い選手には居心地がよくかつ目的が結果を出すこととシンプルなので話が早い。ただコーチと二人三脚を求めるようなタイプは冷たく感じるかもしれない。勝利至上主義に走りがちでもあって、特に若年層向き、かつ熱力が高いコーチだと早くに頂点に達し燃え尽きる選手を作ってしまうこともある。

中学高校程度であれば先生タイプが、大学生以上であればコーチタイプが向いているというのは大まかな傾向としてはある。日本では、どちらかというと先生タイプが多い

それ以外を思いつくままに羅列してみる。

自由の範囲-指導者は枠を設けその枠の中で選手は自由に選択する。もちろん交渉可能な範囲もある。一般的には自由を与えたほうがいいと言われるが、人間の創造性は一定の制限があった方が働くので、この加減がちょうどよくなければならない。制限があったほうが考えることが少なくて楽だという選手も多い。自由度が大きい指導者に、自由度が小さい方が向いている選手がついた場合は、何も教えてくれなかったという不満を抱きがちだし、自由度が小さい指導者に、大きい方が向いている選手がついた場合には、がんじがらめだったという不満を抱きがちだ。

執着心の強さ-執着心が強ければ、選手と一心同体になりたがるのでうまくはまると最高のパートナーシップが出来上がる。面倒見もいい。一方で、選手の去り際に執着したり、他の指導者に指導されることを嫌がる場合が出てくる。また離反した時の怒りは大きく、執着心も強いので簡単には忘れず生涯にわたって敵になってしまうことがある。執着心が弱ければ、特別扱いすることもなく、飄々と新しい選手を指導したりするので、依存心が強い選手には寂しく感じるかもしれない。私のような自由を求める人間にとっては執着心が弱い人はとても居心地がいい。

野心の強さ-どんな立派な指導者も自分の野心(功名心)と選手の将来を願う想いは混在している。野心が強ければ、目標も意欲的で満足しにくいので、同じように野心が強く勝利に執着心がある選手には合う。一方で野心と利己心が混在している場合は、選手を自分の目標達成のための手段として捉えがちなので、選手を使い捨てにする場合もある。野心がなければ、仲間同士の仲の良さに意識を向けることが多い。あくまで仲間と楽しむだけのスポーツにしたい場合はこのような指導者が向いている。向上心が強い人間にとってはただの仲良しクラブに感じる。

厳密さ-厳密に行う人間は決められたルールを遵守することを大事にするので規律が生まれる。しっかりと統率されたチームは指導者が厳密さを持っていることが多い。厳密さを大事にする選手とは相性がいいように思えるが、選手と指導者の厳密さの基準がずれていればほとんどが我慢できなくなり関係が破綻している。厳密さがなければ私のようになんでも良いと自由度を大きくする。選手は自由にはなるが規律がなく、軸がなくなってしまう恐れがある。執着心と厳密さが強いチームは、時々カルト的な空気を帯びることがある。選手がだいたい同じ顔をして同じ格好をして同じ動作をしているので外から見るとすぐわかる。

経験則とデータのバランス-データに基づく指導がいいと言われがちだが、競技の最前線ではN数が足りず、科学的にはなんとも言い切れない世界だらけだ。だから経験則重視の指導者の方が向いていることがある。ただこのタイプで思い込みが強い根拠を求めずなんでも信じてしまうので、かなりおかしな理論に傾倒してしまうことがある。データを信じる人間は非常に抑制的で外れることはないが、独創的なアイデアを試しにくくなる。批判的精神が強いので、どのようなアイデアもそうとは言い切れないという姿勢をとり、結局選手が迷い始めることがある。

良い指導者は一様に変化するし、選手も変化するということを信じている。学ぶということは自分も変わるということで、毎年少しずつ打ち出すメッセージが違ったりすればその指導者は変化していることになる。学ぶ指導者は変化し、変化する指導者は良い指導者になる確率が高いと思う。また、学ぶ指導者は質問が多く、選手に質問されることや疑問をぶつけられることを喜ぶ。これはある程度普遍的な良い指導者の資質と言っていいと思う。

さらに良い指導者は普遍性と個別化のバランスがいい。指導はどうあるべきかという基本的な信念を持ちながら、一方で個別に対応することとのバランスを取っている。片方だけでは信念がなくなるし、融通が効かなくなる。このバランスを取るためには、基本原理を獲得するためによく自問自答をしていて、かつ個別化のために選手をよく見ている。選手をあるがままに見るためには偏見を排除しなければならず、人に上下をつけたがる指導者は、その偏見によるバイアスから逃れられないので、長期的にはいい指導者にはならないだろう。

指導者には本当にたくさんのタイプがあり、誰にとってもいい指導者というのは難しく、自分に合う指導者を探す必要がある。日本のような流動性の低い状況ではマッチングミスが起きた時に解消することが難しいので、たくさんの才能が潰れている可能性がある。私はシステムとしてもっと自分に合うものを探せるよう流動性を高めるべきだと思っている。

繰り返しになるが指導者も一つの手段である。あくまで主体は選手にあり、選手が指導者を選択する側でもある。指導者の力も限定的でそこに期待をしすぎてはならない。問題を解決するのも、ヴィジョンを描くのも自分であり、自分の競技人生の手綱を手放した瞬間にそれは自分の競技人生ではなくなる。

 

(1、2、3。5に続く)

 

(この記事は2019年1月28日に為末大HPに掲載されたものです)

トップ画像出典:Photo by Air Force Medical Service


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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